細かなニュル感

苗床

稲は発芽から約4ヶ月で収穫できます。前年度とれた籾を水田に撒けばそのうち芽が出て成長するでしょうが、そういう原始的な稲作をする人はほぼいません。

籾は水田に直接撒かれるのではなく、苗床という60cm×30cmの長方形の箱の中に土を敷き、その上にびっしりと並べられます。撒かれた籾の上には栄養分の高い土が乗せられます。

苗床は平らな地面に並べられ、毎日丁寧に水を撒かれます。そのうち表面の黒土の間から鮮やかな緑の芽が見え始めます。目は日に日に成長し、高さ10cmほどの密集した苗の状態になります。

水と土の栄養をいっぱいに取り込み、これ以上この狭い箱の中では成長できないという状態になった時、密集した塊の苗は細かく分けられて水田に移されます。これが一般的にイメージされる田植えです。

私の実家ではかつてこの苗床を自分で作っていました。そこに撒く籾は前年の秋に収穫した稲のうち、翌年の種籾として脱穀することなく取り分けていたものです。

これは何を意味するのかというと、自分が丹精込めて育てた稲をもとにして次の年のお米を作ることができるということです。同じ血筋を受け継いだ者が家を代々ついでいくように、お米も同じ株から続いていきます。

“細かなニュル感” の続きを読む

SASUKEの気分

三浪の末

イタリア語検定2級の合格通知が来た。発表予定日の5月19日、検定のホームページからマイページにアクセスすると、そこには確かに「合格」の文字があった。2次試験の点数も充分にとれていた。

「長かった」と、フッと息をつく。同時に私の中にあるテレビ番組のシーンが浮かび上がってきた。10年ぐらい前から、次男がはまって繰り返し見ている「SASUKE」である。

それは、筋力、体力、運動神経が自慢の100人の参加者が、巨大なアスレチックステージを舞台に、どこまで進むことができるのか競い合うイベントである。

20年以上続くSASUKEの人気はすさまじく、海外でも広く放送され、その国独自のスタイルと取り入れている場所もある。さらに、2028年のオリンピックでは正式種目として採用されるという。

次男につられて私も時々SASUKEを見るのだが、その競技の難しさは想像を絶するものがある。全部で約20ある障害物のどれ一つとっても私はクリアすることができないと断言できる。

SASUKEの障害物は3つのステージに分かれて配置されている。サードステージをクリアするとファイナルステージ、とんでもない高さの櫓から吊るされたロープを腕の力のみで登っていく。しかも制限時間内に。

ほとんどの人はファーストステージで脱落していく。最初の2〜3個の障害物でリタイアする人も多い。ファーストステージの制限時間は、開催回によって変わるが長くて2分である。

出場選手はその2分のために1年をかけて練習する。SASUKEにやり直しはない。最初の障害物で脱落すれば1年の苦労が5秒で終わる。

“SASUKEの気分” の続きを読む

令和七年五月場所

あれよあれよ

この場所の最大の話題はなんといっても大関大の里の二場所連続優勝でした。場所後すぐに横綱審議委員会が召集され、5月28日には横綱大の里が誕生するに至りました。

私はなんだか夢を見ているような気がします。全てが早すぎるのです。白鵬が引退し、照ノ富士が一人横綱でいた間、私は「いつになったら次の横綱が現れるのだろうか」と思い続けていました。

というのは、幕内力士たちをみると大関で連続優勝するのとても困難なことに思われたからです。私が相撲に興味を持ち始めてからも、高安、栃ノ心、貴景勝、朝乃山、正代、御嶽海と続々と大関が誕生しました。

しかし、この中で二場所連続で成績がよかった力士はいないし、みな大関から陥落していきました。関脇小結や幕内上位にはよい力士がたくさんいて、そう簡単に連続優勝させてくれないのが現在の角界です。

そんな中、大の里は幕下付け出しからわずか二年ほどで横綱昇進を決めました。その間に優勝は4回です。全てが別格な力士だと思います。

“令和七年五月場所” の続きを読む

見えない命

稲作作業の合間に

私の実家では、ゴールデンウィークの到来とともに米作りが始まります。米作りとはいっても、実際に田んぼに水をはり苗を植えるのは5月の終わりで、この時期は半年の間放っておいた田んぼの整備を行います。

この前記事にした用水路の清掃はそれを代表するもので、一つの水系につながる全ての田んぼの所有者が参加して行います。清掃が終われば水を通すことができます。

水門が開かれる日までに、個々の田んぼの整備を行わなくてはなりません。肥料を入れて、田を耕し、あぜ草を刈る、そのような作業です。

私の父親は相変わらず足腰が痛み10分以上連続して作業をするのが辛いため、今年も私が時期を見て手伝いに帰省します。

“見えない命” の続きを読む

人のいない風景

休刊

いつも立ち寄る書店の雑誌コーナーで、私は久しぶりにこの雑誌を手にレジへと向かいました。元号が変わって初めて買う「鉄道ジャーナル」。私は自分を育ててくれたこの雑誌と疎遠な状態が続いていました。

販売日である毎月21日になるとなんとなく気になって表紙は眺めていましたが、手に取ることはほとんどありませんでした。「今は忙しから読む時間がない、そのうち買おう」そう思い続けているうちに、ネット上では休刊の噂が出始め、そしてこの日手に取ったNo.704号には「最終号」と記されていました。

何年も読んでいなかったくせに偉そうですが、月並みの言い方をすると私の中で一つの時代が終わった気持ちがします。初めて手にした日から、40年近く当たり前のようにあったものが消えてしまうことに世の無常と喪失感を感じています。

「本当に鉄道ジャーナルがなくなる日が来たのか」書店で最終号を手にして以来毎日そう思い続けています。

今、鉄道は空前のブームを迎えています。乗り鉄、撮り鉄、模型鉄を始め、葬式鉄や反射鉄という意味不明のものまで数多くの「テツ」というカテゴライズが現れて、日夜その数を増やしています。

かつては男性の一部の趣味であった鉄道ですが、その裾野も広がり若い女性やママの中にも愛好者が現れるまでになりました。

鉄道を特集としたテレビ番組も毎日のように放送され、芸能人の中にも鉄道好きを公言する人が老若男女を問わず現れています。

そんな中にあって、鉄道趣味を代表するような雑誌がなくなるわけであります。にわかには信じることのできない気分ですが、鉄道趣味の範囲が広がりすぎ一つの雑誌だけではとらえきれなくなったということでしょうか。

きっかけと出会い

初めてこの雑誌を手にしたのは小学校5年生の時でした。大好きな叔母がくれた現物支給のお年玉の中の一つでした。

私は貪るように読みました。物心ついた時から鉄道は好きで、いろいろな本を読んでいましたがこの鉄道ジャーナルは特別でした。それはこの雑誌が大人を読者として想定していたからです。まだ小学生だった私は「大人の世界へ来いよ」と言われた気がしました。

それまで読んでいたのは「車両」とか「駅」とか「特急」がテーマの本でした。鉄道ジャーナルは「列車とそれに付随する物語」や「日本の交通政策の中での鉄道」が主なテーマでした。その名の通り「ジャーナリスティックな視点」で作られている雑誌です。

鉄道や地理が好きで、少し政治的な視点も持ち始めた子供であった私にこの視点は響きました。私は地図や時刻表を眺めながら、まだ行ったことのない場所やそこに住む人々の暮らしを考えるのが好きでした。そんな私に空想の燃料を注いでくれ流のがこの雑誌の記事や写真でした。

鉄道とは人やものをある場所から別の場所に輸送するするための交通機関にしかすぎません。しかし、見方を変えるとそれは人々の生き方や生活様式を変えるものであり、人の思考そのものを変化させる要素にもなりえます。

鉄道という一本の糸を通じて、都市、産業、文化、自然、環境とたくさんの問いを立てることができます。そしてその中心にいるのはいうまでもなく人間です。

人がいて、その周りに環境があり、そこに暮らしがあります。それらを鉄道を絡めた視点から考察するのです。

鉄道ジャーナルは私にそのようなことを考えさせてくれた雑誌でした。

月に一度、発売日になるとお小遣いを手に書店に向かいました。まだ一人旅のできない年齢だった私にとって鉄道ジャーナルと時刻表は、私を遠くへと連れて行ってくれる夢の乗り物でした。高校生になったら、大学生になったら、そう思いながら私はこの雑誌を読みました。

主な執筆者の一人である種村直樹氏は、私が初めて名前だけで書籍を買う人になりました。

想像を超えた時代

思春期に入り異性が気になり始めると、私は鉄道好きであることが少し恥ずかしくなり始めました。同級生とは車やバイクの話をしても、鉄道については何も語りませんでした。

そうであっても私の鉄道へ対する思いは変わりません。私は誰にいうこともなく鉄道ジャーナルを買い、一人で楽しんでいました。

大学に入り、車に乗ってバンドをしても、私は隠れキリシタンのように密かにこの雑誌との関係を続けました。そしてその関係は働き始めても続き、30代の半ばごろに途絶えました。

相変わらず鉄道は好きです。しかし鉄道ジャーナルを買っても飛ばし読みする程度で、じっくりと向き合うことななくなったのです。なんとなく面白くないのです。虚しさが湧き上がってくるのです。

今回、最終号を買ってその理由がわかりました。二つあります。

一つ目は長距離を走る列車が日本から消えてしまったことです。そういうと「新幹線があるではないか」と反論が聞こえてきそうですが、現在の新幹線は私にとって航空機とあまり変わりません。

ふたつの地点を最速で結ぶことが至上命題となっている輸送機関であり、その間で何を見て何を行うのかということは重要ではありません。たぶん理想の新幹線は、ドラえもんの「どこでもドア」のようなものだと思います。

私にとって旅とは目的地よりもむしろその途中に魅力が詰まっています。「目的に到着したい。しかし到着した瞬間に途中の景色が懐かしくもう一度行ってみたい」そのような相反する気持ちを持ちながら私は旅をします。

そしてその矛盾した気持ちは、旅程が長いほど高まるのです。こんなところでも私は列車と人生とを重ね合わせています。私は新幹線以外の長距離列車がなくなった日本には、乗りたいと思う列車があまりありません。急ぐだけの味気ない生き方はしたくないということでしょう。

長距離列車に同乗して取材を行った「列車追跡」は鉄道ジャーナルの目玉の一つで、私が何より楽しみにしていた記事でした。私はその記事の中に鉄道を超えたドラマを見ようとしていました。

二つ目の理由はこの雑誌から人の気配が消えたことです。鉄道ジャーナルだけではありません。現在ほど人の顔を公共の媒体に載せることが難しくなった時代はありません。それは高等学校という私の職場でも同じです。

個人情報という名のものに個人名や個人写真を人の目に触れる場所に掲示するときは、その都度本人や保護者に許可を確認しなくてはならなく、その労力は膨大です。

押入れの書庫から古い「列車追跡」を取り出してみます。客室で、ホームで、駅前で、鉄道を中心にさまざまな人たちの表情が写真から伝わってきます。その場の臨床感、各人の過去やこれからまで想像できそうです。

最終号には人の写った写真はほとんどありません。あっても遠景か後ろ姿で、正面を写したものにはぼかしがかかっています。

「ジャーナリスティック」を売り物にした雑誌に、人の姿を載せることができないのです。人が出てこない物語はありませんし、人を抜きにした交通政策も存在しません。

旅が点と点との移動になり、人間の営みを映像として示すことができない時代が来るとは、初めてこの雑誌を手にした少年の私の想像を超える出来事でした。

根が悲観主義な私はこのような状態をディストピアであると捉えてしまうのですが、せめて私のこれまでの人生に「鉄道ジャーナル」が存在し、鉄道を通じて地理や人間について思いを巡らせる機会を与えてくれたことに感謝しています。

第1段階終了

ぐるりと一周

私の実家には母屋に隣接して2階建ての車庫があります。一般的にイメージする自動車用の車庫に比べると倍ぐらい床面積を有しています。

これは自動車以外に農業機材の倉庫も兼ねて建てられたものだからです。稲木を使った天日干しをやめるまでは、車に並んでここに稲刈り機やコンバインも収納されていました。

そのちょっとした車庫の2階を、私はこれからの人生の大切な舞台にしようと考えています。以前にも書いた明石焼きの店舗兼相撲バーです。

2階の一角にカウンターを作り、そこへ今はもう手に入らない安福康弘さん手作りの明石焼きセットをプロパンガスや水回りの設備と共に設置します。一角にはスクリーンとスピーカシステムを置き、大相撲中継や取り組み動画が流されます。私にとって夢のような場所です。

土地と建物はあるので改装費が一千万円ほどあればそれはすぐに出来上がります。しかし今の私にそのようなお金はありません。だから少しずつDIYを行うのです。

“第1段階終了” の続きを読む

よりどり緑

朝8時の点呼

2年前に痛めて以来、父親の足腰の調子がよくならない。長い距離を歩くことができない。10分以上立っていられない。ちょっとした姿勢の変化で痛みが走る。

年齢を考えると「よくならない」というより「年相応な状態になった」という方が適切かもしれない。そうであっても若い頃運動神経がよかった彼からすると、思うように動けない自分が歯痒くて仕方がないように見える。

「どうするかお前が決めてくれ。もう手放してもいい」

数年前から父親は私にそう言うようになった。稲作をするための田んぼのことである。私の実家は二面の圃場を所有していて、すでに一面は農業法人に貸している。

「貸している」と言っても現金も収穫の一部ももらっていない。そんなものを求めれば借り手は現れない。貸した田んぼで稲作をしてもらうことで草刈りなどの手間を省くことができる、それが田んぼを貸すことで得られる報酬。この国での田畑の価値がよくわかる。

“よりどり緑” の続きを読む

感じなかった幸せ

汚い話で申し訳ございません

家事をしていた妻が突然「きゃっ、あぁーっ」と声をあげる時があります。

足早に立ち去ろうとしている私に対して、少し怒りに満ちた「したでしょう!」の声が追いかけてきます。

「えっ、わかった?」

「当たり前でしょう。もう、早くトイレに行って!」

「ごめんごめん」

結婚してい以来、もう何十回も私たちの間で繰り返されたやりとりです。

悪いのは私です。でも言い訳をすると、そのおならは匂わないという予感がある時に放たれたものなのです。「これは本当にヤバい」という確信のある時はベランダに出てするなり、何らかの対策を取ります。

ベランダや玄関で放たれる私のおならは、本当に目に染みるぐらいの代物です。空気が湿っているのがわかりますし、マイナスの余韻がかなりの間続きます。よくアニメである黄色い色がついた気体のイメージです。

妻や子供たちと同じ部屋にいるときに私がするおならは、私の中でも「これくらいなら安全であるし、誤魔化すことができる」と思ったものです。

しかし、その思いはかなりの頻度で裏切られます。その度に妻があの叫び声をあげます。私は急いで部屋から出て行きます。「なぜだろう」と思います。

“感じなかった幸せ” の続きを読む

時が過ぎてゆく

ビジネスシューズ

私は仕事用の革靴を3足しか持っていません。

黒のストレートチップ、濃い茶色のプレーントゥ、明るい茶色のウイングチップで、いずれもリーガル社製です。それぞれの靴の色に対応したベルトも持っており、靴に合わせて着用します。

ここまで仕事用の靴を減らしたのは衣類を持ちすぎることにうんざりしたからです。「カッコよくいたい」という気持ちはいつもありました。しかし、私はいろいろな服を上手に着こなせる人間ではありません。

もちろん、いいデザインのジャケットなんかを目にすると「こんな服を着こなしてみたいな」と思います。しかし、ジャケットは単体でカッコよく見えるのではなく、トータルの着こなしの中で存在感を放ちます。

どのように着こなしたら良いのか、学んで場数を踏んでいけばそれなりにサマになるのでしょうか、私はそのようなことに興味は持ちつつもお金と時間を使うことをあきらめました。

いろいろと服を買い続けてもカッコよく着こなせない自分に気づいたからです。それに服の管理には時間もメンタル面の労力もかかります。そんなことより語学や読書に時間やエネルギーを使う方がよいと思いました。

“時が過ぎてゆく” の続きを読む

振り回される

ディスプレーの濃淡

ブックマークからサイトにアクセスしてIDとパスワードを入力すると、私の視野に数字の並びが飛び込んでくる。その数字は見るたびに異なるもので、時には「いつの間に?」と思うほど予想より大きく、またあるときは「嘘だろ!」と思うくらい小さかかったりする。

私に提示される数字の元となっているものは、私が所有している株式や投資信託やETFの時価を足し合わせたものである。これらの価値はは東京やニューヨークで市場が開いている時間絶えず変動している。また外国為替取引には休みがなく、お金の価値はずっと変わり続けている。

そういった理由で、私が証券口座にログインするたびに私の目にする数字は一つとして同じであったことはないのであるが、この私が一喜一憂するこの数字とは何なのか考えてみると不思議な気がする。

“振り回される” の続きを読む