京都駅午前7時半
兵庫の自宅を早朝に出発し、朝7時半の京都駅で列車を待っています。9月中旬の日曜日。今日の目的は豊岡の街を散策することと、先月食べ損ねた和田山駅の牛肉弁当を手に入れ、そのままビールと共にお腹へ落とし込むことです。
今回もユーチューバー「スーツ氏」のおかげで鉄道好きになりつつある次男と一緒の日帰り旅行。GoToキャンペーンの最中であるとはいうものの、何となく県外に出ることをためらわれる雰囲気の中で、それでは経路だけでも県外経由で行こうとなりました。
建て替えの頃には随分と議論を巻き起こした京都駅の駅舎ですが、4半世紀を経て街になじんできていると思います。改札前から眺める、その駅舎の作りに次男が驚いています。そういえば前回家族で京都へやってきた時はJRではなく阪急でした。駅舎の壮大さに感心する次男に対し、調子に乗った私は日本最長のホームの解説を加えます。
その日本最長の0番線の西の端である30番線から、私たちの乗る「特急きのさき」は出発します。朝食の駅弁を買い、列車に乗ると気の毒になるぐらいの乗車率です。
列車は定刻に出発し、朝食を食べたいところですがここから亀岡までの約15分間はお預けです。列車から見るべきものが多すぎるからです。京都を走る鉄道の中で一番景色が良いのは今乗車している山陰線です。特に市内高架工事が完成してからは、丹波口から花園にかけて京都の街並みが少し上からの視野で楽しめて、もっとゆっくりと列車を走らせてほしいほどです。
高架から地上に移り、嵐山を過ぎるとトンネル区間が始まります。このトンネルとトンネルの間に現れる保津川の景色も見逃すわけにはいきません。私は旧線区間をディーゼル特急「あさしお」に乗ってこの場所を通過したことを思い出しながら、亀岡まで窓に額をつけて過ごしました。
亀岡を発車し、ようやくお弁当を開き朝食です。列車は北西へと向かって行きます。園部までは複線ですが、そこから先は電化はされているものの、カーブが続く路線となります。普段乗り慣れているJR神戸線とは異なる沿線風景に、私も次男も頭を右へ左へと傾けます。「あさしお」に乗っていた時には無かった高規格道路がここでも現れ、ガラガラの車内との対比に複雑な心持ちになります。
和田山で目視確認
久しぶりの平野に出た綾部からは目の覚めるようなスピードで「きのさき」は疾走します。由良川を渡り、明智光秀で有名なお城を右手に見るとすぐに福知山です。わずか4両編成の車内はいよいよ人がいなくなりました。
私たち二人はほぼ貸し切りとなった自由席の思い思いの席に移動し、車窓を堪能します。府県境のトンネルを超えて梁瀬を通過すると和田山です。私たちはこのまま豊岡まで乗りますが、後で引き返してここの牛肉弁当を買う予定です。
私は進行方向左側の席へと移動して窓の外に注目します。列車が和田山駅を発車し、目の前の播但線用キハ47が途切れるとその先に駅弁業者福廼屋の建物が見えました。私は入り口付近を凝視します。先月鍵がかかっていたあのガラスドアが少しずれていて、開いているのがわかります。
「よし、今日の昼は牛肉弁当とビール!」
私は安心して豊岡へと向かいました。
豊岡で約2時間街を散策しました。次男の見たかった場所を数カ所訪問しながら二人ブラブラと歩きます。街のいたるところに演劇祭のポスターが貼ってあります。平田オリザ氏がこの街に移住し、今、演劇を中心にこの街が変わろうとしています。
私は10年以上前に訪問したイングランド南西部、コーンウォール地方にあるSt.Ives(セント・アイヴィス)という街を思い出しました。田舎の海岸沿いにある街ですが、芸術家たちが多く移り住み、小さな街にも関わらず全国から人を引き付ける魅力ある街でした。時間をとって再訪したい、そう思わせる街です。
この豊岡も、城崎温泉には芸術家たちがが集まる工房が開設されていると聞きました。都会への人口流出と車社会の到来によって、歯抜けで活気のないかつてのメインストリートを歩きながら、この場所にまた人が集まってくることを切に願い駅へと向かいました。
但馬地方最大の街にあり、交通の要衝である豊岡駅は、それなりの鉄道設備が地上駅に併設される形で残っていて、鉄道好きの目を楽しませてくれます。今日も駅を東西に跨ぐ跨線橋からの眺めに「鉄萌え」してしまいました。
SL時代の給水塔、薄っすらと緑がかった軌道、体を曲げて横たわる赤いディーゼルカー。このような景色を見ていると、もはや鉄道車両が単なる機械には見えません。紫煙を履き、ブルブルと体を震わせながら走る感情を持った生物です。
この真っ赤なキハ47、国鉄時代の製造からもう40年が経過しています。私は、若い頃にはこの形式の非力なエンジンに物足りなさを感じていました。しかし年齢を考えてみると、この車両も私と同世代です。そう思うと「いつまでも元気で走り続けてくれ」という気持ちになります。
晴れた日の昼前の豊岡駅ホーム、こうして眺めていると様々な感情が胸に湧き上がってきます。
場所によって材質や高さの異なるホーム。その低い部分には国鉄時代の駅名標が見えます。それにしてもこの長さはどうでしょう。寝台特急「いずも」は11両の堂々たる編成でこのホームに身を横たえていました。
雑草を両脇に従えた着回し線は、ほとんど使われているようには見えません。かつては多くの主要駅に存在したこの役割の鉄路も、今では希少な存在になっています。
明治後半にここに鉄道が開通してから100年以上が経過しています。細かい部分は変化していきますが、駅の基本的な構造は100年前のままです。この長いホームから多くの兵士が出征して行き、戦後は京阪神や東京へ若者が旅立っていったことでしょう。人気のほとんどないホームで私はこの場所の栄枯盛衰に思いを馳せました。
先月のリベンジ
2両編成の普通列車でゆっくりと南へ下ります。この区間は特急列車の運行が多く、それらを単線でさばいているため普通列車は頻繁に列車の通過待ちを行います。「もう少し兵庫県の南北バランスが整い、但馬地方が発展していたら、間違いなく複線になっていた区間なのに」そんなことを考えながら一駅一駅と「牛肉弁当の駅」へ近づいて行きます。
豊岡から約40分かけて和田山に到着。「ビールをどこで買おうかな」と考えながら余裕の表情で駅前の福廼屋へと向かいます。前回振られてから1か月、待ちに待った牛肉弁当です。
行きの特急「きのさき」の車内から入り口のドアが開いていたことは確認しています。近付いてみると前回閉まっていた建物左側のシャッターも開いています。私は軽やかな気持ちでガラスドアを引いて言いました。
「すみませーん、弁当くださーい!」
「・・・・・・」
「すみませーん!」
「・・・・・・」
多分、配達にでも行っているのだろう。現にこうして建物は開いているのだから営業はしているはず。
私たち2人は駅前をしばらく歩き再訪することにしました。街はきれいに区画されていますが、そこにある店はほとんど営業をやめているか、その日は休業しています。人の姿もほとんど見られません。私は行ったことも無いアメリカのかつて鉱山で栄えた想像上のゴーストタウンを思い浮かべました。
10分ほどで駅前を1周して、気持ちを新たに福廼屋へ訪問します。先ほどより少し余裕がありません。
「すみませーん、弁当くださーい!」
「・・・・・・・」
15分前と同じ展開が繰り返されます。「牛肉弁当+ビールの昼ご飯」を確信していた私の自信が曇り始めます。
「もしかして電話をかけたら配達員に転送されるかもしれない」そう思い電場番号を入力するとスマホのモニターに「和田山駅駅弁」の文字が。記憶には無いがかつてここに電話をかけたことがあったということです。
「プルルルル、プルルルル」
店舗内、私たちの目の前にある電話から虚しい音が響きます。いくら鳴らしても、誰も出てくれません。私の自信が急速に色あせていきます。
私たちは今、店舗の中にいます。左手には事務所が、右手にはテーブルと椅子が、よく見えませんが正面には調理場の気配が感じられます。私たちがこうやって人気のない建物の中にいることが不思議な感じがします。鍵もシャッターも開いています。弁当のサンプルもあります。人だけがいません。
昼ご飯→ランチ
和田山駅に引き返して駅員さんに話しかけます。どうやら休日は営業をしていないことが多いそうです。
「でも店は開いてましたよ…」とのど元まで出かかるが、そんなことを言っても現実が変わるわけではありません。駅員と話をする父親をよそに、次男はすっかり諦めモードに入っています。
「すみません。イオンモールまでお願いします」
駅前がゴーストタウン状態であることは先ほどわかっていたので、私はタクシーの運転手に無粋な注文をしました。この街の中心街は駅前から国道沿いへ移って久しいことは知っていました。
そのイオンモールでも「牛肉弁当」と勝負できるようなお昼ご飯は発見できません。どこにでもありそうなフードコートで次男にとん平焼きと焼きそばを食べさせて、育ち盛りの胃袋を静めます。
しかし私の気持ちはモヤモヤです。たかが昼ご飯の話ですが私の期待が大きすぎたのでしょう。その期待の大きさが次男にも伝播し、焼きそばを食べながら彼もさえない表情をしています。
「もっとニュートラルな心持ちになることができれば、目の前のことをありのままに味わうことができれば、どんなことも前向きに受け入れられるのに」そう思います。
駅へ向かう途中、私はマクドナルドに立ち寄ってテイクアウトのビックマックを購入しました。私にとってマクドナルドは1年に1度食べるかどうかの、ある意味”ハレの”食べ物です。
かつての鉄道の要所、和田山駅の1・2番ホーム上の向かい合ったベンチで、私はビックマックを食べながらサッポロ黒ラベルを飲んでいます。対面にはポテトをつまむ次男がいます。
ガランとした広い構内、人気のない長いホーム、その真ん中で私は特急「はまかぜ」を待つ十数分間の間、息子と「人生にはうまくいかないこともあり、それを含めての楽し人生なんだ」そんな話をしました。所ジョージからの受け売りで、そのまま自分に言い聞かせたい言葉でもあります。
今私がビックマックと黒ラベルを楽しむことができたら、その言葉にも説得力が出てくるかもしれません。「父から子へ」、私は今親としての力量を試されているでしょう。
牛肉弁当の「お昼ご飯」から、ビックマックの「ランチ」になってしましましたが、合いの手であるビールは変わりません。私は酔いに任せて人気のない和田山駅のホームで次男と会話をします。
そのうちこんな気分になってきました。「牛肉弁当より何より、今日こうやって息子と向かい合って食べる昼ご飯を楽しもう」。
実際そうなんです。子供たちが急速に私たち親から離れていくのがわかります。子育てとは100%親への依存から、その割合を減らしていく過程だということもできます。それは親にとって「嬉しくもあり、寂しくもあり」そんなアンビバレントな気分を味わうことでもあります。
ずっと変化しないお弁当の味ではなく、親と子の関係は一日として同じ塩梅はありません。私は、口元にうっすらとヒゲの見える次男とそんな貴重な時間を過ごしています。この瞬間が不可逆的な過程の一部だと知りながら。
ハンバーガーと缶ビール2本を胃に収めた私は、良い心持で特急「はまかぜ」に乗り込みました。
「牛肉弁当に2回振られたということは、次食べることへの期待が2倍に膨らんだこと」そう思いながら、また和田山を訪問しようと思いました。「人生はトントン」それが実感できれば、私のモヤモヤも変わってくると思います。