ずっと気になる(後編)

まだあります

前編では私のシラフで寝る前の癖について書きました。お酒の力を借りれない夜は楽しいことを想像しながら眠りにつくのです。そして、その楽しいことにここ2ヶ月間、実際のものと私の妄想が作り上げた鹿児島の市電を中心とした景色が現れ続けるという話でした。

日本各地に残っている路面電車の中で鹿児島のそれを特に魅力的にしているものは「センターポール」と「軌道緑化」、そしてそれらが背景のビルや山と一体になった景色だと書きました。しかし、ここの市電の魅力はそれだけではありません。

ここには最高にカッコイイと思える停留所があるのです。昨年度末に鹿児島を訪問したとき、そこを訪問したくてたまりませんでした。日本の路面電車の電停で一番好きな場所かもしれません。ここに対抗できるのは広島電鉄の「広島港」「西広島」ぐらいではないでしょうか。

私の気持ちをここまで上げてくれるのは「鹿児島駅前」電停です。

JR鹿児島駅に隣接してこの電停はあります。2つの系統の起点で3面3線を有するターミナルです。全体が屋根に追われてその下の軌道も芝で緑化されています。深い色合いの建物と明るい緑とがコントラストを描いています。

私には疑問に思うことがあります。それは「どうして以前の停留所を建て替えてこのような建物にしたのか」ということです。

この新しい電停ができる前もここには全体を覆う屋根付きのそれがありました。三角屋根が特徴で以前から私の好きな電停でした。構造も今と同じ3面3線であったと思います。

全国を見渡しても施設全体が屋根で覆われたような停留所はなかなかありません。せいぜいホームの上の部分だけに簡易的な屋根がある程度です。そんな贅沢な設備をわざわざ壊してまで新しい屋根を作ったのは、鹿児島市が市電を単なる移動のためのインフラ以上のものとして考えているからだと思います。

やはりここでも「景色」を作っているのです。JR鹿児島駅が建て替えられるのを機に市電の停留所もそれに合わせた一体感のあるデザインで建て替えたのだと思います。

これらの鉄道施設の建て替えは周辺地域の整備を含めて鹿児島市とJR、もしかすると国も関わった事業でしょう。いずれにせよ、「鹿児島」という県庁所在地を示す駅名の割には寂れた雰囲気が漂っていたこの辺りですが、これで街の雰囲気がかなり引き締まった感じがします。

この電停からすぐJR鹿児島駅の東側には貨物駅があります。そのすぐ先は海で雄大な桜島が目と鼻の先に見えます。市電の折り返しを見て、JRの列車を眺めて、貨物の積み込みを観察して、たまに海辺に出て桜島を視野の中心にボーっとする。ここは私のように鉄オタで空想好きにとって、晴れていたら一日いても飽きない場所です。

ここから妄想

このかっこいい鹿児島駅前の電停を中心に私の妄想は始まります。3面3線のターミナルですが、私の頭の中では時に4面4線になったりします。増えた番線には上町線の電車が止まっています。

上町線の電車は客を乗せ終えるとモーター音と共に動き始めます。すぐに併用軌道に入り桜島桟橋通、水族館口を過ぎると市役所の手前で右折します。ここからが上町線です。

鹿児島医療センターまで進んだ電車はそこから右折して専用軌道に入り、そのまま進みJRの上を立体交差で超えていきます。

1985年まで上町線が存在した時このような系統があったのかどうかはわかりません。しかし、私の妄想の中では鹿児島駅前の電停から上町線を通り、実際に終点があった清水町を超えて電車は国道10号線を仙巌園まで走っていきます。

昨年鹿児島を訪問した時、私はこのルートをレンタカーで走りました。車のハンドルを握っていますが、気分はマスコンとブレーキハンドルを操作しています。モーター音とブレーキ緩解音を、隣に人がいたので小さく口ずさみながら電車の気分で走っていきます。

ここだけではありません。レンタカーの返却時間の関係で走ることはできませんでしたが、私の頭の中の鹿児島市電には伊敷線も残っています。軌道は当然緑化軌道で、この路線は周辺に団地が多いため連接の低床車が活躍していますし、団地と電停とを結ぶフィーダーバスも運行されています。

環境問題をめぐる世界の風潮を考えると、この2路線があと10年存続し1990年代半ばを超えていたら現在も存続し、鹿児島の市電網を豊かにしていたと思うと残念でたまりません。

ですから私の妄想の中で、これら廃止になった2路線を緑化軌道にして鹿児島駅電停から低床車を走らせているのです。

さらに私の中ではもう一つ別の路線があります。上町線や伊敷線と異なり今まで全く存在していない路線です。その路線は桜島桟橋口で左折して、フェリーターミナルを通り海に沿って南下し鹿児島県庁までいきます。そこから向きを変えて郡元に向かい既存の路線に接続します。

かつてイタリアのナポリを散策した時、海沿いの道にトラムが走っていて思わず乗車しました。ナポリの街と海とベスビオ山とトラム。絵になる光景でした。この路線はナポリの姉妹都市である鹿児島にも同様の景色を作り出す路線になると思います。

私はシラフでベッドに入る夜、このようなことを考えながら幸せな眠りに落ちるのです。

不安と可能性

いろいろと取り止めもなく市電を中心に書いてみました。私の筆を動かしたものは、やはり2ヶ月前に見た市電を中心にした美しい鹿児島の景色です。もう一度訪問したい、いや一度住んでみたいなと思わせるインパクトがありました。

実際にその気になれば、私はこの素晴らしい市電と街を毎日満喫することも可能でしょう。高校教師という現在の仕事をしている限りは無理ですが、それを辞め場所を問わない仕事を始めればできます。

最低1ヶ月ぐらいこの街に滞在してみたいと思います。鹿児島駅近くに宿を構えて、1日の始めと終わりにここのカッコいい電停を利用するのです。

朝桜島を見ながらこの電停にやってきて電車に乗ってどこかへ出かける。仕事を終えて夕方6時ごろこの電停で下車し、近くの立ち飲み「足立屋」によって1時間ほど飲んで帰る。

とても幸せな1日に思えます。そんな生活を1ヶ月間続ける。市電と桜島といも焼酎とあてのつけ揚げ。私のバケツリストが一つ増えました。

ただ、一抹の不安もあります。

昨年、鹿児島の老舗デパートである山形屋が経営不振に陥っているというニュースを新聞で読みました。「まさか」という気分でした。確かに山形や徳島などここ数年で百貨店不在の県が出てきています。

しかし、名古屋・神戸・仙台に客が流れる岐阜や徳島や山形の百貨店と異なり、鹿児島の山形屋は周りにライバルがいなく地域で圧倒的な存在であると私は思っていました。

いづろ通りの電停から、山形屋の建物がない景色を想像してみます。なんとも悲しくて寂しい気持ちになります。ロンドン、ナイトブリッジにあるハロッズ百貨店を連想させるようなあの建物は鹿児島の象徴の一つです。

どんなに人口が多くても街が楽しくなければそこに景色は生まれません。少し着飾って出かける場所がなくては、言い換えれば少し非日常が体験できてワクワクする場所がなくては、街は住宅地の延長でしかありません。

鹿児島で言えばそれは鹿児島中央駅から市電の路線に沿って市役所あたりまでとなり、特にその中心が天文館になります。その天文館のアーケード街にテナント募集の看板が目立ったことが気になります。

通販の発達は凄まじく、小売店はものすごい勢いで減っています。これは日本だけの現象ではなくアメリカにはゾンビモールという言葉があり、モータリゼーションの時代に一斉を風靡したモールがどんどんと潰れている時代です。

一方でヨーロッパを中心に旧市街地を保護しながら、LRTなど環境負荷が少なく交通弱者にも使いやすい交通手段と共に整備する動きもあります。

鹿児島の人々がどのような街づくりを行うのか、部外者である私がどうのこうのいうつもりはありません。

ただ私はこの前の旅で、鹿児島市電とそれが作り出す街の風景に感動しました。定期的にこの街に訪問したいと思いますし、住んでみたいとも思っています。センターポールと緑化軌道に先行投資した行政の人々とそれを支えている市民に敬意を持っています。

一定規模の人口、それほど外に広がっていない市街地、風光明媚な土地、美味しい食べ物と酒、ここには公共交通を中心にギュッとコンパクトで魅力ある街づくりができる条件が整っていると思います。

私の寝室には鹿児島市交通局のカレンダーがかけられています。そこに印刷された市電と鹿児島の街並みは、私がベッドで消灯する前に見る最後の景色です。シラフで寝る夜、私はその景色をまぶたに映しながらナポリのように世界中で知られるようになった鹿児島の街を想像します。

その中心にはセンターポールと緑化軌道の間を走る市電がいます。

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投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。