なんのために乗る?
こんにちは、大和イタチです。
暑い日が続いています。
今日の気温は34℃。
子供のころは30℃を超えると暑い日でした。
「今日は30℃を超えた。暑かったね。」
そんな会話をしていたと思います。
それが今や、7月後半から8月の30度越えは当たり前になってしまいました。何が変わったのでしょうか?
地球温暖化?ヒートアイランド現象?それとも、実は子供のころも普通に30℃を超えていたけど、気温に対する感じ方が変わったとか?
夏が来るのはうれしいけれど、1年1年、夏を迎えるのがしんどくなっている気がします。暑さのせいか、年のせいか、またその両方か。
今日はバイクに乗りました。
そして考えました。
「何が楽しくて、人はこの時期バイクに乗るのだろう?」
股火鉢?
先日、立ち飲みで常連さんと話をしていて、話題がバイクになりました。
その常連さんはバイクには乗らないのですが、夏場のバイクの暑さについて「股火鉢らしいな」と一言。
股火鉢!
言い得て妙です。
タンクを挟み込む両足の間、エンジンやラジエターは火鉢のようなものです。
エンジン内部で1秒間に何十回も爆発が起こり、エンジン本体からエキパイ・マフラーを温めます。その熱は冷却水を温め、熱くなったクーラントはタンク真下のラジエターから文字通り熱をradiate(放出)します。
「熱を放出し続ける(運転手の前、約30センチの場所で)」これがラジエターの役割で、それなしにはエンジンがオーバーヒートしてしまいます。
信号が黄色になり、シフトダウンし、停止線に止まる毎に「股火鉢」の熱は襲ってきます。逃げ場はありません。信号が変わるまでじっと我慢です。
耐えながら、ボタンを押してデジタルメーターの表示を変えていきます。「外気温34℃」「水温98℃」、街乗りをするとすぐに水温が上がります。やがて水温105℃でラジエターのファンが回り始めます。
「105℃の水」現実離れしたものが私の股のすぐ下をぐるぐる巡りながら熱を放ち続けます。
私は水冷バイクに乗っているので105℃のラジエターですんでいますが、空冷だといったいどれだけ熱いのでしょうか?あまり想像したくありません。
股火鉢だけじゃなく
この時期、長袖を着ている人って、圧倒的に少数派です。
きっちりしたビジネスマンとか、冷却ファン内蔵ジャケットを着た工事現場の人とか、訳あって肌を見せたくない人とか。
しかし、バイク乗りは普通長袖を着ます。
この時期、手袋をつける人って、圧倒的に少数派です。
タクシーの運転手とか、建設現場関係の人とか。
しかし、バイク乗りは普通手袋をつけます。
この時期、頭全体を覆う人って、圧倒的に少数派です。
食品工場の人とか、アメフトの選手とか。
しかし、バイク乗りは普通ヘルメットで頭を覆います。
「半袖で運転出来たらなあ…」
夏はいつも思います。
しかし、転倒して血まみれになった自分の腕を想像して、渋々長袖のジャケットを着ます。上半身全体から汗がにじみ、シャツがぐっしょりと濡れていくのがわかります。
私のバイク用手袋は、素材が皮です。汗と皮が長時間仲良くすると、独特の匂いを発してきます。夏の手袋の香りです。あまり嗅ぎたくないタイプの香りです。皮の手袋は洗濯することができません。せいぜい日陰干しをする程度です。こうして年代物の香りが熟成していきます。
私はフルフェイスタイプのヘルメットを使用しています。
問題は2点あります。
1点目は、後頭部の痒さ。汗をかくことでやってくるあの痒み。ポリポリとかくことができればいいのですが、できません。停車中にメットの上からゴツッと叩きますが焼け石に水です。痒みが襲ってきたとき、本当に辛いです。
2点目は、あごです。フルフェイスはあごもしっかりと守ってくれます。顔の汗が下に落ちてきます。守ってくれている部分にたまります。次第にあごがヌルヌルとしてきます。気持ち悪いです。早く脱ぎたいです。
いいところも考えてみた
夏のバイクは悲惨ですが、いいところも考えてみました。
1.信号で止まった位置が日陰だった時の嬉しさ。
2.予期せず青信号が連続して、走り続ける時の気持ちよさ。
3.家に帰って、すべてを脱いでエアコンで涼む時の解放感。
夏であっても、走り続けて風を受けている限りは、それほど暑さが苦になりません。やる気をなくするのは、渋滞や信号で低速になり止まる時なのです。
汗だらだらで、チラリと横を見る、エアコンの効いたクーペの中で楽しそうにしているカップル。
このような状況になると、メンタル的にもバイクは不利です。夏に乗っていること自体が、苦を抱えながら過ごしているようなものです。だからこそ、その苦が少しでも軽減されることに「良さ」を感じるのでしょう。車に乗っていれば最初から存在しない種類の苦なのに。
ここまで書いていて、なんだか仏教に思いが至りました。
老病死、私たちはこれらを避けることができません。そんな中を生きていかなくてはならない。「生老病死」の4つに加えて、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦で四苦八苦。これら抱えて生きる人生はすなわち「苦」であり、仏教はそれらの苦とどう向き合っていくのかという知恵だと思います。
人生=苦、という前提から始まっているところが仏教の素敵な部分です。
夏のバイク=苦、これを「あたりまえ」にしてしまえば、それが少しでも和らぐ現象が現れた時、そこに救いを求めることができるのでしょう。
病があるから、健康のありがたさがわかるように、どうしようもない暑さがあるから、信号がビルの日陰になっているありがたさが理解できるのかもしれません。
今日もそんなことを考えながら、夏のバイクに乗っています。
モヤモヤ ⇒ ⇒ ⇒ 幸せ?
”「苦」を前提に物事を考えると、小さなことにも救いが感じられるかも。”