コンビニの庇の下で
職場の近くのコンビニに入ろうすると、左上のほうから騒がしい雛の鳴き声が聞こえてきます。「あっ、今年ももうこの時期が来たんだ。来年こそ巣作りするところから観察してやろう」、そう思うのですが、視線がいつも下を向き加減なせいなのか、雛の声によってはじめてツバメの存在に気が付きます。
その日以来、コンビニに寄るたびにビルの庇の下に作られたツバメの巣をしばらく眺めます。いや、むしろツバメの巣が見たくてわざとコンビニへ買い物をする用を作ったりします。約4メートルほど上の小さな電気関係のボックスの上に作られた巣を斜め下から眺めていると、時の経過に鈍感になり、知らぬ間に時計の針が進んでいます。このまま仕事に戻らずにここに椅子を置き、コーヒーでも飲みながら一日中眺めていたい、そんな気分です。
巣の中には、下から見える限り6羽の雛が。親ツバメは30秒から1分ぐらいの間隔で巣へ舞い戻り、雛たちに口移しで餌を与えます。親が現れた瞬間一斉に鳴き始める黄色い雛の口は、その体に比べて驚くほど大きく、親はその中の一つをめがけて餌を投入します。6分の1の確率で幸運をもらった雛がをそれを飲み込むころには、他の5羽はさっきまでの騒ぎが嘘であったように、キョトンとした表情で冷静に次の帰還を待つ体制に入ります。その変わり身の早さと、次のラッキーな雛はどれなのかが見たくて、私はしばしそこに止まります。
運命を感じさせる
6羽の雛を見ると、微妙に体格や動きが違うことに気が付きます。おそらく、親鳥が庇をくぐり巣へ帰る際、着地しやすいポイントがあるのでしょう。また、巣の形やそこを通る風の向きがそうさせているのかもしれませんが、良い位置取りをした雛は早く成長しているように思えます。これも卵を産み落とされた位置がその雛の運命を決定しているのでしょうか。今年ではありませんが、巣の下に雛の死体を見つけたことがあります。体が大きくなり、巣が手狭になった時落とされたのかもしれません。その雛も産み落とされた場所が異なれば、落下することはなかったかもしれません。自然の摂理、偶然がもたらす運命を感じます。
人間の子育の感覚と比較すると、信じられない速さで雛は成長し、2~3週間で一人前に羽も生え、巣の淵に足をかけて羽をはばたかせる練習を始めます。このころになると、コンビニに行く前に少し胸騒ぎがするようになります。「今日行ったら、もぬけの殻になった巣を見ることになるのではないか」それを見ることに微かな恐怖感を重ねつつも、その恐怖感を味わうことをどこかで期待しているようなややこしい気持ちです。
実際は、数日間かけて徐々に巣立っていくようですが、中には巣立った瞬間落下して猫やカラスの餌食になった雛もいるでしょう。日に2~3回しか現場にいない私は自然の厳しさに想像力をめぐらすよりも、自分の中の願望を投影し、ハッピーエンドな物語を夢見ます。
雛たちがいずれの運命に支配されたのかはわかりませんが、それでもしばらくすると雛のいない巣を見上げて「あーっ、今年もおわったな」とつぶやく日がやってきます。
生と死の影
あわただしく餌を運ぶ親鳥、めいっぱい口を開けて一斉に叫ぶ雛たち、ついこの間まで生命の力が満ち溢れていた灰色の巣が、空っぽのままポツンと配電盤の上に乗っかている。その光景を目にするとき、死の恐怖が湧き上がってくるのを感じます。1年中巣はそのままで、たまに目に入るのですが、6月のこの子育てが終わった後のそれは、無機的でその灰色の濃さが目に迫ってくるような感覚を覚えます。
いつも心にモヤモヤを抱えている私ですが、雛が巣立った直後の巣を見るときは、一瞬モヤモヤが晴れる気がします。
ツバメの話、また書きます。
モヤモヤ ⇒ 幸せ?
”動物の営み、突然の動から静を目の当たりにすると、少し生命力が増す”