「今」を重ねる

試験の後で

昼過ぎにイタリア語検定が終わり、会場のビルのエレベーターでスマホの電源を入れるとLINEにメッセージが入っていた。

「ビルの前に待ってる ベンツ 黒 ナンバーは・・・」

エレベーターを降りて小走りに建物の出口へ向かう。自動ドアが開くと前の道にメッセージ通りの車が止まっている。近づくと運転席に懐かしい顔が見える。RB先輩だ。

「お久しぶりです」と助手席のドアを開ける。少し歳をとったが相変わらずかっこいい。LEONのモデルになってもおかしくない。

「会社に行って飲むか」

私たちは北浜から先輩の会社へと向かった。

私は大学時代音楽系のサークルに所属しており、RB先輩とはそこで知り合った。音楽はもとより生き方に関しても憧れていた先輩で、私は卒業後も数年に一回程度であるが会いにいかせてただいていた。

ただ、最近は訪問する期間が空いていた。神戸と大阪、距離はそれほど離れているわけではない。年賀状にも「今年こそは」と毎年のように書いていた。それにも関わらず、私は「会いましょう」という踏ん切りがつかなかった。

仕事に追われ、二つの語学に追われ、読書に追われ、私は自分を取り巻くものに常に追い立てられ「時間がない、時間がない」と言っていた。しかし、それは私の言い訳に過ぎない。

私は自分で自分に縛りを作り、それを行うことを選択した。その縛りが私にとって重要なことであるかどうかはわからない。そうやって縛りを作って新しいことをやらない言い訳を持つことはある意味楽な生き方である。

同じことを続けながら違った結果を求めることは愚かなこと、私に必要なのは情熱を持って直感に従った行動をすることだ。今回私を動かしてくれたのはある映画であった。

今年のお盆、ネットサーフィンをしていた私の目にその映画のタイトルは飛び込んできた。

「シーナ&ロケッツ 鮎川誠〜ロックと家族の絆〜」

見ないわけにはいかない。HPを見ると8月下旬に短期間ではあるが神戸でも上映するという。私は久しぶりに映画館へ行った。そしてその後すぐにRB先輩へ「久しぶりに会いませんか」とメッセージを送った。

先輩はロックンロールが好きで学生時代にサンハウスの曲も演奏していた。2010年のサンハウス復活コンサートにも行き、その時興奮気味に私に電話をしてきたことを思い出したのだ。

久しぶりに会って鮎川誠やサンハウスの話がしたい。それに私はもう一つ先輩に聞きたい話があった。

仕事と遊びと

会社に到着し車を駐車場に停めて建物の中に入る。RB先輩は約20年前に社長になった。勤めていた会社をやめて、仲間と一緒にデザイン系の会社を立ち上げた。楽しそうに見えた。どうやったら会社が作れるのだろうか、私には想像もつかなかった。

仕事場を横目に見ながら奥へと進んでいく。大きな書庫がある。私が今まで読んできた本が全て入りそうな大きさだ。その奥には楽器置き場。楽しそうな職場だ。そして私たちはこの建物で一番素敵な部屋へと入って行く。

ドアを開けるとカウンター、その後ろにはレコードとオーディオ、もちろん酒瓶も並べられている。壁には飾り付けられたギターやベース、サインの入ったサンハウスのポスターも見える。

純粋に音楽とお酒と会話を楽しむ場所。仕事と遊びの境界が溶けた場所。そんな場所が会社の中にある。

私は若き日に職場の先輩教師から聞いた話を思い出した。学校で酒を飲み、語り合い、そのまま泊まった話。私の採用された頃にはもうそんなことはできなかった。それでも生徒のいない定期考査中の午後には、職員のレクリエーションが残っていた。体を動かして楽しんだ後は、場所を変えて皆でお酒を飲んだ。

現在、私の職場はただ仕事をするだけの場所になっている。働く者同士は、できるだけお互いの仕事以外の部分に立ち入らないように気を配っている。名簿や住所録も作られなくなり、年賀状のやり取りもなくなった。

そんな私から見ると、仕事を終え、そのまま音楽とお酒が楽しめるRB先輩の会社は夢のような場所に思えた。

カウンターで

カウンターに腰を掛けてビールを飲む。目の前のターンテーブルではサンハウスのアルバムが回っている。私が普段スマホのイヤフォンから聴く曲が前後左右のスピーカーから聴こえてくる。JBLは分かる。しかしイギリス製というもう一組のスピーカーは名前すら聞いたこともなかった。私にはおそらく一生縁のなさそうなサイズと価格であった。

二人並んで話を続ける、ロックについて、仕事について。前回会ったときはライブハウスでイベントをした時だった。その前も、その前も。そう考えると、こうやって二人きりでお酒を飲みながら話をするのは20年以上前になるだろう。私にとってはとても贅沢な時間が過ぎていく。

ビールがウィスキーに変わり、流れる音楽もサンハウスからビートルズへ変わる。それはストーンズになり、ザ・フーになった。普段は主にメタルを聴いている私であるが、こうやって二人で話をするときは昔のイギリスのロックが心に染みる。

会社を経営することについて先輩に尋ねた。そして、私もいつか何かをしてみたいと思っていることも。

ただ、この先輩の前では自分の考えがうまく言葉にできない。今まで生きてきた道のりとその熱量が違いすぎるのだ。持っている器の機能美と容量も違いすぎる。話がうまくできない自分がもどかしい。

何の不自由もなく中年まで過ごし「これでいいのか、幸せとは何なのか」と焦っているのが私。先輩は壮絶な少年期を過ごしながらも、自分の手で道を切り開いてきた。今話を聞けば私が一緒に過ごした大学時代も決して楽ではなかった。

ではどうして、あんなに余裕のある表情をしていたのだろう。今も、30年前のあの時も。RB先輩はいつも余裕の表情で遠くを見ている。そこがたまらなくかっこよかった。

「帰ってくる場所はあるんか?」

「何かをやってダメだった時に自分が帰ってくる場所は持ってるのか?」

私は言葉が出なかった。

通訳案内士、明石焼きの店、農業、相撲バー、サウナー、ブロガー、そして教師。やってみたいこと、やっていることはある。だがこの人の前で私がそれを言葉にしても、軽い。木の破片を水に沈めるような気分になる。すぐにぷかぷかと浮かび上がり落ち着かない。

「俺は作品が作りたい。そして人に会いたい」

月と6ペンス

私は先輩の言葉を聞いてモームの代表作「月と六ペンス」の一節を思い出した。ロンドンでの全てを捨てパリで絵を描き始めた主人公ストリックランドは、彼を連れ戻すために説得に来た「私」にこう言い放つ。

‘I tell you I’ve got to paint. I can’t help myself. When a man falls into the water it doesn’t matter how he swims, well or badly: he’s got to get out or else he’ll drown.’

「おれは描かなくてはいけない、といっているんだ。描かずにはいられないんだ。川に落ちれば、泳ぎの上手い下手は関係ない。岸に上がるか溺れるか、ふたつにひとつだ」

サマセット・モーム 「月と六ペンス」

私はテーブルの上の冊子を手に取りパラパラとめくった。先輩の会社が今まで作り上げてきた作品の写真集であった。日本の、そして世界のいろいろな場所でRB先輩は作品を作り、いろいろな人に出会ってきた。

20年以上にわたって仕事を確保し、従業員たちに給料を払い続けるのは容易なことではない。しかし、それ以上に先輩は作品を作り、人と出会いたいのだ。そしてそれが先輩にとって戻るべき場所、原点になっている。話をしていてその熱気がひしひしと伝わってくる。

「この人のような楽しそうな表情で、この人と同じ情熱をもって、自分のやっていることを語ることができるのだろうか。」

私は自問する。

「好きなこと」はある。語学を行い、農業を手伝い、本を読み、旅をして、明石焼きを焼き、サウナに入り、相撲を見て、それらを文章にする。

では、私にとってそれらは「何があっても最後に帰ってこられる場所」であるのだろうか。川に落ちたときの’he’s got to get out or else he’ll drown.’ という状態でやっているのだろうか。そもそも、そのような生き方を私は心の奥底から欲しているのだろうか。

人の一生は短い。小さなころから分かっていたそのことを実感として感じた時、私はブログを書き始めた。自分の心の中を見るために、分相応の幸せを感じるために、これからの人生に絶望しないために。

流れる音楽はザ・フーから日本のザ・モッズへ、そしてストリートスライダーズへと変わった。「道化者のゆううつ」の歌詞を二人で口ずさむ。3時間前に封を切ったボトルが空になろうとしている。さすがに飲み過ぎだ。

私は先輩に聞いてみたい質問があった。30年前から変わらず、どんな時も余裕の表情で楽しそうにしていたRB先輩に聞きたかった。

「先輩は人の一生を、生まれて生きて死ぬことをどうとらえていますか」

それは私に取りついて離れられない問いであった。人は生まれ、生き、そしてやがて死をむかえる。世界中の誰もがそうだ、そしておそらくこの私も。そんな中で何を求めて過ごしたらよいのであろうか、もう十分に中年オヤジになっても私はそんなことに囚われて、考え続けている。時々そんな自分が嫌になるぐらい、私の頭にこの問いは居座って離れてくれない。

私は結局その質問をしなかった。するのは野暮だと思った。答えは分かっているからだ。RB先輩に限らない、楽しそうで輝いた人生を送っている人は例外なく「今」を生きている。一日一日、今日というこの瞬間を一生懸命に生きるから人生は輝くのだ。死は、その積み重ねの先にあるものに過ぎない。

私のように「人生とは」とか「死とは」など考え続ける人は、結局は過去と未来に囚われて「今」が抜け落ちているのだ。先輩は少年期から現在に至るまで「今」を必死に生き続けてきた。「今」を積み上げてきた。ストリックランドの’he’s got to get out or else he’ll drown.’の状態である。

水の中で必死になっているとき、人は未来や過去のことなど考えない。今できる最善のことを行うだけだ。そしてその積み重ねが「生」を浮かび上がらせる。

「それ、持って帰っていいぞ」

私は帰りの電車の中でいただいた作品集を眺めた。先輩が必死に積み上げてきた「今」が、美しい形になって私の網膜に映しだされる。そこには映っていないが、その後ろには作品を生み出した人と人との繋がりがある。

「自分には何ができるのだろうか」

私は自問する。答えはすぐには出てこない。しかし、やるべきことはわかる。「今」を、「今日一日」を懸命に生きるのだ。私が囚われているものから自由になるためにはそこしかないと思う。

自分の直感を信じて、自分をその川の中へ落としてみるのだ。泳ぎは下手でもいい。泳いでいる実感が湧いたらもう一度、RB先輩に連絡してみようと思う。その日を楽しみに私は「今」を積み重ねていきたい。

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投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。