思いがけない再会 思いがけない境遇
職場から信号を一つ渡りコンビニへ。用事を済まして、再び横断歩道で信号待ちをしていると、一台の大型バイクが私の右手前の路肩に止まり、運転手がヘルメットのシールドを上げる。
「道でも聞かれるのか」と思ったら「おーい久しぶり」の声が、運転手をよく見ると、それはかつての職場の上司だった。かれこれ7~8年ぶりの再会である。白髪が増えて、髪の毛の量は減っている。
私はこの上司、Wさんと馬が合っていた。少なくとも私の方はそう思っている。仕事の愚痴やこれからの展望など、仕事帰りの居酒屋でおでんをつつきながら、未熟な私の突っ込み所満載な話を否定もせずに聞いてもらったものだ。
7年ほど前、お互いに支店が変わり、直接の上司ではなくなると飲みに行くことはなくなり、少し疎遠になった。年賀状のやり取りも、ここ3年ほどない。
コンビニ前の横断歩道でしばらく会話が続く。そして予想外なことを知る。
Wさん、今、前立腺がん再発で放射線治療の帰り道だそうだ。
「2年前になあ、前立線ガンになってなあ、手術したんやあ。そんで、もう大丈夫だろうと安心しとったら、また値が上ってきてな、今は放射線治療や。はははっ!」
突然の話に、こちらは頭がくらくらしてきた。どうしてWさんは、そんなことをこんなに淡々と語ることができるのだろう。コンビニ前の人通りのある横断歩道の横で。
Wさんの話は続く。定年の前の年にガンにかかり手術。再雇用で1年働いたが、再発したから退職して、今は無職。放射線治療中。生活に支障はなし。バイクに乗っている時が楽しい。病気と年取って力が落ちたから、自動変速のバイクは楽でいい。でもニーグリップはしたいからNC700にした。
Wさんペースで5分ほど話をした後、「ごめんな、仕事の邪魔して。ほんじゃあ、この信号で横断歩道渡って!」。
私は、「僕からまた連絡します」と言い残し横断歩道を渡り職場へ向かった。振り返ると、もうWさんのNC700ははるか向こうに消えようとしていた。
自分ならどうするのだろう 悶々とする
その日は仕事をしていても、頭の中はずっとWさんのことを考えていた。Wさんを通じて病気や老いについて思いを巡らせる。
どんな気持ちなんだろう。ガンになるって。それも定年の直前に。手術して、安心したと思ったら再発して。その知らせをどんな気持ちで聞いて、どういう風に家族に伝えて、何を自分に言い聞かせて、どこを向いて今、生きようとしているのだろう。
今日の明るい表情や話しぶりからは、前立腺ガンはそれほど恐れることのないガンなのかもしれないと思った。無知は恐怖を和らげる。しかし、知らないことは、気付きを遅らせる。私は友人の泌尿器科医が「肛門に指入れて前立腺肥大を見てやるよ」と言っていたことを思い出した。
自分がもし同じ立場だったら。想像することを意図的に避けてきたことが、今日の再会で前景化する。
今人生の折り返し地点を過ぎた所、勝手にそう思っている。後半をモヤモヤしたまま過ごしたくない、はっきり幸福を実感するためにこのブログを書き始めた。「本当に折り返し地点なのか?マラソンでいえば40キロかもしれへんぞ」至極真っ当な問いが浮かび上がってくる。
人の生き死には誰もわからない。そのことは分かっても、いつも死を考えながら生きていくことはできない。気が狂いそうになってくる。どうすれば死の恐怖とうまく折り合いをつけながら幸せに生きていけるのだろう。
いろいろなことにモヤモヤを感じる私だが、突き詰めれば根本はここにあるのかもしれない。そいえばスティーブ・ジョブスも有名なスタンフォード大学でのスピーチで言っていた。「すべてのことは死の前では副次的なこととなる」と。
”inevitable”という英単語が頭に浮かぶ。「必然的」よりもなぜかしっくりと心にしみる感じがする。「不可避」でもいいか。
どうすることもできない「死」を、生きている間にどう扱っていくのか。強制的に、それを考えざるをえない状況に投げ込まれたとき、私ならどうするのだろう。
私は悶々としながら2日ほど過ごした。
二人初めてのツーリング
3日目の朝、この日は土曜日、私は思い切ってWさんに電話をしてみた。自分には想像もできない状況の中で、どうやって心を整えているのか教えてほしかった。
「遅いやないか。あの日の夕方にかかってくると思ってたぞ!」
Wさんの元気な笑い声が聞こえてくる。私たちは昼から、少し一緒に走ることにした。
神戸市北区の山道は、神戸市内でありながら信号も少なく、適度にアップダウンもあり、1~2時間バイクを楽しむには丁度いい。私が前を走り、Wさんがついてくる。「同じ職場だったころは、俺がWさんの後をついて仕事してたのに…」関係ないことが頭に浮かぶ。
428号線の峠を超え、淡河に下る途中、息をのむような景色に出会う。今までの谷沿いの狭い視界から、盆地全体を見渡せる場所に切り替わるのだ。
何度通ってもハッとする。「浸食と沖積によってこの盆地が形成されるまでにいったい何十万年かかったのだろう」いつも、自分、人間の存在の小ささを感じさせられるが、今日は特にその思いが強い。
「Wさんはこの景色、どんな気持ちで見てるのかな?」そして、いつもの心の悪い癖だが「もう一度Wさんとここを通ることがあるのかな?」そんな想像をしてしまう。
次の道の駅に着くなり「ええ道通ったなあ!神戸に住んどってここ通るのは十数年ぶりや」。思わず私のほほが緩む。
今川焼を頬張りながら話をする。3日前の横断歩道の会話と今日の電話、じっくりと話をするのは本当に久しぶりだ。途中、小さな集落の喫茶店に場所を変え、私たちはいろいろと語った。
どうしてそんなに冷静でいられるの?
Wさんは楽しそうに、しかし淡々と語る。
手術後尿の感覚が無くなり苦労したこと。男としての刺激を感じにくくなったこと。当たり前にできてたことができなくなった時の苦労。
やはり前立腺がんにはなりたくない。早めに友人に診てもらおう。
病気の話をしているのに、Wさんの表情が曇ったのは仕事の話をしている時だった。
私と別の職場に移った後、管理職として様々な苦労をされていたようだった。職場の親睦は薄れ、昇給が小さくなり、非正規雇用の割合が増え、短期での成果が求められる。集団で働いているのに、それぞれ周りの人のことを考える余裕がなく、誰の仕事かわからない仕事を誰もやらなくなった。
少なくとも私個人の目からは、この国全体でそんな雰囲気が蔓延しており、私たちの職場もその例外ではない。戦争ですべてを失った国が奇跡的な復興を遂げ、そしてその延長線上にある成熟の姿なのか、それと弱者を含めた集団で最大限の幸福を目指す人間性の資質の衰退なのか。
私がモヤモヤを感じるのと同じようなことでWさんは苦しみ、そして病気を機会に退職。
「でも仕事のことはもう考えなくてもいいですよね。」
私がそう言うとWさんの目に輝きが戻る。
今は、お子さんの送り迎えをしたり、お孫さんの世話をしたり、習い事の教室をされている奥さんのお手伝いをしたり、「大変だ」と言うけれど、語るその表情は楽しそうだ。
「ガンになったら保険がおりて、このバイクが買えた!」
まるで病気になったことがラッキーだったかのように語るWさんの気持ち、私はなかなか理解ができない。私の前で強がっているようには見えないし、それだけ仕事がストレスフルであったということか。
私は自分自身に問いかける。今どんな気持ちで働いているのか。自分のやりたいことと仕事のバランスはとれているのか。
「とれている」と断言できない。年々重苦しくなっていく空気の中で、私は自分の一部を押し殺しながら働いている。もちろん、楽しいことや充実感もある。しかし、年々それらご褒美の部分が減り、自分を殺す部分の割合が増えている、そういう実感はある。
なんのために仕事をするのか。もちろん生きていくためだ。妻や子供たちと共に生活をしていくために。しかし、そのためにはどれだけ稼いで、どれだけ貯めて、どんなお金の使い方をしていけばよいのか。そのためには今の仕事を続けていくべきなのか。今まで真剣に考えたことは一度もなかった。
お金に生き方の話が加わり余計複雑になる。これから生きていくのに必要な金額が分かったとする。そのために私はどんな生き方をするべきなのか。何を捨てて、何を得ればよいのか。今のモヤモヤのままでただお金を稼いでいればよいのか。いいはずはない。
お金と生き方に体の話が加わる。簡単に言えばいつまで元気でいられるのかということ。これは正確な計算ができない。しかし、あいまいな3つの要素の複雑なバランスをとっていかなくては充実した人生を送ることができない。
余裕を持って語るWさんは、普段からそのトレーニングができていたのだろう。自分がそうだったらと立場を置き換えて想像すると、少なくとも、ガンの再発後の治療を行う状態で、私が到達できる境地ではない。
再会を約束して
答えを求めてWさんと再会したが、結果的に考えることが増えてしまった。
三度目の北海道ツーリングの計画や、趣味である水彩画(写真を見ると趣味のレベルではなかったが)を語るWさんはとても魅力的に感じられた。
「生き死になんて誰も決めることができない。大切なことは今、今日一日を充実させること。」そんなメッセージが聞こえてくる。ブログを書き始めて気が付いた、私に一番欠けている部分である。
店を出て、帰路に付く。一緒に走っているが会話ができない。バイクの不便なところであるが、同時に良いところでもある。先ほどの会話を反芻しながら、エンジン音の聞こえる5m後ろを走る人は何を思っているのだろう、想像力が膨らむ。
途中、東と西へ分かれる道でクラクションを鳴らして別れを告げる。
「今度は前みたいに居酒屋で会おう」
喫茶店でバイクに乗る前に交わした最後の会話だ。
コンビニ前の再会からわずか3日間の出来事。次いつ会えるのかは分からないが、私は今日貰った人生に対する宿題を私なりに解いて持っていきたいと思った。