ピキッ ピキッ
3日前より右の腰からお尻にかけて違和感を感じています。
ある一定の方向に動かすと、ピリッという痛みを感じるんです。
一晩寝たら治るだろうと、思っていたら、腰の痛さで目を覚ましてしまいました。
うつぶせになっても、仰向けになってもしばらくしたら痛くなるので、横向きになって、痛くなったら逆の横向きになって、そんなことを続けながら朝を迎えました。
次の日の朝、普通に起き上がることができません。
じっとしている分には痛みはないのですが、普段通りの動きをしようとするとピキッ、ピキッと右手側の腰からお尻に痛みが走ります。
のたうち回る激痛というほどではありませんが、「ウヒャ!」と声が出る程度には痛みます。
絶えず痛むわけではなく、歩くこともできます。
ただ、無意識のうちにある角度である部分を動かしたときにピキッ⇒「ウヒャ!」となります。そして、厄介なことに、そのピキッの条件、つまりある角度とある部分がよくわからないのです。
注意しているつもりでも、冬場金属に触れた時静電気がバチッと来ますよね。あれが、広い面の範囲で腰から下にやってくるのです。
立ち上がろうとしてピキッ⇒「ウヒャ!」。
トイレでかがもうとしてピキッ⇒「ウヒャ!」。
机のリモコンを取ろうとしてピキッ⇒「ウヒャ!」。
こんな感じで恐る恐る1日を過ごしました。
バンテリン
普通に歩けるようで、予測できないタイミングで例のピキッがやってきます。
こうなったら怖くて慎重な歩き方、いつもと比べて不自然な歩き方になります。
昨日はそのまま仕事に行きました。
動き続けている分にはよいのですが、椅子にしばらく座った後、立ち上がるとやってきます。しばらく前かがみのまま動けません。
変な歩き方をするためか、右のふくらはぎも痛くなってきました。
私は薬局に行き、バンテリンを買いました。
早速患部へ塗ってみます。
ゲルは少しベタベタして気持ち悪いのですが、塗った瞬間からスーッというひんやりとした感覚が皮膚に浸み込んでいきます。
鎮痛作用があるのでしょう。少し痛みが引いた感じはしますが、油断は禁物です。忘れたころにあのピキッはやってきます。
朝、昼、風呂上りと1日3回塗ると次の日は幾分楽になりました。
それでも、長時間椅子に座った後や、角度を間違えた動きをするとすぐにやつがやってきます。
年のせいか、何か不自然な動きをしたせいかわかりませんが、こんな状態が続くとかなり不自由です。
私は、年を取った時のことを考えました。
信号が青の間、時間目一杯でギリギリ横断歩道を渡り終えるおばあちゃん。いつも朝、職場近くの決まった交差点で目にします。
銭湯の中、あの滑り止めのついた少し背の高い椅子に座るおじいちゃん。ゆっくり腰かけて、本当に足腰悪そうです。
この痛み、この不自由さが普通の状態になる日が来るのでしょうか。
一か所だけじゃなく、腰の次は脚、首、肩、そんな感じで次々と。
逆説的なこと
人間は生まれて、17~8年かけて体が出来上がっていきます。
髪の毛が生えて、歯が揃い、骨が成長し、筋肉がつき。
その状態が続く間、それが青年期と呼ばれている期間なのでしょう。
やがて、私のような中年になると、嫌がうえでも後退戦がスタートします。
髪の毛はまだ大丈夫ですが、歯はもう2本自分のものではありません。筋肉と脂肪の割合も、後者の増加が目立はじめ、それと共にお腹も膨らみ始めました。今回の腰痛もお腹と背中のバランスが崩れたことが理由かもしれません。
そうだとすれば、これからはさらに有りがちな事になります。
その現実と、いづれ折り合いをつけながら過ごす日々がやってくるのでしょう。その時、”なんでこんなことに”と思うのか、もっと穏やかな気持ちで不自由さを受け入れられるのか、これから私が後退戦を戦う中で、何を考えてどう過ごすのかで決まってくると思います。
できれば、”穏やか”な方で行きたいです。
そのためにもこのブログが手助けになってほしいと思います。
腰を痛めたこの3日間、ものすごく逆説的なことに気が付きました。
心にモヤモヤを感じないんです。
意識が腰にある時間が長くて、心配事が心に浮かびにくくなっているのです。つまりは、ピキッ⇒「ウヒャ!」が目下の心配事になってしまって、いつも心に浮かぶことが後ろに隠れてしまった状態なのです。
これは喜ぶべきことか悲しむべきことか。
見方を変えたら、私のモヤモヤなんかその程度のものだということができます。
身体的に特に不自由なく過ごせる安心の代償のようなものでしょうか。
いろいろと考えさせられた腰痛でした。
モヤモヤ ⇒ ⇒ ⇒ 幸せ?
”モヤモヤできることは、身体が自由な時の特権?”