バイトに向かいながら
私は車を運転する時ラジオを聴いていることが多い。私の中でラジオを聴くということはNHKのAM放送を聞くこと。それも第2放送の方が圧倒的に多い。この日も自宅前に止めた車の中で朝の語学放送を流していた。
「歌聴かせて!」長男は車に乗り込むなり私に言い、スマホからQUEENを流し始めた。私はラジオを止めた。長男は喉の調子を気にしながらキーを合わせようとしている。
彼は県外の大学へ通っているが、この時は春休みで帰省中、地元のバイト先へ私が送っている途中だった。バイトが終わるとライブハウスで高校時代の仲間とイベント、そこで何曲か歌うというのだ。片道15分の道中、彼は歌の練習を続けた。大学生活について話をしようと思っていた私は少し拍子抜けした。
曲が「ボヘミアンラプソディ」になった。これなら私も前半部分の歌詞を覚えている。何度聞いても心に染みる、何かを考えずにはいられない歌詞である。彼に合わせて私も下手くそな歌を歌う。バイト先で彼を下ろして思った。
「こんな日が来るんだ」
私が彼と同じころに聴いた曲を、三十数年の後こうして親子で歌っているのだ。本当に不思議な感じがする。私は人の親になっているのだ。そして、半分は私からできた長男は、当時の私と同じ時期に同じような音楽を聴き何かを感じているのだ。
子どもたちが小さな頃、私たち夫婦は彼らに私の好きな音楽、つまりハードロックやヘヴィーメタルを聴かせなかった。妻からは「あなたのCDはちょっと…」と言われていたし、私もそうするつもりはなかった。
大人が聴くには素敵な音楽ではあるが、子どもにとっては激しすぎる。当時の私の部屋には壁一面CDラックがあり、子供たちが興味本位でCDを取り出すことがあった。持ってきたCDのジャケットを見てドキリとしたことがある。私はデスメタル系のCDを彼らの手の届かない上の方へ置き換えた。
子供用の音楽が存在するのには理由があるはずだ。私たちは童謡や「お母さんと一緒」で歌われている曲のCDを聴かせた。「子どもに聴かせたいクラッシック」というようなものも手に入れた。
ストラトキャスター
長男が中学生になるころ音楽に興味を持つようになった。私は物置の中にしまっておいたFenderのストラトキャスターを取り出した。私が大学生の頃に弾いていたものだった。仕事を始めてからはまったく弾いていなかった。ストラトのネックは反り、ナットは割れて弾ける状態ではなかった。
私はストラトを楽器屋に持ち込み修理してもらった。十数年間放置されていたギターは、何とか音が出せる状態になった。勉強と同様に、私は子どもたちに何かをさせようとすることはしたくない。しかし、その機会は与えてあげたいと思う。私はギターをスタンドにのせて部屋の一角に飾っておいた。
ギターはしばらくそのままであった。私が酔っぱらった時弾くことがあった。酔いのまわった自分でもわかるぐらい下手くそなままだ。
長男が成長し、Mr. Childrenを聴き始めると様子が変わってきた。ギターに興味を示し始め、彼は毎日ギターに触れるようになった。ギターの教則本がほしいというので買い与えた。そこから先は速かった。スマホやパソコンで動画を見ながらギターを学んでいった。
長男は、軽音楽部のある高校を選んで入学した。すぐに自分のギターを買い、私のストラトは次男の手に渡った。新しいギターを手に彼はさまざまな活動を行い、大きな大会にも出た。
音楽は彼の生活の中心で、それは大学生になった今でも変わっていない。主に大学のサークルでバンド活動を行っているが、高校時代の仲間ともよく演奏するため、しょっちゅうこちらに帰ってくる。
「あの子が巣立っていったという感じがしない」私たち夫婦は言い合っている。
長男は整理整頓が苦手で、帰省するたびに衣類や本やCDを自分の部屋やリビングにまき散らす。ある時、その中にレコードがあることに気がついた。
「これどうしたん?」私が聞くと、
「レコードプレーヤー買った。こっちの方がカッコいい」と答えた。
彼は帰省するとバイト代を手に、神戸の三宮や元町にある中古レコード店を周っているようだ。20年前、自分で作ったCDリストを手に同じ場所を周っていた自分の姿と重なる。
持ち帰ったレコードを見てみる。「Led Zeppelin」「ABBA」「RCサクセション」「サザンオールスターズ」「Radiohead」、なかなか幅広く聴いているようだ。中古だけではなく、新譜も混ざっている。
「それほど仕送りをしていないのに…」と思うが、多分バイト代をほとんどスタジオとレコードにつぎ込んでいるのだろう。それもまた青春の一場面であると思う。
それにしても、久しぶりに手にするレコードはいい。CDにはない存在感がある。レコードがCDになり、やがてスマホ内の電子データに変わった。音楽を記録した媒体が視野から消えた。
CDになったとき、決まった曲を決まった順番で聴くという縛りがなくなった。スマホが普及し音楽のサブスクリプションが登場すると、お金を払って特定のアルバムを聴くという感覚が無くなった。安い料金を払い、無限とも思える音楽の泉から乱雑に曲をくみ出すことができる。
自分が誰の何という曲を聴いているのかわからないまま、音楽を聴き続けることができる。しかし、それは本当に”聴いて”いるのであろうか。
若者は本能的にそのことに気づいているのかもしれない。”hear”ではなく、心の矢印が音楽に向かった”listen to”のために、わざわざ手間をかけて大きなレコードをターンテーブルにのせ、アーティスが指定した順番で曲を聴くのだ。
背中を押された
私は三宮センタープラザにある「リズムボックス」という中古CD屋へ向かった。20年前、CDリストを手によく来ていた店だ。久しぶりに店内に入って変化に気付いた。レコードを扱うスペースが増えているのだ。やはり、世の中の音楽に対する動きが変わってきている。
私の興味あるコーナーへと向かう。パラパラパラとレコードをめくっていく。中学生からCDを買い続けてきた私には、この動きはとても新鮮だ。CDは側面の文字から目に入ってくるが、レコードは30センチ四方の絵から視覚に飛び込んでくる。探す時のワクワク感がまるで異なる。
しばらくめくる中、一枚のジャケットに目が止まった。
ヨーロッパの”Wings Of Tomorrow”であった。
私はレコードを手にレジへと向かった。最後にレコードを買ったのは小学生の時であった。すっかりとオヤジになった私は、小学生のような気分で家に向かった。
家に帰ってもプレイヤーが無いためレコードを聴くことができない。私は同じタイトルのCDをかけた。ジョーイ・テンペストの歌声を聴きながらヴィニール盤を手に取ってみる。数十年間忘れていたレコードの匂いがする。
黒い円盤に無数の溝が刻まれている。この溝をダイアモンドの針が通過し、溝の左右の微小な凸凹により針が振動する。その振動を電気信号に変え、それをアンプが増幅してスピーカーへと送る。増幅された電気信号がスピーカーの電磁石へと伝わり、それがコーン紙を振るわせて空気の振動を作り出す。その振動が私の耳に入り鼓膜を震わせることで、私は音を聴くことができる。
一番最初に電気信号を作り出すビニールの円盤が私の手の中にある。二十年間、何度も踏み出そうかどうか迷ったことが、長男の行動に背中を押され、簡単に一歩を踏み出すことができた。
手にしたレコードは”Wings Of Tomorrow”=”明日への翼”、中年オヤジにも明日はある。私は今、翼を手に入れた気持ちである。
関連記事: 3分で100