西へ向かう車内
朝一番の新幹線で私たち家族四人は西へと向かった。目的地は福岡市。前回新幹線に乗ったのは妻の二人の夏の山形旅行だった。この時も朝早くの新幹線で、列車が動き出すと缶ビールを開けてサンドイッチと共に朝食をとった。
今日もどうしようか迷った。なにしろこの旅行のために今週は五日間アルコールを抜いている。130時間ぶりのビールの味を想像して喉がなったがグッと我慢した。どっちみちあと5時間もすれば飲んでいるのだ。
新幹線の山側の2人掛け席を二つ使って私たちは西へ向かっている。一つを回転させて向かい合わせの4人掛けにすればよいが、ほぼ満員の車内にそんなことをしているグループはいない。コロナが残した新たな習慣に従い、席を動かすことなく私は次男と妻は長男と座る。
「鉄ヲタアルアル」であるが、私は大学時代人文地理を学んでいた。そんな私の血を引いたのか次男も地理に興味を持ち、大学受験は地理Bで受けようと考えている。次男の隣で私は小声の解説を続ける。見える地形や街や川の名前、産業や人口、車窓から見える情報を次男が鬱陶しがらない程度に解説していく。
岡山以西の山陽新幹線はとにかくトンネル区間が長い。次男はスマホに映る地図と見比べならずっと窓の外を眺めている。暗闇に入るとそんな次男の横顔が窓に映し出される。彼とはこの5年間で何度も二人旅をした。当然のことであるがこの日見ている横顔が一番大人に見える。
大阪で一人暮らしをする長男はこの旅行のために昨晩神戸に帰ってきた。神戸の音楽仲間と会った後遅くの帰宅だった。彼は音楽を中心に大学生活を送っているようだ。おそらく不規則な生活をしているのだろう。列車では妻と会話をしていたがイヤホンを耳にするとすぐに眠りに落ちた。
列車は新関門トンネルを越え小倉に到着する。次男はここで降りる。どこに行くのか聞いても「適当に列車に乗って福岡に行く」とだけ答える。私たちは家族四人で旅行している。しかし中身は「2+1+1」である。私は妻と行動し、息子たちはそれぞれ適当に行きたい場所に行き、夕方集合して一緒にご馳走を食べる、そんな旅である。
動き出す列車からホームを歩く次男を見る。向こうは私を見るわけではなくまっすぐと前を向いて歩いている。長男はまだ寝息を立てている。列車は10数分で博多駅に到着する。遅めの朝食をうどん屋さんでとり、長男と別れる。どこへ行くつもりなのか聞くと「まあ、適当にぶらぶらする」と兄弟同じような返答を受ける。
長男はどこか抜けているように見えるが、最後にはなんだかんだうまくやる。私たちはそんな長男の行動に何度もハラハラと心配しながら安心させられてきた。この前もこんなことがあった。
理系の学部にいる彼であるが、何を思ったのか日商3級簿記を独学で始めた。検定試験開始の直前、彼は会場の隣駅の商工会議所にいた。「会場はここと違うよ」と言われて慌てて電車に乗る。しかも電卓を家に忘れた状態だ。
「それでどうしたん?」
「筆算で解いた」
「結果は」
「うかった」
彼は私たちには聞こえないリズムをもっているのだろう。それを無理やり理解しようとしてもいいことはない。
長蛇の列ができているタクシー乗り場を通り過ぎ、私たちは二人でバスに乗った。行先は福岡国際センターである。
ふとつぶやく
平日休みを取ることができない私が「土日で九州場所を見に行くことができないか」この旅行はそこから始まった。期間中に部活動のない週末があった。妻の予定も入っていない。
私たちは子どもたちに声をかけた。四人用の升席を買ってみんなで観戦したら楽しそうだ。子どもたちは福岡に行くことは喜んだ。しかしどちらも「相撲はいいわ」という返事。私たちはペア用の升席を購入し二人で見ることにした。
今年の暑さは長引いていたが、11月も中旬に入り福岡は季節通りの寒さになった。少し震えながらチケットを見せる私たちに、もぎりの親方が「寒い中ありがとうございます」を声をかけてくれる。気持ちがあがってくる。
時間は午前10時半。観客席には人影はまばらだ。相撲に興味の無い人をこんな時間に連れてきたら退屈するであろうが私の妻は相撲の中でも呼び出しと行司のファンである。しかも若い人たちに興味がある。特に序の口呼び出しの「天琉」氏は彼女の贔屓だ。だから本当ならあと1時間半早く着て最初から取り組みを見たかったが、そのためには前泊が必要となってしまう。
天琉氏の呼び出し姿は見られなかったが、若い呼び出したちは常に土俵の周りでテキパキと動き回って相撲を支えている。妻は相撲名鑑を片手に目の前の呼び出しや行事を確かめている。私は取り組み表を見ながら将来の関取候補を探している。序二段の取り組みが終わろうとしている。まだまだ圧倒的に空席の方が多い。
私たちのカバンには博多駅で購入した駅弁が入っている。観戦しながら飲むことはわかっていたので、つまみになりそうなものを買っておいた。さてこれをいつ食べようか。普段は決まった時間に食事をとり間食をしない私であるが、旅に出るとこれが崩れる。何も考えずダラダラと食べて飲むことが、非日常である旅の醍醐味である。私は幕下に入ったらビールを開けようと決めた。
五段組みの取り組み表の3段目中央、この日の取り組みの真ん中あたりで幕下が始まる。妻と缶ビールを開け小さな声で「乾杯」という。135時間ぶりのビールが私の喉から胃へと下っていく。このおいしさを味わうためだったら平日飲むことを我慢できる。少なくともその時はそう思える。
弁当を開け、福岡の幸を適当につまみながらビールで流し込む。すぐに1本空になる。まだまだ取り組みの先は長い。それに夜は子どもたちと合流して居酒屋へ行くことになっている。ペースを整えよう。
少しずつ食べては飲んで幕下の取り組みを観戦する。妻も2本目のビールに入った。子どもたちのことが話題になった。今福岡のどこにいるのだろうか。私と妻、どちらのスマホにも、彼らからは何のメッセージも入っていない。たぶん私たち親のことなど忘れてそれぞれ一人の時間を楽しんでいるであろう。
「しあわせだよな」
私は妻に向かってつぶやいた。
「しあわせだね」
妻は返答した。
幕下も後半の取り組みに入り会場の電気が明るくなった。まもなく十両土俵入り。観客も一気に増えて大いに盛り上がっていく。
形を変えて
結びの一番が終わり私たちは渡辺通りのホテルへ移動し、そこで息子たちと再会した。天神の居酒屋で二人の一日の行動を聞いた。
長男は福岡市内をぶらぶらしながらレコードを探していた。疲れたらカフェに入って読書をしたり、電車に乗って景色を眺めていたらしい。ホテルに現れたとき、レコードのたくさん入った袋を手にしていた。半分ぐらいは私の知らないアーティストであった。
次男はここへ行ってきたとパンフレットを出した。山本作兵衛の絵が載っていた。田川市の石炭歴史博物館だった。彼は筑豊地方の景色を見たかったという。そういえば私と北海道に行ったときも歌志内や夕張を訪問した。世の中の無常を感じる場所に魅かれるようだ。
「とりあえずこれがこの家族最後の旅行になるかもな」
私は言った。妻とも出発する前にもそんな話をしていた。
私は旅が好きで妻も同様である。だから私たちは子どもの小さなころからよく彼らをどこかへ連れていった。仕事が忙しすぎて悲鳴を上げそうになっていたときは、私にとって家族との旅行は何よりの癒しになっていた。
年に何度かは家族で旅に出た。遠くへは飛行機や列車で行った。近くはミニバンで行った。息子たちが小さい頃は遊園地や観光地が中心であったが、成長すると私の好きな神社仏閣にも行くようになった。中でも四国88カ所を家族で巡礼したことは私の中で大きな宝物になっている。
一番最後に家族で旅行をしたのは2019年の台湾であった。その時、何か今までの家族旅行と異なる雰囲気を感じていた。息子たちにとって親と過ごす時間は、明らかに彼らにとって一番楽しい時間ではなくなっていた。
この夜、私たちはベッドが4つ並んだ部屋に泊った。部屋は同じでも行動はバラバラであった。私は部屋で酒を飲み、妻は疲れて横になり、長男は夜の天神に散歩に出かけ、次男は大浴場へ向かった。
酔いつぶれた私が朝になって目を覚ますと、みんなそれぞれのベッドで眠っていた。こうやって同じ部屋で並んで寝るのは10年ぶりぐらいだろうか。
かつては妻が次の日の準備をする間、私が幼い二人を抱えて寝室に連れていった。うまく寝かせつけたら私は抜け出し、妻とお茶を飲みながら会話をした。しかし、ほとんどは私も子どもたちと一緒に寝ていた。妻が後で加わって4人で眠った。
二日目の予定は決まっていなかった。息子たちが好きに行動したいと言えばそうさせるつもりであったが、結局一緒に行動することになった。
遅めの朝食を博多うどんのウエストで食べ、地下鉄に乗って櫛田神社に行った。その後、長男が気になっていたという篠栗の南蔵院で釈迦涅槃像を見て午後早めの新幹線で神戸に帰った。
同じ行程で同じものを見る、そんな家族旅行は本当に今回で最後になるであろう。何十回も一緒に旅をして、当たり前のようにそのことがこれからも続いていくと思っていたが、物事には必ず終わりがある。
私は悲しんでいるわけではない。升席で相撲を見ながら妻に「しあわせだよな」とつぶやいたとき、私は心の底から幸せを感じていた。私たちに100%依存していた子どもたちが、私たちのことなど何も考えずにそれぞれ今日一日を楽しんでいるのだ。私たちはそんな成長した息子たちのことを時々思い出しながら、お酒を飲んで目の前の相撲、そして夫婦で一緒にいる時間を楽しめばいい。
人生にはステージがある。私の息子たちは親への依存を徐々に弱め独り立ちの準備を始めている。そんなステージまで大した病気やけがをすることなく成長してくれた。私はそのような状態を作ってくれたすべてのものに感謝したい気持ちである。
神戸に着き、その日のうちに大阪へ帰る長男と別れるとき「また機会があれば夜だけでも付き合ってや」と私は言った。夫婦と子供たち、それぞれが別々に行動して夜だけ一緒に食べて翌朝別れる、それはもう家族旅行と呼べないかもしれない。
そうであっても、私たちにはこの約20年間に重ねた家族旅行の記憶がある。その思い出を大切に、たまに会ってそれぞれの新たなステージを語り合う、そんな旅をしてみたい。あと数年もすれば四人でお酒を飲みながら語り合うことができる。四人が五人、六人、さらに増える日をむかえられるようにお酒の量を考えて健康に歳を重ねていきたい。
関連記事: 家族旅行で感じたこと 一瞬の出来事