30年前の本
リビングのテーブルの上に一冊の本が置いてあった。「若きウェルテルの悩み」、私が大学生の頃に買ったものだ。
子どもが生まれるまでは本を捨てたり売ったりすることがなかった私であるが、今では定期的に本を処分する。ネットの出現で知の在り方が変わってきたのが大きな理由の一つであるが、子供たちが成長すれば物理的にも私のためのスペースは少なくなる。
私のなかではゲーテのこの著作は処分してしまったと思っていた。しかし、こうして私の目の前に現れてきた。読んでいるのは高校生の次男であった。彼の部屋の壁の一面には備え付けの本棚がある。かつては私の部屋だった。だからその本棚には私の本もまだ混ざっている。彼はそこからこの本にたどり着いて読んでいるようだ。
次男も高校生に入りぐっと大人になってきた。いろいろなことを考えて、時にはもの思いにふける姿を見せるようになった。そんな彼を、この本のタイトルが惹きつけたのであろう。
さて、私はというとこの名作を読み通していない。学生時代のある日、私は書店でこの本を手に取り購入した。おそらく明るい気分でそうしたのではなかったであろう。次男と同様に、私も煮え切らない何かを心に抱え、この本のタイトルに引き付けられた。
パラパラと読み始めた。しかし、最後まで読むことはしなかった。私にはまだ少し早いと思った。いつか本の方が私を呼ぶ日が来ると思った。
それから30年の月日が流れた。思い返せば一瞬のような速さであった。私は「若きウェルテルの悩み」の存在すら忘れていた。
この本は、たまたま次男が読み始めたため私の目の前に再び現れることができた。しかし、今まで買ってきた本の中にはそうでないものの方が圧倒的に多い。教師や友達の意見を聞いて、書評を読んで、書店で背表紙を見て、「私が読むべき本だ」と思って買った本が数多くある。この家のどこかにも、実家の倉庫にも、ブックオフに売ってしまったものの中にも、そのような本があふれている。
パリのユースで
20歳の時に1ヶ月間ヨーロッパを鉄道で周った。ユーレイルパスを手に、各地のユースホステルに泊りながら旅をした。私にとって初めての海外旅行であり、見るもの食べるものすべてが新鮮で楽しかった。
3週間のユーレイルパスの期限が過ぎ、旅の終わりはパリで一周間過ごした。ユースホステルで日本人の大学生と出会った。国立大の医学生で「オオタ」という名前だったと記憶している。
オオタ君は一人で旅をしていて日本食が恋しいと言った。私も帰国するまでは日本食を食べまいと決めていたが、旅もひと月近くになり、どうしても醤油味のものが食べたくなった。
私たちはパリの街を歩きラーメンが食べられる店を探すことにした。携帯電話もインターネットも普及していない時代である。私たちは「地球の歩き方」を片手に店を探し、日本で食べれば普通であっても、その時は体が震えるほどおいしい醤油ラーメンを食べた。
日本食と同様に、私はずっと日本人と会ってなかったので日本語を使うことに飢えていた。だから街を歩きながら、ラーメンを食べながら、そしてユースホステルに帰ってからも、私はオオタ君と話をした。しかし、残念なことに何を話したのかはほとんど思い出せない。
唯一私に強く残っている彼の印象は、彼がニーチェについて話す姿であった。オオタ君は「ツァラトゥストラかく語りき」について熱く私に語った。私は正直言って彼が何を言っているのか理解できなかった。
ニーチェという名前と彼が19世紀のドイツの哲学者であることぐらいしか当時の私は分かっていなかった。「さすが国立大の医学生だけあって難しことを知っている」と思うと同時に、今の自分の想像力を超える深い知の世界が存在することを感じた。
ヨーロッパを一か月間旅して大いに見分が広まったと思っていた私は、旅の最後に出会った日本人によって自分の持つ思考のキャパの小ささを痛感させられたのだ。「私もいつかニーチェについてあんなに熱く語れるようになるのだろうか」オオタ君を見ながら思った。
約30年の月日があっという間に過ぎ去った。オオタ君とはそれ以来会っていないし、私たちは住所を交わすことなくパリを去った。彼は日本のどこかの病院や医院で医者か研究者になっていることであろう。
私はというとニーチェの著作の何作かを読み、解説書も度々手にした。しかし、あの時のオオタ君のように熱く語るには程遠く、私はニーチェの哲学の枠組みのほんの一部を理解しているに過ぎない。「ツァラトゥストラかく語りき」も手の届く範囲に置いているものの、集中して読み通すには至っていない。時々パラパラとページをめくり、気になる表現に下線を引く程度である。
私はまだニーチェからの「人類への最大の贈り物」を受けとれていない。
老いていく
「賢くなりたい」と思いながら今まで本を手にしてきた。それなりの冊数は読んできたし、今でも時間を見つけては読み続けている。しかし、どうしても私は読みやすい本ばかり読むことになる。理由は分かる。仕事、語学学習、その他いろいろなものに追われていて、読むべき本に対峙する勇気がわかないからだ。
自分が今まで作ってきた考え方の枠組みを無理やり変えなければ読み進むこととができないような本がある。そういった本を読むとき、私は自分が何をしているのかわからなくなってくる。あまりに書かれていることの意味が理解できないからだ。日本語で書かれているのに、全く頭に入ってこないのだ。
したがって「そのような思いをするのなら」と、既存の頭で手軽に読むことができる新書やノンフィクションや解説系の本に手を伸ばしてしまう。それはそれで楽しいし、読み終えたら充実した気分にはなれる。
しかし、そこにあるのは読む前と読み終わったあとで変わらない自分の姿である。私が本を読む理由「賢くなりたい」は深いところまで行くと「私と私以外との関係を知りたい」ということになる。
今はいつ、ここはどこ、私は誰、そもそも私は私以外と区別できるのか、人類の歴史と同じだけ長いこの問を私も考えずにいられない。自分が今この場所でこんな気持ちでこんなことを綴っていることの不思議さに、少しでも近づきたいと思いながら今まで過ごしてきた。
ありがたいことに、私と同じような問いを数多くの人たちが立て、それらを言葉を使って記してきた。本を読むということは、時代や場所を超えて伝えられてきたそのような思考の痕跡に触れることである。
先人の叡智に触れるためのリストは膨大である。私が本を読み始めて以来、私のリストに数多くの書籍を入れてきたし、そのリストは歳をとるにしたがって増える一方である。
「いつかは読もう」と思いながら、そのいつかが今までやってこないまま放置される大量の本たち。私はそれらの本を読んで理解できる主体になっていないし、どうしてなれないかというと私が無理やりにでもそれらと対峙していないからである。そんな私の姿は「一芸を極めたい」と思いながらも長くて厳しい稽古を避けているようなものである。
私も老いを意識する年齢になってきた。数年前、知り合いの校長先生が再任用雇用を受けることなく退職した。理由を尋ねると「時間をかけてハイデガーを読みたい。」と答えた。歳をとれば体と同様に考える力も落ちていく。ハイデガーと向き合うためには、あと5年働いていては遅すぎるという判断であった。
「いつか読もう」の「いつ」は待っていてもやってこない。今までと同じことをしていても余分な時間は生まれない。自分で周りの環境を変えない限り、私は今までと同じままである。
読むべき書籍のリストを長くしたまま終えるのも、また一つの人生である。他人事のように書いているが、しかしながら、それは紛れもなく私の唯一無二の生でもある。「ニーチェについてもっと知りたかったなあ」と死の床でつぶやく自分を受け入れることができるかどうかという問題である。それができなければ「いつか」の「いつ」を作らなくてはならない。
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