スミスタワー

ワシントン州シアトル

こんにちは、大和イタチです。仕事でアメリカに来ています。

滞在場所は西海岸北部、ワシントン州シアトル。
多くの日本人にとって、この街の名前はイチローの活躍したシアトルマリナーズと結び付けられていると思います。イチローは選手としては引退し、現在はマリナーズのフロントにいます。ということは、この街のどこかに居を構え、この街で仕事をしているということ。「滞在中にイチローとすれ違うかもしれない」そう考えるとなんだか嬉しい気持ちです。

イチローの他に最近では、同じマリナーズにいる菊池選手が日本では話題です。これから活躍して、全米に知られる存在になってほしいです。

スペースニードルからのシアトル市街
シアトル市街 岡山と同程度の人口規模でこの景観には驚きです

実は、この街は世界的企業の集積地としても知られています。古くは世界最大の航空機会社であるボーイングを始め、日本にも広まったコストコ、デパートチェーンのNordStorm、言わずと知れたMicrosoftやAmazon、Starbucks Coffee。任天堂のアメリカ法人もここに本拠地があります。

すべてが東京に集中しがちな日本と比べ 、人口70万人程度のこの街にこれほど多くの企業が集まるとは驚きであるし、アメリカの興味深いところでもあります。
もともと、この街は太平洋航路を通じて日本との関係も深く、多くの日本企業の支店、自治体の窓口、経済団体も存在し、私もその関係の一つによりシアトルへ来ることになりました。

出張が決まった時、シアトルのことを少し調べてみました。
西海岸にあるので、比較的歴史が浅い街ではありますが、短い時間の中で急速に発展し、わずか160年ほどの間にアメリカでも有数の街になったことがわかりました。
発展の原動力は、もちろん港ですが、初期のシアトル港の後背地、シアトルで最も古い市街地であるパイオニア・スクエアに興味ある建築物を発見しました。

それはスミスタワーという、一時期世界を席巻したタイプライター会社の名前を冠したビルです。
私は、この夏から、どうしてもこのビルへ行ってみたくてたまらない気持ちになりました。滞在中、自由時間に行くべき場所、その第1番の候補にこのビルを挙げていました。

105歳

私がこのビルにひかれた理由は、一言でいうとその古さです。

シアトル出張が決まった時、何気なく見ていた街の情報で「スミスタワー、1914年、シカゴ以西最も高い」このようなキーワードが目に留まりました。

「1914年!」私は思わず口にしてしまいました。第1次世界大戦が始まった年です。
日本の元号に直せば大正3年。そんな時代に、アメリカでは148m、地上38階のビルが建てられたのです。

地盤の強固なマンハッタンに20世紀初頭から高層ビルがあったことは知っていました。しかし、シアトルは日本同様、環太平洋造山帯にある街で、アメリカ西海岸は度々地震に襲われます。
そのような場所に、今から100年以上も前に約150メートルの高層ビルを建てる。戦前の日本で最も高い建物は、1936年完成の国会議事堂(65m)という時代にです。私は当時のアメリカの熱狂と力を感じたい、そのような気持ちでこのビルを訪問しました。

北東方向から見たスミスタワー
北東方向から見たスミスタワー 美しい!

現地のカウンターパートと空港で会い、車で市内へ向かう途中「スミスタワーに訪問したい」と言うと、「お前はいいところに目を付けたな」。
高速道路から一般道に移り、「もうすぐ前方にスミスタワーが見える」と言われ、初めて目にしたこのビルは後方の高層ビル群に埋もれて、とりわけ目立つものではありませんでしたが、後日このビルを訪問した時、その圧倒的な存在感と造形美に心を奪われました。

シアトル中心街の南西の角に位置するパイオニアスクエア。その一角にスミスタワーはありました。
レンガ色の多い周りの建物に比べて、その白さが際立って目立っています。予想外に狭いその胴回りの一角に展望台への小さな入り口があります。
カフェ兼お土産物屋兼チケットカウンターのような場所で20ドルを払い、奥へ進んでいきます。

栄光の時代

100年前のアメリカ史はよくわかりませんが、奥へ進むと何となくそれを感じさせるような光景を目にし、タイムスリップした気分になります。

真鍮製のエレベーター、上品な色をした木製の窓枠、大理石で装飾された壁や床、当時のアメリカの雰囲気と共にこのビルを建てた人の気合が感じられます。

エレベーターホール
エレベーターホール 

20世紀に入り、世界の覇権国家がイギリスらアメリカへと移り、以来現在に至るまでアメリカは世界で最も豊かで力のある国です。現在ではそれも陰りが見え始めていますが、このビルが建てられた20世紀初頭はアメリカが他の国を引き離していった力のある時代。
シアトルでも、港湾を中心に発展する中、オフィス需要も伸びこのビルが建てられたと説明されていますが、高さへのこだわりや、洗練されたデザインを見ているとそれ以上のものを感じます。

ビル内部 木と真鍮と大理石
木と真鍮と大理石が中心の内部の作り

神社仏閣は別として、現在日本でどれだけの100年以上前に建てられた建物が使われているのでしょうか?
日本では高度経済成長期に建てられたビルでさえ、どんどんと立て直されています。片やこの街、特にパイオニアスクエア周辺には、1世紀を超すアールデコ様式の建物が数多く残されています。この彼我の差は何なのでしょうか。どちらがいい悪いでではありませんが、なんか日本はもったいことをしているように感じます。

このビルは、現役のオフィスビルですが、エレベーターホールに至る一角が小さな展示室のようになっており、建設当時のビジネスの様子を伝えています。
電話交換室、タイプライター、電信受信施設と100年前のビジネスマンの息吹が聞こえてきそうです。

展望室へ

真鍮製、籠状で外が丸見えのエレベーターで35階まで上がります。
オーティス製のエレベーターは、去年までは手動制御で動いていて、今でもモーターを起動する大きなレバーがエレベーター室に残っています。現在ではコンピュータ制御になり、ボタンを押しさえすれば勝手に目的の階で停止しますが、これを手動で行うためには相当の技術が必要であると思われ、実際にエレベーターのオペレーターはこのビルの名物だったらしいです。

一分ほどで展望室へ到着します。
外が丸見えなので、通過する階のオフィスの様子がわかります。
とはいえ、一階当たり0.5秒ほどで通過するため、一瞬ことですが。オペレーターの男性が「法律事務所、家具会社、クリニック…」と早口で説明してくれます。

35階の展望台は、中国風の装飾のされた、お酒や簡単な食べ物を提供するバーになっていました。
その一角から、外へ出て鳥かごのような柵に囲われた展望台から、360度の眺望を楽しみます。

スミスタワーから北を眺める
北側を眺める 

北側に業務中心地の高層ビル街、東側にワシントン湖とベルビューのビル街、南側にTモバイルスタジアム、西側に港湾施設と西シアトル。

シカゴ以西最高、全米4位の高さ、建設当時そう歌われたスミスタワーも現在では数多くの高層ビル群の中に埋もれた存在になっています。

しかし、私はこのビルが建てられた105年前に思いを寄せます。
私の祖父母も生まれていなかった大正3年。

4年前に他界した祖母から曽祖父の話を聞いたことがあります。祖母が生まれる前、一旗揚げようと北海道に渡っていた、そんな話でした。日本中がまだ貧しく、農民の割合が半分以上で、ようやく県庁所在地に鉄道が届き始めていた大正初期。

私の知らない曽祖父が北海道にいたころ、太平洋の向こう側で、このようなビルが建ち、太平洋の両側でその後紆余曲折あったが、105年後こうしてこのビルの展望台に立っている、そう考えると、今この瞬間が現実であると同時に幻であるような、おかしな気分になります。

このビルの建設に関わった人は、今では誰も生きていません。
誰がどんな思いでこの建物を建てて、どんな思いでそれを引き継いでいるのでしょうか。わずか1~2世代30年ほどで建て替えられるビルも多くあります。
このスミスタワーは、今のところ約5~6世代分の長さに渡って引き継がれてきました。建物が残っていくためには、ただ単に強度や利便性があるだけでは不十分です。一番大切なことは、人々に受け継いでいきたいと思う気持ちを喚起させることです。

気持を喚起される何か、言葉に表すことは難しいですが、このビルを見ていたらその表情から何か伝わってきそうな気持になります。


人の一生は短い。だから人間は、その短さを超えて存在する芸術に惹かれ、有機物のように変化しない石にその名を刻みたがるのでしょう。
このビルを見ていると、このシアトルで過ごした人々が、長きに渡ってこの街を見守ってきたこの建物に対して託す、時間を超えて存在してほしいという気持ちを感じるようです。

下から見上げたスミスタワー
いい表情していると思いませんか?

モヤモヤ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ 幸せ?

”古い建物の表情を見る。身近な人の歴史を感じる。想像する。”

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。