朝8時の点呼
2年前に痛めて以来、父親の足腰の調子がよくならない。長い距離を歩くことができない。10分以上立っていられない。ちょっとした姿勢の変化で痛みが走る。
年齢を考えると「よくならない」というより「年相応な状態になった」という方が適切かもしれない。そうであっても若い頃運動神経がよかった彼からすると、思うように動けない自分が歯痒くて仕方がないように見える。
「どうするかお前が決めてくれ。もう手放してもいい」
数年前から父親は私にそう言うようになった。稲作をするための田んぼのことである。私の実家は二面の圃場を所有していて、すでに一面は農業法人に貸している。
「貸している」と言っても現金も収穫の一部ももらっていない。そんなものを求めれば借り手は現れない。貸した田んぼで稲作をしてもらうことで草刈りなどの手間を省くことができる、それが田んぼを貸すことで得られる報酬。この国での田畑の価値がよくわかる。
父親が「決めてくれ」というのは残ったもう一面の話である。うまくいけば、ここだけで父母と私たち家族が1年間食べて少し余るくらいのお米を作ることができる。
私は父母と離れて暮らしているが、近年安全な主食を自分の手で作ることができるありがたさを見にしみて感じるようになった。だからどこまでできるかわからないが、二つの拠点を行き来しながら米作りを続けたいと思っている。
米作りを続けるからには義務が生じる。圃場は個人の持ち物であっても米作りは個人ではできない。田んぼの周りには目に見えない数多くの繋がり、しがらみ、不文律が存在する。この辺りの感覚、田舎で育たないとわからないであろう。
私は義務を果たすため休日を一日潰し、軽トラが連なる運動場前の広場で朝8時の点呼を受けた。読み上げられたのは父親の名前である。私が返事すると数名が「おお、今年も来たか」と私のもとにやってきた。みな年をとっている。幼馴染の父親の姿もあった。
生物の厚み
担当場所の割り振りが告げられると、皆軽トラに乗って一斉に移動する。乗用車からほとんどトランスミッションが消えたが、軽トラ界ではまだ主流である。広場がエンジンとギアチェンジの音に包まれる。私も父親の軽トラに乗り込みクラッチを踏んでエンジンを始動させる。
この日行ったのは用水路の清掃である。稲作には大量の水を必要とする。だから当然その水を圃場まで導き、またあふれた水を回収する用水路が必要となる。
自分の家の田んぼにそれがあることは知っていたが、その用水路がどこからやってきてどこへ向かっているのかなど考えたことがなかった。
考えていないとはいえ、私の家では毎年お米を作り、それを食べて私は命を保ってきた。だから私の知らないところで誰かが用水路の整備をし続けて、無事に稲作を続けることができた。そしてその「誰か」の一人が私の父親であり、その父親の足腰が痛む今「誰か」は私になったというわけだ。
今年私が割り当てられたのは去年よりかなり上手、つまり水を取得する川に近い方である。用水路は血管に似ていて、数々の分岐を繰り返しながら末端の田んぼまで水を行き渡らせる。したがって上流に向かうほど水路の幅は広くなる。
私の班はこの上流の用水路の周りの草を刈り、底に溜まった土を外へかき出す。知命は過ぎているとはいえ班の中では若手の私はスコップを手に水路に入り、淀みに溜まった土にそれを突き刺す。
ここに水が通るのは5月半ばから9月までの4ヶ月半、後は干上がっている。だからこの間に溜まった土の上には草が生えてくる。土だけならまだ楽であるが、それに草の根が絡み、同じ体積の土をすくうのに倍ぐらいの力が必要になる。
スコップを縦に何度か入れて草の根を切り、今度は底から救って放り投げる。コンクリートによる三面張りの用水路である。垂直方向に行き場を失った白い草の根がびっしりと平面に張り渡っている。
「なんて生命力に満ちた光景だろう」とスコップですくいながら思う。
植物だけではない。ひとすくいする度に様々な生命体が現れる。動きの鈍いカエル、名前もわからない虫たち、大中小のみみず、いもり、サワガニ、小さな巻貝や二枚貝。一見何もいなさそうに見える場所から生き物が湧き出してくる。
たかが三面張りの川底に10センチほど堆積した土である。しかしそこは多種多様な生物が層をなす場所であった。
一息ついて
干上がった用水路の底でもこのような様子である。私の周りにある田んぼや草むらや山や川には、一体どれだけの生き物が存在しているのであろうか。
目に見えるものだけではない。土の中には無数の微生物がいて、虫や小動物の死骸、または落ち葉や草などを分解して次の植物が育つ土壌を作っている。田んぼの表面は肥土と呼ばれる豊かな土壌に覆われている。稲作を続けることで何十年もかけて作られた特別な土だ。
田んぼや用水路が人工物であることはわかる。田んぼは、稲という一種類の植物を育てることのみに特化した不自然な環境である。それに水を供給する用水路もコンクリートを用いて全て人の手によって作られている。
しかし、そのような中であっても私は無数の動植物と繋がっている人間の存在を感じることができる。私がスコップで泥をかき出すたびに、この生き物たちが回り回って私と繋がっていることを直感する。
普段スコップを持つことのない私である。1時間もすると腕や肩の筋肉が痛み出す。用水路から上がり、軽トラのダッシュボードからお茶をとり出し、荷台にもたれかかりながら口にする。
一息つく私の目の前に遠く離れた山肌の緑が迫ってきた。なんて色なんだ。柔らかな緑、薄い緑、硬い緑、茶色の混ざった緑、どれだけ緑の前に形容詞をつけても伝わらない。
何十種類の緑がまだらに混ざり合いながら湧き上がっている。ぐるりと周りを見渡してみる。植林された杉や檜の合間に、そこだけ生きているような緑の混合体がゆっくりと呼吸をしているように見える。
こんなに美しい景色があったのだと、今更ながらに痛感する。今まで私は何を見てきたのであろうか。この緑のモザイクは私の網膜に何百回も映し出されてきたはずだ。しかし、私の脳はそれを美しいと思わなかったのだ。
光に照らされる新緑の山肌を見ながら、私は生命の神秘を感じた。結局私たちは光に他ならないのだ。
植物が葉緑素を使って光を栄養に変換し育つ。その植物を起点に食物連鎖が形成されて、人間はその頂点に位置している。最初の光合成がなければ全ては存在しない。光が私たちの存在の起点になっている。
あの緑の価値に気づけただけで、私は米作りを手伝ってよかったと思える。
