妻と笑った思い出
若いころから最近まで、私は車の中で一番カッコいい形は2ドアクーペだと思っていました。スポーツカーのような流線形ではなく、実用的な4ドアセダンと同じような形でありながら、基本的に2人で乗るために設計されており、派手さは無くても、足腰がしっかりしていて贅沢なつくりをされているところが素敵であると感じました。
学生の頃は予算の関係から小さな4ドアセダンに乗っていましたが、社会人になってある程度お金が自由になると、2ドアクーペが欲しくなってきました。
「控えめだけど足の速いスポーツクーペに彼女と乗っていろいろな場所をドライブしたい」、私は車雑誌や中古車情報誌を見ながらニヤニヤしていました。しばらくして念願だった外国製の2ドアクーペを買い、望み通り彼女とよく様々な場所にドライブに行きました。
やがてその彼女が妻となり、一緒に暮らし始めてからもその車に乗り続けました。燃費はよくありませんでしたが、力強い走りでしたし、どんな場所を走っていても絵になる車でした。
そんなスタイリッシュなクーペとは真逆のあの車に出会った場所は今でもよく覚えています。20年近く前、西明石駅付近を運転していた時のことです。信号で止まっていて、横から出てきたその車を見て私と妻は大爆笑しました。
「なんだあの中途半端なスタイルは!車というより、巨大なスリッパだ!」
そんなことを言い合いながらゲラゲラと笑いました。自分は車の中で一番スタイルがよいと思っている2ドアクーペに乗っています。完全に上から目線です。
まだ20代の若造だった私は、今から思えば目に見える部分の良さしか理解できない男でした。すべての形にはそれなりの意味があり、その形の奥にあるものが理解できた時、それは機能美として浮かび上がってきます。
年をとるということは悪いことばかりではありません。かつて若かった自分の姿が、時と共に老いていきます。そんな姿を鏡で見続けていると、今まで見えなかったものが見えてきます。
現に”カッコいい”車にしか興味が無かった私が、今では20年前にバカにして大笑いした”あの車”の格好良さに魅了されていて、”その車”が欲しくてたまりません。
他に類を見ない形
私が「巨大なスリッパ」だと思ったその車の名前は「ハイゼット・デッキバン」といい、ダイハツが製造する軽自動車です。
数多くの国内の自動車メーカーが様々な車種を出している中で、唯一といっていいほどの特徴的なスタイルをしています。ダイハツと並ぶ軽自動車の巨頭であるスズキですら、この形は販売していません。
その特徴、そして同時に、20年前の私の笑いのツボを刺激したのは、車体後部のデッキ部分です。ちょうど軽トラックと軽バンを足して2で割ったような形になっています。
その中途半端に短いデッキ部分がコミカルで「これトラックとバンのどっちなん?」「帯に短し襷に長しっていうけど、トラックにもバンにも短いやん!」とツッコミを入れたくなります。
濡れてはならないものを運ぶのならバンがいいですし、汚れ物を運ぶには軽トラが適しています。実用性ということを考えると、このデッキバンはどちらに対しても半端な役割しか果たせないと思いました。それに既成のスタイルに慣れてしまった目からすると、奇妙な形の乗り物に見えてしまいます。
しかし、年を重ねるということは、多くの人に出会い、様々な経験を積み、今までなかったことを考えるということでもあります。そしていろいろなことがわかってきます。
自分の周りを見渡すと様々な人間がいます。Aという仕事が完璧にできる人。Bという仕事が完璧にできる人。完璧とまではいかないが両方をそこそこのレベルでこなせる人もいます。むしろ、ほとんどの人は少し得意なことを持ちつつも雑多なことに関わって仕事をこなしていると思います。
仕事以外でもそうです。個人のアイデンティティーが過剰なまでに求められる時代、つまり「君は何者で何がしたいのか」を常に考えさせられる世の中にあって、いろいろな自分が混ざり合った状態の「よくわからない自分、言語化できない自分」でいることはあまり評価されません。しかし、本来人間とは外部なしではその評価を規定できなく、自分というものはもっと宙ぶらりんなものではないでしょうか。
このハイゼット・デッキバンを眺めているとそのようなことを考えさせられます。
「どっちでもええよ。どっちもちょっとずつ使う中途半端な生き方もええもんやで!」そんな声が聞こえてきそうな車です。
夢広がる
お気に入りだったクーペは子供が生まれ手放しました。交通至便な場所に住んでいたため、しばらくは必要な時にレンタカーを借りる生活を続けましたが、二人目が生まれてしばらくするとミニバンを買いました。
結婚するまでは自分がミニバンを買うなんて想像しませんでしたが、小さな子供二人を抱えての移動はこのタイプの車に勝るものはありません。パワーやスマートさは無くても、両サイドスライドドアで4人乗っても後ろに大量の荷物の積めるミニバンの恩恵を、ここ10年来享受し続けました。この車を軸にして多くの思い出もできました。
今、子供たちは成長して、4人そろって車に乗る機会がめっきり減りました。2人とも、友達といる方が断然楽しくなり、高校生の長男は旅行も友達と行きます。
あんなに活躍したミニバンは、今では週に1度ぐらいしか車庫から出てきません。家族4人で最後に乗ったのはいつなのか思い出せないぐらいです。
そんな中でアイツが、あの小さなデッキが私の脳裏に浮かび上がってきました。「家族4人の実用」をそれほど考えなくてよいのなら、もっと車で遊んでも良いのではないか、そんなことを考えるとアイツがとても魅力的に思えてきます。
普通に生活していても数か月に1度見るかどうかというぐらいのレアな車です。当然ディーラーに行っても展示車などありません。私はダイハツでカタログを貰い、ベッドから手が届く棚に置き、それを眺めてから寝るようになりました。
見れば見るほど想像力をかきたてられる素晴らしい車です。20年前、クーペに乗りながらバカにしたこの車に私は心奪われ、今ではどんな車よりも欲しいと思っています。人の心の変化って面白いものですね。
キャンプ道具を積んで日本中旅をして回る。
デッキに前輪を外したロードバイクを積んで、各地でサイクリングを楽しむ。
休日に畑をして、収穫した野菜をデッキにのせて帰る。
この車と楽しそうに過ごす私の姿を想像します。その中でも最大のものは、ここ数か月ハマっている明石焼きに関するものです。
あのデッキに焼き器と小さなテントを積み、リアシートの部分に材料をのせてイベントでたまご焼きの移動販売をする。
「いつか店を出したい」と思いながら毎週食べ歩いたり、家で焼いている明石焼きですが、その「いつか」がグッと近付いてきた気がするのです。
今は明石へ通い、家で明石焼きを試行錯誤しながら焼くだけで、まだ仕事を辞めるとか店の物件を探すとか、そんな段階からは程遠いです。しかし、やっていてとても楽しく充実感を感じています。
定年まで今の仕事を続けることなく、どこかで妻と明石焼きを焼いている自分の姿を想像することができます。収入の面で言えば今よりぐっと低くなると思いますが、お金がないなら無いなりの生活をすればよいのでは、とも思えるようになっています。
その心境の変化は、「高価なクーペよりも、この変な形のハイゼット・デッキバンに乗って人生を楽しみたい」と思う今の私を映し出しているものなのかもしれません。