M先生に憧れて
結局、全てにおいて余裕のある人がカッコよく見えるのかもしれない。
私は14歳の時、M先生に出会った。社会科の教師だった。周りの教師とは持っている光が違う人であった。一言で言うと余裕がある。この先生のすることを真似していればカッコいい大人になれる、そう思わせる振舞いをしていた。
身に付けているもの、授業の展開、話に出てくる人脈の広さ、酒の飲み方(の話)、自分の人生に対する少し冷めた視線、私は憧れた。当時、同じ学校にいた若い先生も私と同じようだった。誰からも一目置かれる中年の男性であった。
「M先生のような大人になりたい」私はそう思った。
高校生になった私はM先生に手紙を書いた。先生に憧れていること、当時の私が感じた絶望、傍らにいてくれる友人の存在、そんな内容だった。
万年筆で書かれた達筆の返信が来た。私に読ませたい書籍のリストと共に「卒業したら、その友人と私を訪ねなさい」というメッセージが添えられていた。
私は先生と再会できる日を楽しみに高校生活を過ごした。そして、先生と同じ職業に就くと決めて大学を目指した。
目標通り、私は教員養成課程のある大学へ入学した。そして、約束通り高校の親友と共に先生に会いに行った。
夜の世界の美醜を初めて私に教えてくれたのはM先生だった。授業で見たM先生の姿とは異なるが、余裕のある振舞いは同じであった。私はカッコいい大人になりたいと切に願った。
私は中学校で社会科を教えるための勉強を続けた。鉄道好きだけあって、地理分野が得意であった。時々、先生に連絡をした。都合が合えば飲みにつれて行ってくれた。社会科について語った。
「先生と同じ職場に立てる日を楽しみにしています」そう言う私を、先生は嬉しそうに見ていた。
M先生は還暦を前にして突然亡くなった。私が大学を出る1年前のことであった。だから先生は、今、私が社会科教師とは別の仕事をしていることを知らない。
「太く短く」を地で行くような人生であった。派手な生活で酒を飲み続け「ワシはいつ死んでもいい」と豪語していた人であった。
私のモヤモヤは、突き詰めて考えれば死に対する恐怖。生を謳歌することなく、さえない気持ちで死へと近づくことへの恐れ。私は今でも先生のあの言葉「いつ死んでもいい」を心の中で反芻している。
「どうしたら”生きる”ことができるのでしょうか?」先生の墓標の前で私は同じ質問を繰り返す。
微かにつながりが見える
「語学の沼に足を取られて、前進もやめることもできない」私のモヤモヤを作り出すそんな状況の1つにケリをつけたくて、昨年英検1級を受験した。
二次面接で一度失敗した後、秋の試験で合格することができた。正直言って気持ちは醒め気味だ。安心はしたが飛び上がるほどの喜びはない。
中学に入学した直後、まだ私が初めての英語の授業を受ける前、塾へ通っていた友人が私に教科書を見せて言ったことを思い出す。
「これ、なんて読むかわかるか?」
私には読めかった。友人が指さした単語は”this”であった。
あれから軽く30年は経過したが、自分のメンタリティーがそれほど変わった感覚はない。英語に関しても、”this”が発音できなかった時に感じたのと似たような苦手意識がいまだに存在する。
「英検1級ってそれほど大したことないな」
人間の渇愛にはきりがない。憧れて、欲しいと思ったものであっても、それを手にした瞬間、次の欠乏感が心を覆う。
「英検1級って世間ではどんなものなのだろう」私はネットを検索した。自分が納得できる周りの評価、つまり浮力を得ようとしていたのだ。
求めていた他人の評価、自分を納得させるほどの言葉は見つからなかった。しかし、副産物はあった。いや、むしろ、今思えばこちらの方が手に入れたかった獲物なのかもしれない。
試験科目:外国語、日本地理、日本歴史、一般常識 …
ダラダラと画面を見ているうちに出会った「通訳案内士」の試験案内であった。
試験科目の中で、最も難易度の高い外国語の1次試験は、各語の1級保有者は免除される。つまり、私には圧倒的なアドバンテージがある。そして画面に表示される「地理」「歴史」の文字。
M先生に憧れて、先生のように中学生の前で地理や歴史を教えたいと思っていた。私の青春時代に思い描いた、大人になった私の姿。
人生は往々にして思い通りにはならない。しかし、そのややこしさが時には思いもよらない景色を目の前に映し出してくれる。
通訳案内士の受験概要を見た時、子供の前で社会科を語ることがかなわなかった私が、京都や奈良の神社仏閣の前で外国人を相手に英語で日本を語っている姿を想像した。
最近、私の前によく現れるSteve Jobsが私に言う。
「ドットをつなげるんだ」
どうしよう?
とはいっても、これからどうしていけばよいのだろう。
私は今、正社員として忙しく仕事を行っている。その給料で、妻と二人の息子を養っている。
人生はどうなのだろう?生を謳歌しているのか?
答えは「否」。だから2年前の夏にこのブログを始めた。分相応の幸福を感じるために。いつかやってくる「死」と向き合うことができるために。
確かにブログを始めて私の周りが変わり始めた。2年前より確実にモヤモヤは減っている。
明石焼きの店を出すという目標ができた。毎週練習もしている。レジェンドにもたまに会いに行っている。
今「通訳案内士」というキーワードが現れた。30年前に夢見た景色が、明るい色を付けて蘇ってきた。あの時憧れていた人物と共に。
これらをどう関連付けていけば、後から振り返った時「ドットがつながった」状態になるのだろうか。心からの笑顔と幸福感で自分の歩みを祝福できるのであろうか。
ブログを書き始めて一番学んだこと。
「とりあえずやってみること」
地理や歴史の勉強をしても、仕事や子育てや妻との関係に影響が出るわけではない。サウナに行く回数や、イタリア語の勉強時間が削られて少しモヤモヤするかもしれないが。
しかし、その予測されるデメリットを補っても余りあるぐらいに、私は地理や歴史の勉強を再開することにワクワクしている。行動したら、多分、何かが起こる。バラバラに打たれている点の間に、予想外のドットが現れてくる。そんな予感がしている。