ずっと気になる(前編)

目を閉じながら

私はお酒が好きな人間なので家で飲み始めると寝る15分ぐらい前まで飲んでしまいます。「酔っ払ってそろそろ眠くなったな歯磨きしようか」と洗面所に向かい、それが終われば水を一杯飲んでから布団に入ってすぐに眠りにつきます。

ですからお酒を飲んだ日、私は寝付けない苦しみを知りません。本来なら毎日でもお酒を飲みたいところですが、健康のため、学習時間を確保するため、自己嫌悪にならないためという理由で週に2〜4日の休肝日をもうけます。

お酒を飲まなかった日は、布団に入って眠りにつくまでに少し時間がかかります。そんな時は頭の中で楽しいことを考えると眠りやすくなります。そして私にとってその「楽しいこと」とは人文地理学的な景色、とりわけ鉄道を中心とした街の姿になります。

モータリゼーションの発達とそれに伴う商業施設の郊外化で、日本の中小都市の駅前はすっかり寂しくなってしまいました。寝る前の私の空想の中では、そのような現実から離れ、各種別の列車が次々と発着し人で賑わう駅や駅前の街の姿らまぶたの内側に現れます。そんな景色を見ているうちに私はシラフでも眠りにつくことができるのです。

これはあまり人には言いたくない私の密かな癖なんですが、その眠る前のまぶたステージにここ2ヶ月間かなりの頻度で現れ続けている街があります。それは現実の街なのですが、実際の景色と時を超えた景色と私の空想の中の景色とが混ざり合って出現します。

街の向こうには海が見えます。海の背景には噴煙を上げる火山が見えます。そして一番手前には街の景色に溶け込んで走る路面電車の姿があります。

2ヶ月前に鹿児島に行って以来、私は休肝日に、私の脳内で形成しさまざまなものがブレンドされたこの街の姿を思い描きながら眠りにつくのです。その要となってなっているのは、以前の記事でも少し触れた鹿児島市電、つまり鹿児島の街を走る路面電車です。

無駄とかコスパとか言わずに

鹿児島市電の魅力とはなんなのでしょうか。私は全都市全線制覇はしてはいないものの、日本で路面電車のある街は宇都宮以外全て訪問し、かなりの路線に乗りました。松山、長崎、広島など路面電車に乗ることをメインに滞在したこともあります。

それぞれの街にそれぞれの良さがあるのですが、そんな中でも鹿児島の路面電車は今私の心を一番つかむ存在になっています。その理由を頭の中でいろいろ考え混ぜ合わせて一言にして言います。

「思い切った先行投資が街の景色を作った」

こんなところでしょうか。

鹿児島では路面電車は単なる移動のための手段ではありません。それらは街の景色の一部となっています。そのことは居住者に安らぎと誇りとを与え、訪問者には美しき街の印象を与えます。

山形屋のビルを背景に、天文館のアーケードの間を、甲突川の石橋の上を、鹿児島市電は走り抜けていきます。場所によってビル街、城山、桜島を背景にして電車はコトコトと走っていきます。その景色の一つ一つが絵になっています。

それら景色づくりに大きく貢献しているのが、ここ鹿児島が先魁となったセンターポールと軌道内緑化です。この二つで足元と背景をビシッと引き締めているため、この町では電車もビルも山も空もそれぞれが景色の中で役割を果たすことができます。

近年ではLRTと呼び見直されている路面電車ですが、高度経済成長の後半には、多くの町で増え続ける自動車の流れを阻害する邪魔者として扱われた歴史があります。路面電車は移動手段であって、街の景色を作る要素という考えはありませんでした。

ですから路面電車の走る街は歩道から見たスカイラインがぐちゃぐちゃです。電車に電力を供給する架線を張るためにビルとビルとの間にワイヤーが張り巡らされていたからです。例えるなら地上5〜6メートルの位置に蜘蛛の巣がはられているようなものです。

この無秩序を解決するにはセンターポールといって、架線を通すための柱を線路に沿って一定間隔で建てていかなくてはなりません。とても費用がかかりますし、道路の中央に車から見て障害物を設置するわけですから、自治体としてある程度腹を据えて取り掛かる必要があります。

鹿児島は早い時期にこれに取り掛かりました。どういう経緯なのかはまだ勉強する必要がありますが、私が初めて鹿児島に行った30年前にはセンターポールの部分があり、驚くとともに感動した覚えがあります。

別にお金をかけてセンターポール化しなくても電車は走ります。今流行りの「無駄」とか「コスパ」という視点で見ると、この政策は行うべきではなかったかもしれません。

しかし鹿児島市はそれを行いました。

追加の一撃

鹿児島市電のセンターポールを見ると、場所によって形が違うのがわかります。おそらく時期をずらしながら予算を確保して段階的に整備していったのでしょう。

数種類ある柱ですが共通する部分があり、それは街灯を併設していることと、Rをつけるなど機能+αの意匠をしていることです。このプラスαの部分がたまらなくいいのです。

スカイラインをきれいにする意味でのセンターポールなら無機質なT字か十字の鉄骨の組み合わせでいいはずです。しかし、そこにプラスαの意匠をつけることで邪魔者であるはずのセンターポール自体が街の景色の一つとなるのです。

この鹿児島の景色となるセンターポールの流れは他の都市でも見られて、路面電車と共に織りなす街の魅力を高めています。予算の制約のせいか、最も新しい宇都宮LRTのセンターポールが無機質な十字型であるのは少しアレっと思いました。西側の繁華街へ延伸する際はどのようなデザインになるのか楽しみです。

さて鹿児島市電はこのセンターポールに加え、他の追随を許さない一撃を加えました。それが「軌道緑化」です。

古くからの路面電車は石畳の間に軌道が敷かれていることが多く、最近のものではコンクリートとアスファルトの組み合になります。また道路上ではなく専用軌道になると、一般の鉄道と同様にバラストに枕木という形が多くなります。

いずれの形せよ、車輪とレールとの摩擦により生じた鉄粉が参加して茶色っぽい色をした軌道の上を走るのが路面電車であり普通の鉄道であります。

しかしここ鹿児島では路面電車は緑の上を走っていきます。鉄道にとって軌道を狂わす草は天敵でありますが、まさかその草の一つである芝が軌道に植えられているのです。

初めて芝の上を走る電車を見た時のことを忘れることができません。日本以外の国にいるような感覚がしました。以前定期購読していたイギリスの鉄道雑誌に載っていたドイツやフランスのLRT写真の影響でしょうか。

この高温多湿の日本で、よく軌道に芝を植えようと思ったなと信じられない気持ちでした。この国で芝は放っておいたらすぐに他の植生にやられてしまいます。きれいに見えるゴルフ場の芝も、絶え間なくお金と労力をかけ続ける結果維持されるものなのです。

鹿児島市電の軌道に芝を植えた理由の一つはヒートアイランド対策があると聞きました。それにしても手間のかかる話です。市電の車庫を見学させていただいた時、日本の市電で唯一の散水車と、電車に連結して使う芝刈り機を見学させていただきました。

貸借対照表で言えば「資産」の部分に鹿児島市電は他の市電や電鉄会社ではない項目を持っていることになります。果たしてその項目の減価償却期間はどれくらいなのでしょうか。

芝の維持には費用がかかりますがその効果は抜群です。ここでいう「効果」は二つあり、一つ目の「ヒートアイランド対策」としての効果は私にはわかりません。しかし二つ目の「景色を作り出す」効果は素晴らしく、この街の市電は日本で唯一無二の景色を作り出しています。

この緑の絨毯は街路樹と同じで街に安らぎを与えてくれます。同時にその上を走る電車の足元を引き締めてくれます。無機質な鉄の塊と、緑鮮やかな有機物の芝の帯、背景には人が作り出したビル群や自然の作用が作り出した城山。そして無機質でありながら呼吸をし生きているかのような桜島。

ここで鉄萌えしなくて一体どこで鉄萌えできるのでしょうか。

もっと簡単にまとめるつもりだったのですが、書いていくうちに興奮してまとめきれなくなりました。続きは次回に書こうと思います。

関連記事:ずっと気になる(後編) レアな経験 (鹿児島編 後編)

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。