去年6月の記事
去年の6月19日に「エクリチュール?」というタイトルで記事を書きました。私たちが自らの選択する言葉によって思考の枠組みを規定される中、おかしな言葉使いをする私はどのようなモノの考え方をしているのか、というような内容でした。
そして「おかしな言葉使い」というのは、いわゆるオヤジギャグのことです。いや、オヤジギャグというのは一応、他人に対しても通じる言葉使いですが、私の場合は自分のなかだけでしか通用しないものも多数含まれます。つまり、オヤジギャグ以下の戯言を毎日数多く発しているのです。
起床する時、横にいる妻に呟く「そろそろ起きようかわ虹子」という一言から私の一日は始まります。妻曰く、いつから言い始めたのか分からないくらい当たり前のように言い続けているそうです。
私がギャグを言っても、妻は嫌な顔をせずにスッと流してくれるため、私は罪悪感を持たないまま、決して面白いとは言えないチープなギャグを垂れ流し続けてきました。私はさすがに言い過ぎかなと思ったので、自分がどんな発言をしているのか、昨年から言う度に手帳に書き記していきました。
6月19日のブログには「30個ほど」と書きましたが、記事を書いた後もメモを続けました。その結果その数は今2倍を超えようとしています。我ながら、自分は無意識のうちに、自分の母語でこのような言語運用をしていたのかと驚きます。
そして言葉使いと思考は相互に関係しあっているので、私の発する言葉は私の頭の中を示していることになります。その言葉を適度な範囲でコントロールで来ていればよいのですが、最近は少しひどくなってきていて、さすがにこのままでいけば自分の思考が変なギャグで支配されてしまうと思い始めました。
私の頭の中には毎日清川虹子、赤井英和、北島三郎、マークス寿子などの顔が浮かんできます。
先ほど触れた「そろそろ起きよう川虹子」で一日が始まり、背中が痒くなると「あー痒い英和」、外出して冷気を浴びると「サブッ、北島」、出勤時マスクを忘れそうになれば「マースク寿子忘れた」と、このように一日が展開していきます。
ちなみにマークス寿子さんとは、日本出身の学者で一時期イギリスの貴族と結婚されていたため爵位を持たれている方です。私は大学生の頃、彼女のエッセイの愛読者でした。
清川虹子さんは20年前に亡くなり、普段テレビを見ない私は赤井英和さんや北島三郎さんを目にすることもありません。マークス寿子さんも最近は著書を出されていないようです。
ギャグを言わなければ私の普段の生活に現れてこないこれらの人々のイメージが、毎日私の脳裏に出現します。しかもかなり若い時分の映像で。
私の中ではそれが当たり前の日常なのですが、少し距離を置いて考えてみるとおかしなことなのかもしれません。脳内に現れる人物は増え続けています。
こんな感じです
私の言葉遣いの中に現れる物事を記し始めたからなのか、または最初から気づかずに言っていたのかは分かりません。しかし、本当に多くの人物や物事が日常の思考の中に現れて、私はそれらの人や物と頭の中で共存しているような気持ちになります。
恥ずかしですが、自分の気持ちを整理するためにも以下に心の内を書き記します。
カルーセル麻紀
先に挙げた4名ほどではありませんが、かなり登場頻度が高いです。まだ小学生のころ、テレビでカルーセル麻紀さんを見て、かなりの衝撃を受けました。彼女は「~巻」という言葉に当てはめます。「今日は寿司が食べたいなあ。海鮮(カルーセル)巻きがいいなあ」こんな感じです。妻の友達や私の知り合いで「マキ」という名前を使うときは、必ず心の中で直前に「カルーセル」という言葉が現れます。「薪」や「撒き」というキーワードでも立ち上がってきます。
杉田敏
杉田敏さんは、今の私の英語力の多くの部分を作って頂いたと感謝しております。私はNHK第2放送の「ビジネス英語」シリーズが大好きで、いつも楽しみながら聴いていました。それなのに「~し過ぎた」の言い回しを使う時は例外なく名前を心で叫ばせていただいています。
片山右京・柴田恭平
元F1レーサーの片山右京さんと俳優の柴田恭兵さんは、北島三郎さんと同様に擬音の中で使わせていただいております。何か驚くことがあったとき「ウキョーッ」と思わず声に出ますが、必ずその後「片山」と付け加えるのです。「キョヘーッ」なら「柴田」です。
神田山陽
私は兵庫県南部に住んでいるため山陽グループのサービスを受ける機会があります。山陽電車を始めといてバス・タクシー・百貨店・立ち食いそばなどです。利用する機会には講談師の神田山陽さんが現れてきます。また「~を噛んだ」という文脈でも登場します。「痛い、舌神田(山陽)」こんな感じです。
マッテオ・インゼヨ
日本語がものすごく堪能で、教養とユーモアを兼ねそろえたスタイリッシュなイタリア人です。「こんなイタリア人になりたい」と思える人です。著書やラジオ講座でお世話になっています。「待って」を使う度に現れます。「ちょっと待って(オ・インゼヨ)」と、一日何回も登場します。
人物名だけではなく、物や場所や概念なども頭の中に湧き上がってきます。例えばこんな感じです。
そば焼酎「雲海」
日本酒好きな私ですが、雲海は特別です。焼酎の中で一番飲みます。夏の暑い日、氷を入れたグラスに雲海と炭酸水。爽やかです。そんな雲海はツッコミに登場します。「~なんと違うんかい」と言いたい時、「~なんと(そば焼酎 違)雲海!」となります。
モーターヘッド
メタル界のカリスマ、レミー・キルミスター率いる伝説のバンドです。大好きなバンドで、ロンドンで見たライブは忘れならない熱気でした。2015年、レミーの死によってバンドの歴史は終わりました。彼らの音楽をきく以外では関西弁の言い回しで登場します。
関西では「~してしまった」を「~してもうた」と言います。「もうた」と言えば「モーターヘッド」です。
ラスボス登場
以上のように、日々様々な人物や物事を脳内に登場させながら私は言語運用を行っています。それは楽しいような、ややこしいような、面倒くさいような複雑な気持ちです。そんな私のオヤジギャグ生活にラスボス的な大きな存在が現れました。去年の1月のことです。
その人物の名前を使わない日はありません。日どころか、起きている間は1時間、いやひどい時は数分単位でやってきます。私がこのようにブログで自分の言葉遣いの癖を考えなければヤバいと思ったのも、彼のおかげだと思います。
その言葉は今、この直前の文を書いた時にも現れました。
そう、アメリカ合衆国大統領「ジョー・バイデン」氏です。正確には昨年1月ではなく、もっと前、民主党の代表を争っていた頃だと思います。
とにかく、彼の名前を耳にして「ヤバいデン」が現れた日から、私は「ヤバい」という言葉を普通に使うことができなくなりました。
今、日本語の口語で「ヤバい」を使わずに過ごすことは不可能です。若者は正反対の意味合いで「ヤバい」を連発しますが、頻度は異なれど私のような中年も同様になってきました。
書き言葉には出てきませんが、オヤジ同士の日常会話でもヤバいは頻出します。アメリカ大統領の選挙戦が本格化したあの日から、私の言語運用、つまり思考の一部は「ヤバいデン」に絡み取られてしまいました。
私の言葉遣いが関西弁で無ければ「ヤバいデン」は現れなかったと思います。というのが、一般的な日本語では「ヤバい」の後ろには「よ」が付くからです。出川哲郎さんの「ヤバいよ、ヤバいよ~」のイメージです。
これが関西では「ヤバいで~」となります。そして音声学的に言うと、この「え」の母音の後には口を少し開けたまま鼻へ抜く「N」の音が出しやすいのです。
バイデン氏が仮に「バイデム」と唇を完全に閉じる「M」の子音で終わっていたら非常に発音しにくく「ヤバいデム」は生まれなかったと思います。バイデンの「デン」が発音しやすく、私の中で自然と「ヤバいで~」が「ヤバいデン」に変化しました。
そんなわけで、今一日何十回もアメリカ大統領が私の脳裏に登場します。それは仕事の大切な会話おいてでも容赦なくです。「それは少しヤバいかもしれませんね」と言えば即座に「ヤバいデン!」と頭に響きます。おかしくて思わず吹き出しそうになりますが、これがひどくなると脳内だけにとどまらず本当に言葉を発してしまうのではないかと心配です。
本日のオヤジギャグネタ、まだまだあります。おもしろいと思う反面、本当に私の言語運用の中でギャグが占める割合が増加し、思考がおかしくなってしまうのではないかと危惧している面もあります。長くなりましたので、続きはまた書きます。