とある街の昼下がりに
初めて訪問したとある街で考えさせられるシーンをいくつか見たのでここに書き記したいと思う。
立ち飲みの会計で
商店街の一角にある立ち飲み屋、昼間から多くの客で賑わっている。間口に対して奥行きが長く、パッと見て50人くらい入れそうな店内が7割程度埋まっている。
客は、こういう場所ではスタンダードであるが、中年以上の男性客がほとんどで、所々にその連れ合いと思われる女性が混ざる。壁のテレビでは阪神戦が放送されている。
私は一人、もつ煮と刺身盛り合わせをあてにビールを飲みながら店内を観察していた。舟券を買うときはスポーツ新聞で予測しながら酒を飲むが、それ以外の時は立ち飲みに集う人々や店の人の動きを観察しながらグラスを傾けるのも心地よい。
ここはこれだけのキャパの店を3人の従業員でまわしている。各人に決められた持ち場があり、忙しい時はその境界線が解けてアドリブを効かせながら阿吽の呼吸で助け合う。見ていてとても気持ちいい。
そのような見事な連携が乱れる出来事があった。
3人で飲んでいた客の一人が会計の際、ややこしいことを言い出したのだ。私が察するにこの3人は2+1の組み合わせ。2人で飲んでいたところにもう1人がやってきて合流したっぽい。だから伝票は二枚あるはずだ。
ややこしいのは後から来た1人が会計を払うと言い出したこと。男気を見せて3人分払ってしまえば話は簡単だが、どうやら一部を払うと主張しているらしい。
困ったのは店員さんだ。注文は手書きの伝票ではなく、こういう場所では珍しく端末によってコンピューターで管理されている。注文を組み替えているのだろうか、端末に向かって苦労している。
この間店員3人の連携プレーが止まる。残りの2人に負担がかかる。飲み物や料理の受け渡しが遅れる。
対応した店員さんは困惑した表情をしている。面倒な要求をした男性は赤ら顔で得意そうな顔。一部分をおごってもらった2人は恐縮を含む笑み。
店員3人の見事な連携を見てきた私は「私ならあんな無粋な要求はしないのにな」と思った。
商店街のイベントで
複雑な気分で店を出て街をふらつく。もう一軒はしごするかこのまま銭湯に向かうか、そんなことを考えながら歩いていると商店街に人だかりができている。
ここは神戸市内でいうと「三宮センター街」や「元町商店街」のような幅広い商店街ではない。神戸の人しか分からなくて恐縮であるが灘区の「水道筋商店街」や中央区の「春日野道商店街」ぐらいの道幅と雰囲気である。
そのような人通りもそこそこあるがゆったりしていない商店街の一角に人が集まっていた。人々の視線の先にはパフォーマーがいて、私はよく見えなかったが歌や踊りをしているらしい。
集まった人は楽しそうにイベントを見ているが、そこは広場でもなんでもない場所なので観衆は立ったままおしくら饅頭状態になっていた。
私はそういうイベントには興味なかったので別の道へ迂回して進もうか迷ったが、観衆の後ろに隙間が空いていたのでそちらを通ることにした。商店街の道幅を10とするなら2ぐらいのスペースが空いている。
私が観衆の後ろを通り過ぎようとしている時、後ろの方から怒鳴り声が聞こえてきた。あまり上品な言葉ではなかった。
「何しとんじゃ、通さんかい!」
自転車に乗った親父、見た目は60過ぎぐらいであろうか、が観衆に向かって怒鳴っている。
商店街の人たちが恐縮そうに交通整理をしている。その間を親父は自転車に乗ったまま悪態をつきながら通っていく。観衆はそんな親父の存在など意に介さないまま店先を見つめている。
「私なら群衆を見た時点で迂回するか自転車降りて歩くのになあ」そう思いながら歩く私を自転車に乗った親父は抜き去っていった。そもそもこの商店街は自転車走行が禁止されている。
銭湯サウナで
少し酔いもさめたところで私は銭湯に入った。サウナブームのせいか最近はスーパー銭湯に人が溢れているので、私は街の銭湯でサウナを楽しむ機会が増えた。そのうち兵庫県内のサウナ付き銭湯を全て制覇してやろうと考えている。
この街を歩くのは初めてのことなので、当然この銭湯に入るのも初めてのことである。いつものように「37」の下駄箱に靴を入れて自販機でサウナ付き入浴券を買う。
自販機のある銭湯はたいてい人で賑わっているものだ。神戸市内でも特に休日の午後は、六甲山ハイキング帰りの人々も加わり、往年の銭湯の姿を見せてくれる。
自販機に設備投資できる風呂はまだ資金面で余裕があるのだろう。それができないままひっそりと廃業していく場所も多いのが現実だ。
ここは休日の午後にしては客がまばらだった。サウナも露天風呂もある施設なのに意外な感じがした。体を洗いゆったりと浴槽を独り占めしてからサウナ室へ入る。
この日3つ目のシーンはこのサウナ室で起こった。
兵庫で人の集まる場所では当たり前のことであるが、阪神タイガースが試合をしている時は、そこにあるテレビでは試合中継が放送される。この日、サウナ室の画面でもオープン戦が映し出されていた。
私は野球にそれほど興味がない。たまに球場にも足を運ぶが、特定のチームを応援するというより、チームを問わずよいプレーを見てビールを飲むのが楽しみな人間である。野球よりビールに関心がある。だからこの日も何も考えずに阪神戦を聞き流しながら下を向いていた。
「この梅本、こいつは本当にバカだ」
サウナ室ではほとんど聞かないトゲのある声にハッと頭を起こした。部屋の中には私とあと2人。1人は肩にワンポイントのタトゥーが入った若者、もう1人は声の主、見た目70歳ぐらいのオヤジである。
その後も選手たちへの罵詈雑言が続く。隣に座っていたタトゥーの若者が同意を求められて「はぁ」と元気ない返事。上の段にいた私は「こちらに振らないでくれ」と必死に願う。
何者でもなさそうなブヨブヨの体をしたオヤジがプロの選手に向かって毒を吐き続けるサウナ室。ととのうわけがない。私はそのオヤジとタイミングをずらしながらサウナと水風呂を繰り返した。
どうしてあんなに人の悪口を、知らない人の前で言えるのか私には理解できない。私なら「バカ」という代わりに「頼むよ梅ちゃーん」というのに、モヤモヤした気持ちで風呂から上がった。
何を学ぶ?
さて、初めての街で2時間ほどの間に私は3つの体験をした。いずれも人が他の人に対して何かをするという経験である。コミュニケーション、メッセージの受け渡しに関する事柄。
立ち飲みで、周りのことを考えずに店員を困らせる要求。
自転車走行が禁止されている商店街で、それに乗ったまま道を開けさせようとする怒鳴り声。
サウナ室で見ず知らずの客に対して聞かせる悪態。
私の目から見てこれらの3つに共通して欠けているのは「謙虚さ」である。各人の背景は異なるためにコミュニケーションには常に誤解の余地がある。その余地はコミュニケーションの魅力であると同時にお互いを傷つける刃にもある。
その誤解のネガティブな側面を和らげるのが謙虚さであると私は考える。自分が行おうとしているととを一度自分を離れて見る視点、メッセージを伝えようとする相手の10秒後の感情を想像する力。それらを持つことがコミュニケーションを円滑にする。アクションを起こした側も機嫌を損ねない。
しかし、私はここで自分に告げる。
「お前は今日の出来事から何を学ぶのか」
あまり気持ちのよい経験ではなかったが、それぞれの行為を行った人にはそれぞれの理があるはずだ。それを「意味わからん、こいつは私とは違う生き物だ」と切り離して考えるのか、このようなコミュニケーションをとらざるをえない背景に少しでも共感を寄せて見るのか。
人間の進化の歴史、「進化」という言葉を使うのが嫌なら繁栄の歴史、美味しいもの食べて楽しいことしてきた歴史を考えてみる。それらを作り上げてきたのは「排除」ではなく「寛容」や「包摂」である。
だから私はファーストコンタクトでは「排除」に動きがちなこの日の経験から「何を学ぶよ?」と自分に問いかけるのである。