日課になってしまった
7月の初め頃、妻がやたらと「おしん、面白いよ」といい始めました。妻は、大抵歌を歌いながら家事を行うのですが、そのころ歌詞のないインストを多く口ずさんでいました。そしてそのインストは、おしんのテーマ曲であると後でわかりました。
「そんなに面白いのか」という疑問を抱きながら検索をかけると、36年前のリアルタイムや今まで何度か行われた再放送を見た人に加えて、初めておしんを見る層でも人気が出ているようでした。
日本のテレビドラマ史上最高の視聴率をとっている作品で、世界の多くの国々で放送されたことは知っていましたが、実際におしんの内容を言えと言われても頭に思い浮かびません。繰り返し放送される筏での父母との別れのシーンから、貧しい小作の娘で奉公に出されて苦労する話、ぐらいの印象しかありませんでした。
ネットをさらに検索すると「地獄の佐賀編」とか「台湾で23回目の再放送」とか「エジプトで放送中止により暴動発生」とか、このドラマの持つパワーがタダならぬことを感じさせるフレーズが現れてきます。ツイッターの「#おしんチャレンジ」が盛り上がっていることも知りました。
地獄・23回目・暴動・チャレンジ、HNKのテレビ小説とは親和性の薄い言葉だと思います。
「俺も人生の折り返し点を過ぎたし、この辺でおしんを見とくか」次第にそんな気持ちになった7月中旬、妻に言いました。
「おしん録画しといて」
「もうしてるよ」
家のHDレコーダーはほぼ妻が独占使用しています。ほぼ妻の好きな番組で埋まっています。一言で言えばジャニーズがらみです。半分妻の宝物のようなレコーダーです。その一角に私に見せたかったおしんがたまっていました。感謝です。
田中裕子と
上京したおしんが、おたかの内弟子となり、竜三と出会います。時は大正時代後半、ここが私のおしんデビュー。2~3話見るうちに、私も妻が口ずさむインストを無意識のうちに声にするようになりました。時々、妻が「源じいーっ!」と独り言をいう気持ちも理解することができました。
田中裕子の姿を見るのは本当に久しぶりでした。このころ20代中旬だと思いますが、彼女の演技力に引き込まれていきました。竜三との馴れ初め・結婚・出産、事業の開始、関東大震災によるすべての喪失、地獄の佐賀編、佐賀脱出後の東京でのどんどん焼き、酒田での加賀屋の開業、伊勢への移住。見はじめて4か月ですが、まるでジェットコースターに乗っているように、おしんの境遇が次々に変わっていきます。
基本的につらい出来事が多いのですが、その中に心安らぐようなことも挟まれています。田中裕子の演技は、それら高速で変化していく境遇を長台詞と何も言わない時の表情で表現していきます。弱者に対する憐憫の情、困難に見舞われた時の固い決意、時折見せる竜三に対する感謝と甘え。ストーリーも非常に面白いのですが、私は毎日この田中裕子の表情の変化を味わいたくておしんを見続けているように感じます。
田中裕子だけではなく、赤木春江、ガッツ石松、観世陽子が出演する回も心待ちにしています。最近の、伊勢編前半では赤木春江の「おたい」の声の響きと人情味ある姿が私を癒してくれます。ガッツ石松の健さん役は橋田寿賀子が彼のために作った役らしいです。その裏話を聞き、私も泣けてきました。観世陽子さんの「恒子さん」は地味ながらいい働きをするいぶし銀のような役割です。ツイッター上でも話題になっていました。地獄の佐賀編では最強の憎まれ役で、私も腹を立てましたが高森和子も素晴らしい役者さんだと思います。その他、渡瀬恒彦、泉ピン子、伊東四朗といった超大御所たちの昔の姿も見られます。この人たち、若い時から後に続くオーラを持っていたのですね。
80過ぎてもモヤモヤ
毎日帰宅して、コンタクトをとって、弁当箱を出して、ソファーに座っておしんを見る、これが日課となり、楽しみとなりました。
そんな話を職場でしていると、この番組のすべての回を録画している同僚がDVDを貸してくれました。私の見逃した約3か月間の放送です。
最初の数回を見て、「そういうことだったんだ」と思いました。今更ながらですけど、このストーリーは83歳になった乙羽信子演じるおしんの回想なんですね。昭和58年の日本が基本の軸となって、そこからおしんが過ごしてきた明治・大正・昭和を振り返っていくという流れです。おしんファンには当然すぎる事実を、私は今回初めて知りました。
おしんは80歳を過ぎて思ったのです。”今までの私の人生は何だったのだろう。どこで道を間違えてしまったのだろう”と。
これは考えてみると、とても重いことです。
乙羽信子のおしんは83歳にしては若々しく、孫のように可愛がる圭に接する姿も余裕があるように見えますが、彼女が抱えていたものは83年間の人生すべてなのです。子供のころから苦労を重ね、時代に翻弄されながら浮き沈みを重ね、経済力もつき、子孫にも恵まれた彼女が人生の最終章になってモヤモヤを抱えているのです。すべてを放って旅に出なければならなくなるのです。
橋田寿賀子が書いた脚本ということはわかっていますが、これは今モヤモヤの私にとって考えたくないお話です。なぜなら、これは誰にとっても程度の差はあれ十分にありうる話だからです。高齢になり、失意の中で人生を閉じる、私の身の回りでもよく聞く話です。
人生の折り返し地点でモヤモヤを感じ、それを解消したくて自分の気持ちをブログに書き綴っている私です。心の中には、そのうちモヤモヤを解消して幸福そうな顔をしながら年を重ねる私がいます。死ぬ直前が一番幸せな状態でありたい、そんなことも考えます。何となくそうなりそうな気はするものの、それは全く保障のないことです。
物語の中のおしんと比べると、境遇的にも経済的にも私は苦労していないに等しいのですが、これから自分の心やそれに伴う生活の状態が上向き、分相応の幸福を実感できたとして、それが80歳を超えて崩れてしまったら私は何を感じるのでしょうか。行いたくない想像です。
妻につられて何となく見始めたおしんですが、よくも悪くも私にモヤモヤについて考える材料を与えてくれます。見ている時は、素晴らしいストーリーの展開力と役者たちの演技力にそんなことは忘れて物語に引き込まれているのですが、何気ないときふと考えてしまいます。80を超えてモヤモヤなおしん。私も順調に生きれば80になる時がきます。その時、どんな気持ちでこの物語を見たことを回想できるのでしょうか。