去年の2月のことでした
こんにちは、大和イタチです。
一日3食のうち、2食を職場で食べています。
朝が苦手な私は職場に着くなりパンなどの軽食を。そしてお昼は弁当を。
お昼を食べすぎると、2時ごろ眠気が一気に襲ってくるので、少なめに食べています。
お弁当は妻に作ってもらっていました。
私の好みもよくわかっているので、バランスを考えながらおいしいお弁当を作ってくれていました。
とても感謝していましたし、帰宅したら「ご馳走様、ありがとう」の言葉も忘れませんでした。
しかし、今は自分で弁当を作るようになりました。
決して妻と仲たがいしたわけではありません。
多くの時間モヤモヤを心に抱えて、こんなブログまで書いている私ですが、妻はモヤモヤを取り去る方向に動いてくれる存在です。(時には例外がありますが・・・・)
ではなぜ、自分で弁当を作るようになったのか。
一冊の本を立ち読みしたからです。
そのタイトルは「ハードコア弁当」、著者は芸人の「ホイップ坊や」。内容はSNSに載せていた彼の弁当を集めた写真集。
2018年2月のことでした。
これなら私も作れる
”ハードコア弁当”とは、白飯の上におかずを一品のせた弁当で、この本はそんな弁当をひたすら集めた写真集です。
それほど売れると思えなく、小さな書店からはすぐに消えそうな本ですが、出合った時はラッキーなことに出版されたばかりでした。
ある書店でこの本を立ち読みした時、発想の転換のとネーミングの力に感動を覚えました。
白飯の上にハム1枚。白飯の上にウインナー2本。白飯の上にちくわ1本。
(”以下白飯の上に”省略)春巻き2本、魚フライ、餃子2個…
このような感じで続いていきます。
沢山のおかずがあれば埋もれてしまうものも、白飯の上に1品しかないと、断然主役となります。唯一のおかずが輝いて見えます。食べる時も、そのありがたさが身に染みるでしょう。女子高の中では埋もれてしまいそうな普通の女の子でも、男子の多い工業高校なんかへ行くとすごく大切にされそうです。そのもの自体はそのものでしかなく、価値を決めるのは周りの状況。仏教っぽいです。
それにこの「ハードコア」というネーミングがいいですね。おそらく「超簡単弁当」や「一品弁当」なんて名前では、話題にもならなく書籍化もなかったと思います。
インスタ映え全盛の中で、お笑い芸人が逆インスタ映えするような弁当を自嘲気味に「ハードコア=筋金入りの」というタイトルで発表した、そこが面白いです。
作り方を書く必要のない弁当の本。ある意味、芸術関係の本としても成り立っていますね。
そのインパクト、アイデアに感心した私は、無性に”自分で弁当を作りたい”という衝動を感じました。同時に”これなら私でもできる”という安心感と。
メロコア弁当
とはいうものの、いざ作るとなったら考えるべきことも出てきました。
弁当は簡単に作れるのですが、問題は食べる時です。
白飯におかずが一品。少しずつおかずをかじりながら、白飯をかきこむのか。それとも、おかずを最初・中盤・最後のどこか一か所で食べて、あとは白飯をひたすら食べるのか。
白米すら食べられなかった時代のことを思うと不謹慎で贅沢な悩みなのですが、時は(ありがたいことに)豊かな現代。
しかも、昼ご飯は職場にいる中で最も楽しみなイベントです。ここで侘びしい思いはしたくない。
いろいろ考えて妥協案として「ハードコア弁当」を「メロコア弁当」にすることにしました。
”ハードコア”がつく言葉はいくつかありますが、私が一番に連想するのは「ハードコアパンク」という音楽ジャンルです。極端な音楽です。聴く人を選びます。もう少しメロディーが欲しいです。
ということで「メロディックハードコアパンク」、略して「メロコア」。このあたりを目指すことにしました。
ホイップ坊やの「ハードコア弁当」は、大きな弁当の真ん中に、おかず一品ドーンでしたが、私の「メロコア弁当」は白飯を小さな2段に分けて、それぞれおかずを一品入れました。
本日のメロディー1はシュウマイ、メロディー2は卵焼きです。
ハードコア弁当ほど筋金入りではないかもしれませんが、適度に気合が入っていて、食べる順番の選択にも幅が出て、作るのも簡単。
そういうわけで、私は今「メロコア弁当」を作っています。
モヤモヤ ⇒ ⇒ ⇒ 幸せ?
”発想の転換とネーミングで、一見貧祖に見えるものでも楽しむことができる。”