作らない人々と

三年目

「今年も帰ってくるでしょう?」

4月に入り、私の父母は地域の人々によく聞かれたそうだ。帰るのは息子の私で、その目的は農業用水路の清掃である。

初めて参加したのは二年前だった。今までずっと父親が行ってきた作業であったが、足腰を悪くして以来、用水路に入りスコップで泥をかき出す作業はきつくなった。

共同作業は休日にあり、現在私は部活の主顧問を持っていないため自由に使うことができる。それに、これから米作りを習う上でもこういった作業を知っておきたい。私は軽い気持ちで父の代わりに参加した。

集合場所に軽トラで乗りつけると、懐かしい顔たちが目に入った。子供の頃一緒に遊んだ友達の父母たちである。何人かは私に声をかけてくれた。父親の名前を出すと「やはりそうか。大きくなったな」と言って私を思い出してくれた。

作業参加2回目の昨年、より多くの人に声をかけられた。「今年も帰ってきたのか」と。集まった人の中で、私が最年少のようであった。

2度あることは3度ある。そんなわけで、今年は4月に入るといろいろな人が、父母に私の帰省について尋ねたということだ。

私は2年後には高校教師を辞め、神戸と田舎の二拠点生活をしようと考えている。自分たちの食べる米さえ作れば、なんとか暮らしていけると思っている。今年どころか、これからずっとこの共同作業に参加しようと思っている。

しかし、この共同作業、いつまで続くのかわからないとも感じた今回の帰省であった。

2つの水系

私の家は2つの田んぼを持っている。田舎であるが、私の家は戦前は農家ではなく、それらの田んぼは戦後に私の祖父母が手に入れたものである。

それぞれは「上の田んぼ」「下の田んぼ」と私たちに呼ばれ、上の田んぼのすぐ下手には用水路が横切っている。田を満たして流れ出た水はこの用水路に流れ込み、数キロ下流の田を目指して流れる。

下の田んぼは、上の田んぼの約300メートル下流に位置し、ここへは別の用水路を通って水が運ばれてくる。ややこしくなったが、私が言いたいのはこう言うことだ。

「たかだか小さな田を二つ持っているだけであるが、そこへ水を供給する用水路が異なれば、それぞれを維持する作業に対して出席する義務が生ずる」ということ。

私が2年前から参加しているのは「上の田んぼ」の水系の作業である。「下の田んぼ」の水系は、父親が痛む足腰を引きづりながら参加していた。

父親は「まだできる」と言っていたが、今回私は下の田んぼの用水路の作業にも参加した。父親を助ける意味もあったが、私にはもう一つ目的があった。

水に浸かりながら

前回の作業から10日後、私は再び帰省した。今回の開始時刻はなんと午前6時半だという。田舎の朝は早い。私は前日夜には実家に帰り、早く寝て開始を待った。

指定された場所に行くと、すでに軽トラが十数台止まっている。私も農道を半分塞ぎ、その後ろに車をつける。荷台から3本爪と呼ばれる鍬と鎌を持ち、皆と合流する

ここでも懐かしい顔が並んでいる。みんな歳をとっている。当たり前だ。30年以上ぶりに会う人たちなのだ。ここでもやはり私は最年少のようだ。だが、一人だけいた。私の一つ年上の幼馴染で、小学校の時よく遊んだ仲だ。中学になると一緒にいることもなくなった。久しぶりに顔を見て照れ臭い。

時間になり作業が始まる。皆、だいたい例年通りの場所へ移動するという。私は声をかけられた同級生の父親についていく。

先週清掃した水路とは異なり、今回の担当場所は取水口に近く規模が大きい。川底にはびっしりと水草が成長している。水門を少し開けると大川から水が入ってくる。

3本爪の鍬で水草を剥がし、水の浮力を使って下手に流す。同時に鎌を使って法面の草を刈って水草と一緒に流す。刈られた水草は下手の水門手前にある、洪水時に使う水路を開けて本流へ捨てられる。

膝から下を流れにつけて、長靴の中をぐちょぐちょにし、鍬を引き、鎌を振り回す。お世辞にも快適な作業だとはいえない。しかし、これを無くしてお米を作ることはできない。

「こういう一つ一つの作業を丁寧に行うことの積み重ねが、豊作へ結びつき、1年間生き延びるために食糧を得ることにつながる」

こうして体を動かしていると、昔の人はそういうふうに考えながら作業をしたのだろうという気持ちになってくる。

どうなる

今回2度の作業で、私は50名ほどの人々と共に体を動かした。圃場を所有する家、つまり昔風に言えば地主が集まったものである。しかし、私の父親によると、この中で実際に稲作を行っている家は10軒もないという。

では、残りの家はどうしているのか。

田を農業法人や大規模農家に貸しているのである。貸し出す理由は金銭的なものではない。田んぼを人に貸したところで、現金は一円たりとも、収穫した米の1粒たりとも貸主には入ってこない。

それどころか、貸主が固定資産税を払い、このような水路を維持するための共同作業に参加する義務を負うのだ。貸して良いことなど何もなさそうに見えるが、それを行うのはそれだけ稲作の価値が下がり、後継者がいなくなったためである。

それならば圃場に何も作らず放置すればよさそうであるが、そう簡単にことは運ばない。水田は人間にコントロールされた自然である。そこに本物の自然状態、すなわち耕作放棄地が混ざればその影響は水田にも及ぶ。すなわち雑草や害虫の発生である。

田舎では自分さえよければいいという考え方は通用しない。他人と協調することは煩わしさでもあるが、豊かさの担保でもあったのだ。

「他に迷惑をかけたくないから、見返りを求めず税金や作業を負担するかわり米を作り続けてほしい」

稲作をやめた家はそんな思いで田を貸しているのである。

しかし、それも私の父母の代までであることが、これら共同作業に参加してみて感じられる。彼らの子供たち、つまり昔の私の遊び相手たちは農業を経験していない。だから、田んぼに対する思い入れもない。

私だって地元に留まり続けたのならそうであっただろう。都会で働いているからこそ、たまに土にまみれてみたいと思うのだ。

今回、2回の作業で私に声をかけてくれた人たちが鬼籍に入る頃、圃場や用水路の維持管理は今とは別のものにならざるを得ないと思う。

私は退職後、実家に不定期営業の明石焼きの店を作ろうと考えている。この人たちに顔を覚えてもらい、この人たちが交流できる場所を作りたい。今回、父親の申し出を断り私が作業に参加したのには、そういう理由がある。

東京の桜

東銀座まで

新幹線を新横浜で下車して横浜線のホームへと向かう。時間はまだ午前9時過ぎである。私にとって、この駅で下車するのも横浜線の電車に乗るのも初めてのことであった。

やがて八王子方面から電車がやってきた。形式はよくわからない。車両を長く使うJRに西日本に比べて、JR東日本のそれは頻繁に変わるので覚えきれない。

先頭車両で前面展望と運転手の動きを見る。駅に停車をすると、運転席のモニターにホームから見た車両が映し出される。どうやらこの列車のドア開閉は運転手が行なっているようだ。ということは、ここではワンマン運転が行われているのか。

横浜線は日本有数の黒字路線である。合理化の波はこんなところまで容赦なく押し寄せているのかと思う。私たちはどのような世界に向かっているのだろうか。

終点の東神奈川で京浜東北線に乗り換え、一駅先の横浜で下車する。神戸市内発横浜市内行きの乗車券が、自動改札内に回収される。しかし、私の目的地はここではない。

まだ時間に余裕がある。横浜駅構内をぶらりと歩いてから、京浜急行の改札にICOCAをタッチして入場する。「京急そば」で遅めの朝食をとり、ホームに上がると特急がやてきたので、それに乗り込む。車内は満員で息苦しい。首都圏は人が多すぎると、行く度にそう感じる経験をする。

京急蒲田で衝動的に下車する。前回この駅にやってき時は高架工事の真っ最中であった。年数と共に適度に汚れてきた駅を見ると、地上駅時代があったことなど想像できないくらいだ。人もモノも、全てのものが確実に年を重ねていく。

列車が品川駅に到着する。ここも工事の真っ最中。次にここを訪問するときは、別の姿を見せてくれるのか。京急電車は地下へ潜り都営浅草線の線路を北へと走る。

10時半、私は東銀座で下車した。この日、銀座に用事があったわけではない。私の約束は1時間後の東京駅。だからゆっくりと銀座から八重洲へ向かって歩く。

午前中に通っても華やかな街である。多くの人が店の前で列をなしている。それぞれの人が目的と楽しみを持ってこの街に来ているのであろう。私は、心の中に嬉しさを持っていた。ただそれは大きな悲しみに包まれたものであった。

八重洲口の巨大なビルを背景に桜が咲いていた。神戸よりも少し早い。

「先輩は、来年、この桜を見ることができないのか」

私はそう思いながら花を眺めた。私は今から死にゆく人に会いに行くのだ。

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レアな経験(宮崎編・後編)

カレーを少し

仲人さんと城下町巡りの旅を始めて4年、昨日はその中でも1、2を争うほどの充実した日になった。何しろ3つの城に加え、博物館と伝統的建物保存地区を訪問できたのだ。さらに、近世とは関係ないので書かなかったが、新田原の航空基地も見ることができた。

このように学びが多く充実した日を送ると、私はすこぶる機嫌がよくなる。だから、昨晩飲んだ焼酎は本当に美味しかった。気分がよくなりすぎて、思わず飲みすぎてしまった。

二日連続で寝る前の記憶を無くし、目を覚ますと二日酔いだった。仲人さんと7時に待ち合わせて朝食会場へ向かったが、食欲がほぼない。なんとか名物のカレーを少しだけ腹に入れ、あとはジュースを流し込む。仲人さんは、普段通りのにあれこれ食べている。私より一回り以上年長とは思えない健啖家ぶりである。

8時過ぎにホテルをチェックアウトして延岡駅まで歩く。今日はレンタカーも飛行機も使わない。3本の列車を乗り継ぎ神戸まで帰る計画を立てた。延岡から神戸まで鉄道で移動、世の中の9割方の人々は持たない発想であろう。

もう1日レンタカーを借りて観光し、夕方宮崎空港から伊丹まで帰れば効率よく宮崎を堪能できる。わざわざ時間をかけて三角形の二辺を鉄道で通る必要はない。

しかし、私の旅はそうじゃなくてはならなのだ。移動の道中にこそ旅の醍醐味がある。時間の制約で片道は飛行機でも、もう一方は陸路を味わいたい。幸いなことに私の仲人さんは、私のこの硬い頭の良き理解者である。

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レアな経験(宮崎編・中編)

国道10号線

昨晩はシメのうどんを食べた後、仲人さんとコンビニに寄ってホテルへ帰った。私の記憶はそこで途切れている。目を覚ますとつけっぱなしのテレビからBBCニュースが流れていた。

朝食会場で仲人さんに聞くと、私はコンビニで買ったハイボールを飲まずに部屋に戻って寝たらしい。かなり酔った状態である。それでも翌朝目を覚ますとスッキリしている。わだまだ若いのか、楽しい旅で体調が良いのか。

ホテルをチェックアウトして、ニシタチから宮崎駅近くのレンタカー店へと向かってゆっくりと歩く。昨晩の喧騒が嘘のように人気がない。時々、夜遊びをした風の男女が歩いている。

宮崎市の中心地を15分ほどかけて横切る。まだ、ビルが密集していて空き地が少ない。日本中の地方都市の中心部は、空き地だらけでスポンジのようになっている。ここはまだ大丈夫だ。福岡まで陸路で時間がかかることが関係していると思う。

本日は国道10号線を延岡まで北上する。見るべき場所もたくさんある。私たちは、戦前の建築である宮崎県庁舎を車から眺め、宮崎神宮近くの県立総合博物館で予習をすることにした。

休日で、入館料無料であったが博物館は私たちの貸切状態であった。私たちの関心は近世以降の歴史、1階の自然史展示室を足早に駆け抜けて2階へと進む。それなりの規模の展示室であるが、半分以上は民俗系で城や城下町に関する展示はそれほど多くない。

それでもいろいろと見学するうちに、近世以降の宮崎が浮かび上がってきた。その一つは、私の中で「日向の国」で一括りにしていた宮崎が、小藩や支藩が混ざった複雑な場所であるということ。また、徳川時代が始まる前、この地は大友と島津の影響を深く受けていたということ。

私たちはこのイメージを頭に10号線を北へと向かった。

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レアな経験(宮崎編・前編)

15ヶ月ぶりに

私が仲人さんと二人で旅をするようになって四年が過ぎようとしている。仲人ということで、当然結婚する前からの長い付き合いになるが、このような関係になるとは4年前まで思っていなかった。

2021年冬、私は全国通訳案内士の2次試験を受けた。日本の城下町についての英語による口頭試問であった。その様子を仲人さんに焼き鳥を食べながら話した。彼は日本史のしかも城下町が専門だったため、興味を持って私の話を聞いてくれた。

そしてその場で二人で城下町を旅するというプランが生まれた。翌年から2年間に、江戸時代からの現存12城のうち、仲人さんが行ったことのない丸岡、備中松山、丸亀を中心に4度旅を行った。

結婚をするに際して仲人を立てることすら珍しい現代において、その仲人と一緒に旅をすることは限りなくレアな経験であろう。私は知り合って20年以上経ってから経験するこの新たな関係を楽しんだ。

昼間はひたすら城跡や博物館や古い街並みを巡る。お互いお酒の好きな私たちは、その話をつまみに夜は飲み歩くのだ。観光名所やお土産のことなど全く気にしなくてよい、純粋に地理と歴史に関する興味が郷土料理と地酒に絡まった旅、楽しくないはずがない。

「現存12城を巡るまで」の計画が終了すると、「仲人さんが全県制覇するまで」に変わり一昨年末に私たちは鹿児島を旅した。九州で残っているのは宮崎県。そういうわけで私たちは15ヶ月ぶりの旅を行うことになった。

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異常な光景?

君たちが全て悪いわけではない

今日、約300名の生徒たちの前で話す機会があった。タイトル2つのうち一つは「君たちが全て悪いわけではない」。スマホ依存に対して考えてもらう内容であった。

子供達にこの話題を話そうと思ったきっかけは、こども家庭庁が行った調査の結果であった。高校生がネットを利用している平均時間、1日あたり6時間44分だという。

10年前なら「1週間の間違いではなかろうか」そんな疑念も浮かんでいたであろうが、毎日生徒たちの行動を目にしながら「多いけどありうるな」と今は思える。

私は生徒たちに、どうしてこれほど便利で面白いゲームやアプリが無料で公開されているのか考えさせた。経済が発達し、一通りの必需品が皆に行き渡った後に、企業は何から利益を得ようとしているのか話をした。

時間はお金になる。1分、1秒でも多く、人々がスマホの画面に釘付けになれば、それだけ広告や商品を売るチャンスが増える。だから世界中で有能な人たちが、いかに人々の目を画面に向かわせるか知恵を絞る。

巧妙に構築されたアルゴリズムが、「そろそろ他のことやろうか」と思う子供達の前に、興味あるもう一つの動画を提示する。普通の高校生で、この誘惑に勝てる意志を持つことは難しい。

置き場所が決められていた大きなモニターのデスクトップパソコンとはわけが違う。トイレでも布団の中でも、子どもたちは場所を選ばずにネットの世界につながることができる。

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828 ありがとう

夜11時半

「今日が最終日のはず」

寝室で眠りにつこうとしていた私はベットから降りて本棚の上のラジオを手にした。電源を入れる。いつもの周波数が液晶に表示される。

スピーカーからは何も聞こえてこない。「ザーッ」の音もない。ラジオが死んでいるようだった。3月31日の夜11時半、AM828kzの電波は関西地区の磁界を震わせていなかった。

少し遅かった。NHKラジオ第2放送はその前日の深夜に95年の歴史を終えていたのだ。最後の音を聞きたかったが、私の不注意でそれも叶わなかった。

まあいい。全てのものは移り変わっていくのだ。終わりのないものはない。しかしこの寂しさはなんだ。長きにわたって当たり前のように隣にいた人が、気がついたらもう会えない場所に行ってしまった、そんな気持ちだ。

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令和八年三月場所

日帰りで遊びに行ける大阪で開催されるというのに、大相撲人気のためチケットが手に入らず、今場所は指をくわえてテレビで観戦することになった。

とはいうものの、今回も時間に追われ散発的にしか見ることができなかった。どうしてだろう。いつも3月は授業がないからゆっくりテレビ観戦できると思いながらそれができない。

この現象、私の考え方と行動様式の根本的な部分と関係していると思わずにはいられない。そしてこの根本が、私が日々感じるモヤモヤを作りだしていると考えるのが自然であろう。

そんなわけで断片的ではあるが、三月場所で感じだことを記すことにする。

がんばれヒール

前回の大相撲の記事を投稿した後、一つ書き忘れたネタがあることに気がついた。十両の剣翔についてである。

数年前、おふざけで大相撲力士をプロレスに例えて遊んだことがある。関取たちをベビーフェイス(善玉)とヒール(悪役)に分けるのだ。

ルックスがよくて華のある飛猿や若隆景はベビーフェイスで、強面の松鳳山や千代丸はヒール役である。そしてヒールの中でもトップに立つのが剣翔である。理由は子供の頃見ていた時代劇の悪代官とつるむ悪役商人に彼に似た顔がよく出ていたからである。

そんな剣翔が一月場所を迎える前、ニュースになった。結婚したというのだ。客室乗務員のとても美しい方である。「どうして力士の奥さんは例外なく綺麗なんだ」と相撲好きの仲間と話し合った。

世の中のカップルたちをルックスという点で見ると、おおよそ釣り合いが取れているのがわかる。例外ももちろんある。しかし例外だらけなのが大相撲界である。そういった意味で力士たちはルックスのよくない男たちに希望を与える存在であり、剣翔はそのフロントラインに立っている。

先場所6勝9敗と微妙な数字だった彼の今場所の成績は15連敗。負けても負けても土俵に立ち続けたが、白星を掴むことができなかった。今場所、西十両12枚目なので五月場所での幕下陥落は避けられない。

それでも頑張って相撲を取り続けてほしい。私を含めてイけていない男たちを励ましてほしい。来場所、私にとってのベビーフェイスは剣翔である。

「5勝したら4年ぶりに関取になれる」

その思いを胸に、私は毎日午後3時ごろスマホで幕下の結果を検索した。

「ああ、今日もまたダメだ。次は頑張れ」

ため息が続いた。負け越しが決まった。それでもなんとか2勝した。来場所はまた幕下の深い位置へ逆戻りしそうだ。

令和4年5月場所、春日野部屋の栃丸が十両昇進を果たした。入門から11年である。関取にならずに廃業する力士がほとんどであるのだが、日の目を見るまで11年頑張った栃丸はすごいと思った。

「石の上にも三年 栃丸十一年」

私は職場や馴染みの立ち飲みでこの言葉を多用した。栃丸の似顔絵にこの言葉を添えたTシャツを作ろうと、下書きを行った。栃丸は三場所で幕下に転落し、Tシャツは作られることな買った。

あれから四年、西幕下6枚目で迎えた今場所、関取が射程圏に入った。

「もう一度土俵入りできたらうれしだろうなあ」

私は栃丸に共感した。しかし、今場所ではそれは叶わなかった。

現在33歳。もう一度栃丸の化粧まわしが見てみたい。

スパイス

「調子が悪い」

周りの相撲好きもメディアもこのように表現するが、私は今までが信じられないくらい良すぎただけだと思う。今場所一番注目された安青錦のことである。

去年の成績は68勝22敗。一年で十両から大関まで一気に駆け上がってきた。その間11勝以下の場所はない。あまりに急激な出世なので、周りの関取がついていけなかたのだろう。

それでも取り組みのデータが揃うと、取り口の研究が行われる。一番注目を浴びている力士は、一番分析されていることだろう。そうなると安青錦にとって得意なことがやりにくくなる。

「今場所でもし優勝したら安青錦にとってよくないのでは」と私は思っていた。あまりに順調に行きすぎることが、彼が長く相撲界で活躍するためにならないと考えるからだ。

注目、研究され、それに対抗する心と技術と体をどのように作っていけばよいのか、彼は悩むことだろう。しかし、それを親方や仲間と共に考えて、動いて、克服することが彼を次の次元の力士にするのだと思う。

安青錦にとって今場所はスパイスであった。それだけ経験すれば美味しくないが、他と組み合わさった時、なくてはならない引き立て役になる。

何度もスパイス場所を経験し、それを克服することで豊かな風味で味のある関取に成長してほしい。

その他もろもろ

・翠富士が心不全で休場。「心不全」の言葉にヒヤリ。力士にしては痩せたあの体でも、そんな病気になることを知る。無理をしながら相撲をとり、私たちファンは何も考えずにその上に乗っているのだ。ありがたく、申し訳なく思う。

・藤の川の取り組みが楽しみである。アナウンサーも解説者も絶賛する。勝負にかける気迫と表情が他の力士よりも一段強い。一生懸命を見るのは気持ちが良い。ずっと応援したくなる力士である。

・十両4枚目の尊富士がなんとか勝ち越した。おそらく来場所も十両。優勝した二年前の三月場所のことを思い出す。「ここにいる力士じゃないだろう」と思うが。ケガを含めコンディションを整えることの難しさわかる。

・四日目の王鵬対琴勝峰の取り組み。何度も当たる頭と頭。付き合って、いなして、血を流し、ふらふらになりながらも勝負が続き、土俵際の一瞬に意外な展開で勝負あり。解説舞の海さん「これだから相撲は面白い」、一緒に見ていた妻も「面白かったー!」。

・「現役時代、体が小さいから負けたと思ったことはなかった。まだ勝ちかたを知らないんだと思っていた」。舞の海さんの名言を私デスノートにメモした。

・千秋楽、三段目優勝決定戦で久しぶりに生田目を目にする。恵まれない環境で育ったという話は、私を贔屓目にさせる。彼を見ていると「この顔を喜ばせたい」という気持ちになる。

・高安、豪の山、生田目は、引退後脱毛のコマーシャルに使ってもらえないかと、今場所でもそんな不謹慎なことを考えた。こうなると、相撲の内容よりも力士の毛深さに目がいくようになる。

関連記事:令和八年一月場所    令和七年十一月場所

ブーム二つ

取れなかった

平日に行けそうで行けないのが大相撲大阪場所である。私の住む場所から近い街での開催なので、必ず1日は行きたい。授業は2月末で終わり、卒業式を挟んで学年末考査が始まる。

それも大相撲が始まる第二日曜までにはかたがつくので、あとは平日に時間が作れそうに思えるのだがうまくいかない。毎年同じことを思いつつ調整がつかず、結局土日祝日のどこかに大阪場所に行くことになる。

横綱大の里の誕生やウクライナ出身の安青錦の活躍もあってか、最近の大相撲は満員御礼が続いておりチケットが取りにくくなった。夏休み中の名古屋場所は平日に休みをとって行くことができるが、今回の大阪場所も候補日は土日のみとなった。

「今回も厳しいかもしれない」

ファンクラブのグレードを関脇コースに上げて抽選回数を一回増やそうかと思ったが、三万円払うのが惜しくて、結局小結コースのまま第2回ファンクラブ抽選から参戦することにした。

ファンクラブとチケットぴあ、第3希望まで書いて2回抽選を受ければどこかでひかかるだろう、一抹の不安を覚えながらも結果を待つがいずれも完敗。私たちに残されたのは早い者勝ちの一般販売しかなくなった。

迎えた2月7日の午前9時50分、私たち夫婦は2台のパソコンと3台の電話を手元にして10時の販売開始を待った。パソコンは購入の一つ前の画面、電話はリダイヤルを設定。

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試験監督をしながら

電気

ジャケパンスタイルが好きな私は普段スーツを着ることがない。この日は雰囲気的にネクタイ着用なので、一張羅のスーツを身に纏って教室に立つ。目の前の生徒たちは緊張の趣で私に視線を送る。見慣れた生徒たちより少し幼い。目の前にいるのは中学3年生だ。

手元の資料に書かれた説明事項を読み上げて、放送が始まるのを待つ。沈黙が続く。「放送設備が壊れていたらどうしよう」「今、停電になったらどうなるのだろう」必要のない心配をするのは私に長年染みついたサガである。

しばらくしてスピーカーからアナウンスが流れてきた。緊張が少し解ける。

試験監督を行う間、正直に言うと退屈である。不正をしていいないか、調子の悪い子はいないか、立ったまま注意を払い続ける。脳の容量はまだ空いている。だから別のことを考え始める。

「電気が消えない」

この日はこんなことが頭に浮かんできた。

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