雨の日を楽しむ
ゴールデンウィーク最終日は、前日とは打って変わって雨模様となった。非常事態宣言下の5連休、私は基本的に自宅で語学や通訳案内士の勉強をして過ごしている。
五月晴れとなった一日、どこにも立ち寄らないツーリングに出かけようとしたが、ヘルメットの下から強烈に伝わってくる痒みに耐えかねて、僅か1時間で引き返してきた。
「掻いてもらった時の気持ちよさ=肌の荒れ」、今まで共存していたと思っていた荒れた肌を、幸せになるために気合を入れて治療しようと決意し、ここ数日間は1日2回のメンテナンスを怠っていない。
バイクがダメならということで、もう一つの好きな乗り物、電車でゴールデンウィークを締めくくることにした。
さて、あいにく雨模様で3密を避けるべき状況下で、どんな電車の旅を楽しめばよいのであろうか。少し考えを巡らせた後、私は3030にさよならを言うことにした。
3030とは兵庫県南部を走る山陽電車3000系の車両の内の1両である。昭和44年の製造から今まで基本的なつくりは変わっていなく、2年前に濃紺とクリーム色のオリジナル塗装に戻され、主に普通列車として走っている。
オリジナル塗装に戻されたのは、この車両の花道を飾るためである。噂では今年の3月に引退すると聞いていたが、先日山陽電車から正式に5月29日のイベントが最後であるとアナウンスされた。
オリジナルツートンカラー3000系4両編成の内、3030は最も神戸よりに連結された車両である。4両の内、モーター音とコンプレッサー音を同時に堪能できるのはこの車両なので、私は3030と一日過ごすことにした。
車両に乗っているだけなら天気は関係ない。また、山陽電車の普通車が昼間に密になることは、並行するJRで事故が起こり、振り替え輸送が行われる時を除いては見られない。結果的に、コロナ禍でのレクレーションとして最適な活動である。一部の特殊な人が対象ではあるが。
克服するべき課題
引退前の3030と一日を過ごすことは決まった。一月後には見られなくなる彼の走りを、そしてモーター音の唸りとコンプレッサーの鼓動を飽きるまで味わいたい。しかし、肝心な彼が今どこにいるのか、また今日現れてくれるのか、それすらわからない。
筋金入りの「鉄チャン」ならSNS等の情報網を活用して居場所を知るだろうが、私はそういうタイプではない。特急列車先頭車両最も前、言い換えると小さな子供が好きな場所に陣取り、すれ違う列車から奴を探す。
9時前に発見。1編成しかない色なので目立つ。私は反対方向の特急に乗り換え、待避線に入った3030の横に並ぶ。
さあ捕まえた、これからどうしよう。普通車(山陽電車での普通列車の呼び方)しか運用が無いと思われるため、この列車は姫路と神戸の間を行ったり来たりの運用のはずである。そうなるとダイヤは容易に分かる。
一日券を持っているため、私は下車したり追い付いたりしながら3030を味わうことにした。とりあえず、まだ朝ご飯を食べていない。私は垂水で下車し、高架下の「山陽そば」へ向かった。
店の前に大きな看板が見える。その中に3030が写っている。なんと彼は期間限定のメニューになっていた。そんなにブームなのか?
3030と一日過ごそうと思っている私がこのメニューを食べない理由はない。「ノベルティ プレゼント」の文字にも魅かれる。
下のボッカケ(牛スジの煮込み)が線路を、その上のワカメと天かすが車両のツートンカラーを表しているのか。「期間限定」とは3030の引退までのことであろう。私は一期一会のそばを味わい、小さなクリアファイルを手にホームへと向かう。
再び3030に追いつき、乗り込む。予想通り車内に人はまばらである。ゴールデンウィーク期間中の引退間近の車両にしては寂しいが、好きな人は外からカメラで狙っているのであろう。今日は撮影には適さない空模様。
ガラガラの3030のシートに座り、共に時間を過ごす。その時間の過ごし方に、私がまだ乗り越えられない壁を感じてしまう。どういうことか。純粋にこの車両に乗ることに集中し、味わうことができないのだ。
今日も自宅を出る前、大分迷った。しかし、結果的には各種学習のための書籍を持ってきてしまった。ブログを読み返すと、去年の10月もそうであった。同僚のM君と名古屋のサウナへ行く時も、楽しみを前にして、行きの近鉄特急内ではひたすら勉強せずにはいられなかった。
何か楽しいことをする時に感じる罪悪感。語学を楽しむのではなく、続けなければ沼に沈んでいくようだと感じる切迫感。それらを紛らわすためなのか、私は楽しいことをしながらも、同時に何か”有意義な”ことを求めてしまう。
その”有意義”なこととは、今は英語とイタリア語の学習であり、通訳案内士の試験勉強である。それら抜きで、純粋に目の前のイベントを心から楽しむことができればどれだけ素晴らしか。そのことが「今を生きる」という実感を生むのではないか。
ブログを書き始め、自分の心が可視化されるようになり、かなり気持ちはほぐれてきていると思うが、この部分に関してはまだ克服できていない。私は3030の車内で、車両の息吹を感じながらも”有意義”な学習に取り組む。
コリが少し取れた
本を片手にではあるが、私にとって3030との最終日を過ごす。途中無性にハンバーガーが食べたくなった。私にとっては1年間に5回あるか無いかのこと。山陽明石で下車し、駅構内のロッテリアでチーズバーガーを購入。缶ビールを片手に特急で3030を追いかける。
クロスシートの5000系は、車内で飲食することへの躊躇を軽減してくれる。幸い乗客も少なく、缶ビールを開ける音にも誰も反応しない。
ハンバーガーを頬張りながらビールを飲んでいると、勉強がどうでもよくなってきた。大塩で3030に追いつき、今度は手ぶらでシートに腰を下ろす。
車両に揺られながら「私は今何をしているのだろう」と思う。休日に、ただ古い列車に乗り続け、外の景色を楽しむわけでもなく、車掌さんの動きや味のある内装、窓枠、プレート、吊革などをぼんやりと眺めながら、モーター音やコンプレッサー音に耳を澄ましている。
「実用」以外の何事も想定されずに作られた電車の中で、実用から程遠い行為を行って楽しんでいる。私は目的地へと移動しているわけではない。私がいる場所が目的地なのだ。
少し入ったアルコールのおかげで、心のコリを少しほぐすことができた。私は今、”有意義”なことを意識することなく、純粋に無駄を楽しんでいる。ビールなしでこの境地に達することができれば、このブログのタイトルから「モヤモヤ」を取ることができるかもしれない。
常識を外す…
何度目かの姫路駅のホームで、折り返しの列車の表示が「東二見」に変わった。それは、姫路と阪急三宮の間を普通車として折り返していたこの日の3030の運用が、車両基地のある東二見で終わることを意味していた。
姫路発15:43分のこの列車が、私と3030との別れになる。列車は一駅一駅と丁寧に加減速を繰り返していく。ドアの開閉音、窓枠の揺れる音、鉄橋やトンネルとのハーモニー、その一つ一つを聴きながら、私も3030と一体化していく。
車内のプレートには「昭和44年11月製造」の文字が見える。両親と18年間暮らし、学生になり、就職をし、結婚し子育てを行う。その私の人生のどの瞬間も、この車両は神姫間のどこかにいて乗客を運び続けていた。
私生まれる前から今日まで52年間、あの人間味あふれるモーター音とコンプレッサー音を響かせていた。単なる無機的な機械であるとわかっていても、私はそこに生物の命を重ねずにはいられない。
東二見で、車庫へと入る3030の姿を見送って私は一日を終えた。
2月にこの車両に乗った時、できなかったことがあった。それは「直接床に耳をつけてモーター音を聴くこと」。この日、チャンスは2回あった。
一度目は、午前中姫路行きの手柄駅。3030の車内には私一人。後方の車掌は窓から顔を出してホームを確認している。二度目は、最後の東二見行き亀山ー飾磨間。車内には私を含めて鉄っちゃん4人。
一度目は、停車中なのでモーター音は無理でもコンプレッサー音は聞ける。二度目は私以外3人は明らかに鉄チャンで、カメラを持って挙動不審な動きをしている。私が床に耳をつければ、それをきっかけに同じ行動をとるかもしれない。
絶好のチャンスではあったが、私が床に耳をつけることはなかった。その理由は、それは奇行であり、世間から見て理解を得られるタイプの行動ではないと考えたからだ。
「常識を破る行動」これは時に必要なことであると思う。しかし、自分も周りも眉をしかめてしまうような「常識破り」を行う人間が幸福に生きる姿は想像しがたい。
確かに3030のモーター音やコンプレッサー音は魅力的で、その振動を直接、床から耳へを伝えてみたいという願望はある。しかし、奇行は奇行であり、それを行えば顰蹙をかう動画投稿を行う者と同じメンタリティーを持つことになる。
人が社会的な動物であり、そこから喜怒哀楽の感情を得る以上、私の幸福も社会の網の目から外れた場所には存在しえないと考える。網の目の中で共感されること、嫌悪されること、その感覚はどんな時でも持ち続けるべきであると考える。
「妄想と現実のバランスを保ちながら、その中に楽しみを見出していく」
引退を目前にした3030が最後に私に教えてくれた教訓である。