不惑の実感を感じない
3か月半前にブログを書き始めました。
一番の理由は不安を感じたからです。
40才をとうの昔に過ぎました。昔の人は不惑と呼ぶ年です。それほど多くの人々が還暦まで生きられなかった時代、70を迎えることが稀であった時代、不惑は十分に成熟していて、心を惑わされることのない年だったのかもしれません。
実際に若い頃は自分が40才になるなんて考えられないことでした。どれだけ大人で、どれだけ落ち着いた考えができるのだろう、そう思っていました。少し白髪が混じり、落ち着いた色のジャケットを着て、口元に皺を寄せながら話す大人、私の中に勝手に作り上げたイメージですが、その大人には、迷いや不安はなく、年月が積み上げてきた人生がいぶし銀の輝きを控えめに放ち、若者はその光を頼りに成長していく、そんな感じがしていました。
不惑を過ぎた私は、いつまでたってもそのイメージに近付くことができずにいます。少し離れた頭上から、私の人生を見てみると、それほど悪いものではないはずです。家族の面でも、仕事面でも、経済面でも、自分にとって十分恵まれていると思います。周りに感謝する気持ちもあります。
では、この満たされなさ、つかみどころのない不安、心のモヤモヤは何なのでしょう?落ち着いた心で人生を味わっている状態から遠く離れています。
気持ちを文字にする過程でその正体を知りたくて、6月の終りからブログを書き続けています。
気持を書き綴り、読み返すことは自分の中に今まで知らなかった一部を見つけることでもあります。モヤモヤの原因に近付いたと実感することもあります。こうすれば気持ちが少し安らぐと思うことも。書き始めてよかったと思っています。
しかし、私がブログを書く必要のない日、つまり心が整って身の回りにある幸福をそのまま実感できる日が来ることを、今の私には想像することができません。私がイメージしてきた余裕のある大人、自分の分を理解し、心に迷いがなく、自分のためにも他人のためにも生きることができる人。そのイメージと現在の自分との乖離に目がくらみそうになることがあります。
先日、訃報を聞いた幼馴染の父親は、私にとってそのようなイメージの大人、私にとって定点にあたる人でした。
43歳=大人の完成
私が中学に入学するとき、幼馴染の父親は43歳でした。どうしてそんなことを覚えているのか分かりません。自分の親から聞いたのか、友達に聞いたのか、何か学校関係の会報に出ていたのか。PTAの役員をされていたので、挨拶で言われたのかもしれません。
それほど大きくない集落に住んでいたため、大抵の人とは顔見知りでした。幼馴染とは同級生で、その家族もよく知っていたし、その父親にも野球や集落の行事などでよくお世話になっていました。
不思議なことに、当時12歳だった私の心に43歳という年齢が強く残りました。自分の父親より年上だったこともあり、「俺の親父もそのうち43歳になるのか。あんなに落ち着いた感じになるのかな」漠然とそんなことを考えていました。
43歳は私にとってはるか先の世界でありつつ、何か大人になるための到達点、完成する場所のような気持がしていました。「その年になれば、幼馴染の父親のような雰囲気になれる。その時、私は何を感じているのだろう」そんな思いを胸にしながら時を過ごしてきました。
幼馴染とは高校まで同じ道を歩み、その後は年に一度の同窓会で会うぐらいの間柄です。その父親とは、実家に帰る時会ったり、遠い親戚にあたるため祖母や叔父の法事で一緒にお酒を飲んだことがあります。
実家を出てからは、1年に1~2度目にする程度でしたが、その人に会う度に私の心の中には「43歳」というキーワードが浮かんでいました。
年月の経過は誰に対しても平等で、同じように1年づつ歳を重ねていきます。その人に会う度、年相応に髪の毛が減り、耳が遠くなり、反応が遅くなっていることを感じるのですが、私の心には「43歳」のキーワードが常に浮かんでいました。
「私はあなたが43歳だった時を知っています。あなたの息子と私が12才の時でした。その時のあなたの姿は私の中で大人の完成を意味し続けています。」
本当に不思議なものです。私の周りには同じような年齢の大人たちが数多くいたはずです。憧れていた著名人や尊敬していた教師もいました。しかし、この幼馴染の父親のように年齢とその時の姿とが結びついて私の心に残っている人はいません。彼が特別私にとって心に残る何かを行ったり、直接教えを与えてくれたわけではありません。
私が手に入れたのは、彼の落ち着いたイメージと43歳という年齢です。
その結びつきはその後30年以上にわたって私の中にとどまり続けました。
実家に帰れば近くに私が長い間想像し続けた「大人」がいるという安心感を私は感じていました。
最後に会ったのは今年の夏でした。実家の近くを散歩していた時出会い、簡単な挨拶を交わしました。
葬儀の式場は多くの人で溢れていました。文字通り、人が多すぎて会場の外側のホールも式場となるほどでした。
喪主には幼馴染の名前がありました。私と同い年、共にあの43歳を超えています。
「ここまで来たか」私は感じました。喪主になってもおかしくない年齢なのです。喪主として両親を送った後、正当な順序に従うとするなら、次は自分の番です。
12歳の時、幼馴染の父親を見て抱いた「43歳=大人の完成」のイメージ。私は今、大人になれなくて苦しんでいます。
「大人ってどういう人だと思いますか?」そう尋ねる機会は何度もありました。でも、私はその質問も12歳の時に感じた気持ちも言わずじまいです。もう永遠にたずねることができません。
落ち着きたい、大人になりたい、心穏やかに幸せをかみしめて、それを他人にも与えられる人になりたい。
悠長に構えているわけにはいきません。もう43歳を超えてしまったのですから。しかし、何をどうしたらいいのかよく分かりません。このように気持ちを文字にすることも、手掛かりになるのか分かりません。とりあえずブログは続けてみようと思っています。