お昼ご飯を食べに

価値観が変わった

ブログを書き始めて次の6月で3年になります。書くことは自分の頭の中を見える形、つまりディスプレイに表示された文章にして、自分の網膜へと映し出し、そして最終的に自分の頭へと戻してやる行為です。

ひとつひとつの文章は大したことありませんが、継続の効果は確かに大きく、書くという行為を続けていくと自分の考え方が変わるのが分かります。

行動が変わるから考え方が変わるのか、考えが変わるから行動が変わるのか、おそらくその両方の相乗効果だと思いますが、この3年間に私は数多くの新たな経験をしました。

その中の一つが株による資産運用です。

私は絶対に株なんかする人間になるとは思っていませんでした。株好きの父親から「いつも心が落ち着かない」と聞いていたこともあるでしょう。のべつ株価の上がり下がりに気を取られる生活なんて面白くないと思っていました。

そんな私は今、証券口座を管理しています。私がイメージして避けてきたのは、短期のキャピタルゲインを得る株式投資であったことが分かりました。そして、私の性に合う株式投資があることも知りました。高配当株やETFによるインカムゲインを目指すものです。

爆発力がある投資ではありません。しかし、一度銘柄を選定すれば、後は定期的に買い増して行くだけです。まだまだ、額は小さいけれど、育っていくほど私のサイドFIREが近づいていく、そんな楽しみのある投資です。

投資を始めると明らかに私の価値観に変化が生まれました。小さな額のお金に敏感になりました。それは、配当金とその元本で物の値段を考えるようになったからでした。

例えば、一株1000円で配当利回り5%の株式を100株所有していたとします。1年間に入ってくる配当金は5000円、そこから税金を引かれて手元には4000円弱のお金が残ります。

4000円のものを買うとき、私はその後ろにある10万円を見ます。そして「私が買おうとしているものは、10万円が1年かけて生み出す4000円の価値があるのだろうか」そう考えるようになりました。

これは今までになかった感覚です。学生時代のアルバイトを思い出し「これはパチンコ屋さんで4時間分の労働と等価か」と考えることはありましたが、投資の元本を基に価値を測定することはありませんでした。

4000円の配当を生むためには元本の10万円は株式の状態のままに保っておく必要があります。つまり自由に使うことはできません。それだけに、生み出された配当は愛おしく、その使い方には慎重になります。

実は証券口座を開設して株を買い始めたことも、このブログを始めた効果の一つです。今までお金を貯めるといえば銀行に貯金することしか知りませんでした。貯金すればお金や将来に対する不安は消えるかと言えばそうではなりません。

私の抱えるモヤモヤの一つは「将来にたいする漠然とした不安」であり、その不安はお金が大きく絡んでいます。そんなことを考えるうちに株を始めたのですが、そのいきさつは長くなるのでこの記事では書きません。

ともかくキャピタルゲイン重視のポートフォリオを組み(2年前の私がこんな言葉遣いをするとは想像もできなかった!)コツコツと投資を行ううちに、私は少額のお金に対して敏感な性格になりました。

生活がどう変わったのか

細かなお金の価値に対して敏感になり、私の生活はどう変わったのでしょうか。お金を出し渋る人間になったのでしょうか。

自分が以前よりケチになったとは思いません。むしろ人のために使うお金の量は増えました。

株を始めてから、プレゼント用の口座を作りました。一日の終わり、小銭入れのコインを貯金箱に入れ、いっぱいになればその口座に移します。

最近は現金で買い物をする機会が少ないため、小銭はなかなかたまりませんが、それでも年間に5万円ぐらいになります。その口座のお金は私以外のために使います。お世話になった人や友人にプレゼントを贈ります。

プレゼント口座以外では、街頭やコンビニでよく寄付をするようになりました。もちろんすべてに対してではありませんが、趣旨を見て「役に立ちたいな」と思えばお金を入れます。

これらのことは以前の私にはあまりありませんでした。

私が変わったのは「本当に価値があるのか。同じ価値を別のもので得られるのなら、お金がかからないほうでよいのではないか」そう思うようになったことでした。

その端的な例を2つ挙げると、コンビニに行かなくなったことと、外食をあまりしなくなったことです。

私は朝起きてすぐに朝食を食べられない人間です。したがって、職場に行く途中コンビニでパンを買って食べていました。ついでにコーヒーのボトルとガムやミント類も購入します。なんだかんだいって、毎朝500円ぐらいコンビニで使うことになります。

私は食パンにジャムを塗って持っていくことにしました。スキッピーのピーナッツバターとジャムサンドです。(これについて語ると記事1本分になるので、ここでは軽く流します)

360mlの魔法瓶を買い、毎朝コーヒーをたてて持っていきます。使うのはUCCの袋入りコーヒー。コーヒークーポンがついていて、600ポイント貯まると新たなコーヒー2袋に交換できます。

ミントやガムは口臭予防のためで、喫煙していた頃のクセで続けていました。もうずいぶんタバコを吸っていません。タバコ臭はなくなっても、今度はオヤジの口の匂いがあるかもしれません。私はガムやミントの代わりに、こまめにフロスや歯間ブラシを行うようになりました。

外食の回数も相当減りました。

仕事の日、昼ご飯を外に食べに行ったり、弁当を買ったりすることもなくなりました。カバンは重くなりますが、私は毎日弁当を持っていきます。

休日の昼間も外食が多かったのですが、どうしようもないとき以外は家で食べるようになりました。自分でも台所に立って、よく料理を作ります。

これらの2つが株に投資を始めてから私に起こった大きな変化です。

コンビニで使う500円、外食で支払う1000円が私に呼び掛けてくるのです。

「その金額を25倍してみなさい。その元本が1年かけてやっとそのお金を生み出すのです。今買おうとしている満足を他の手段で得ることはできませんか?」

馴染みの立ち飲みで楽しい時を過ごすとか、どうしても読みたい本を買うといった、代替がきかないものに対してお金を払うことは価値があると思います。友人へのプレゼントもそうですし、家族で楽しい時を過ごすための出費も同じです。

しかし、コンビニで買うパンやコーヒーは、家で作ったトーストやコーヒーで十分代替可能です。外食する代わりの弁当も同様です。すこし手間はかかるかもしれませんが、外でわざわざお金を払って得られるものと同等以上の満足が得られます。

得たものと失ったもの

私の生活が変わり、私は何を得て何を失ったのか考えてみます。

まず得たものですが、明らかに財布のお金が減らなくなりました。コンビニでも、飲食店やお弁当屋さんでも、私はほとんど現金かICOCA(交通系カード)で支払いをしていました。ICOCAは現金チャージなので現金と同等です。

これらの場所で支払っていた細かな出費も、積もり積もればかなりの額になります。以前は週に一度、銀行のATMで現金を下ろしていましたが、今ではその回数もめっきりと減りました。

買い物はクレジットカードが中心となり、家計の管理もしやすくなりました。今現金で支払いをするものは、馴染みの立ち飲みと職場へやってくるヤクルトレディーぐらいでしょうか。

小遣いに余裕ができるとそれは投資にまわります。ある程度貯まれば高配当株を購入します。米国株は1株単位で買うことができるので、少額でも投資できて便利です。

投資を続けることは、無駄な支出を行うことに対して私をさらに敏感にしてくれます。

もう一つ得たものとしては、簡単な食べ物でも満足できるという気持ちです。

弁当は妻が作ってくれますが「簡単なものをご飯の上に乗せるだけにして」と言っています。私が作る時もそうです。ハードコア弁当ならぬハードロック弁当と呼んでいます。

そのシンプルな弁当をみそ汁とともに食べるとき「これで私は十分に満足できる」そう思えるのです。満足できるレベルが下がるということは、これからの人生で幸せを感じるうえで有利なことだと思います。

次に失ったものを考えてみます。

コンビニで買っていたパンや缶コーヒーは、家から持参するトーストと魔法瓶のコーヒーで十分に代替がききます。私が失っているのは、新たな飲食店に行く機会だと思います。

以前は休日出勤の日は必ず外食していました。それはいろいろな飲食店を開拓するよい機会でした。また、家にいても妻のいない休日は地元の飲食店によく行っていました。

今ではそういうこともほとんどなくなりました。仕事には弁当を持っていきますし、家にいるときは何か簡単なものを作って食べます。

さて、この記事のタイトルは「お昼ご飯を食べに」でした。

書き始めたときは、私が久しぶりにおこなった外食について説明して簡単に終わるつもりでしたが、投資に触れたところから思わぬ方向に展開してしまいました。これも文章を書く面白味ですが、今日は長くなったので続きは次回にします。

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。