20数年で初めてのこと
前回書いたモヤモヤMAXがやってきてから2週間が経過した。今でも寝る前は「またあんな気持ちになったらどうしよう」と不安になるが、何とか普段通りの生活をすることができている。
働き始めて20数年になる。今までインフルエンザなど「風邪系」の病気で仕事を休んだことは数日あるが、メンタルをやられて仕事に行けなかったことはない。それだけにこの前の出来事はショックだった。
もう一度今までの生活、ブログを書き始めてから考えたこと、それらを整理して生活を変えていく必要がある。心の調節をするために書き始めたこのブログであるが、書くことで前景化する負の部分、心の膿もため込んで、それが心の器を破って出てきてしまった。
これから後、同じ考えで同じ行動をしていては、また心に膿が溜まってしまう。一度放出して空になった心の器、今度は違ったもので満たしたい。この間のモヤモヤMAXの体験も、心を整えるためには通過する必要があった過程である、そう思えるようになりたい。
あの日からしばらく、仕事には行ったが、それ以外では僕は何もすることができなかった。お酒を飲む日が増えた。素面のまま就寝しようとするとよくないことを考えてしまうからだ。飲んで眠くなり、何も考えることなく自然に眠りに落ちる。体には良くないが、心のことを考えるとこれも仕方がない。
なぜか「所ジョージ」ついて知りたいと思った。「タモリ」や「みうらじゅん」は大好きで、意識してテレビを見るようにしていたが、所ジョージに関しては今まで何も考えていなかった。
しかし今、しきりに彼のことが気になる。「~しなくてはならない」「~するべきだ」の時間の代わりに、彼に関してひたすらネットを追いかけた。
やはり”今”か
”人間は頭がいいから、明日のこととか、来年のことを考えちゃうでしょ。 そうじゃなくて、もうちょっとばかになって、今日のことしか考えられないと、幸せになりやすいのにね”
”遊びに理由なんてないんだよ”
”自分以上のものを求めるのではなく、自分の持っているものを楽しむ”
”膝が痛かったら痛む膝で何ができるかを考えればいい”
心にしみる名言が次から次へと出てくる。日本で一番といっていいほど数多くのレギュラー番組を持ち、忙しく働いているはずだ。しかし、車、バイク、ゴルフ、農業、模型、動画、音楽とあらゆることに深くのめり込み、そして誰よりも楽しんでいる。
多くのことに手を出し過ぎて、どれも中途半端なまま追い込まれ、モヤモヤから解放されない自分と対比してしまう。
所ジョージは、目の前のやりたいことをできる範囲で、楽しむことだけ考えながら行っているのだろう。その楽しいオーラが周りの人に伝染し、人を喜ばせ、新しい出会いや協力を生み出し、彼の周りの輪がどんどんと広がっている、そんな感じがする。
”みんなが自分のことをバカだと思ってりゃ、こんな楽なことはない”
”失敗なんかないよ。朝起きて、夜布団に入れば大成功”
僕を縛る数々の「~しなくてはならない」「~するべきである」。それらに時間を使っている時、僕は所さんと正反対の顔をしているだろう。未来のある時点に笑顔でいることを思い描きながら、今は眉間にしわを寄せている。
どうして英検やイタリア語検定を取ろうとする?
どうして自分で身の回りのことをしないと気が済まない?
どうして聴きたい時に音楽を聴くことができない?
どうして買った本を読まなくてはならない?
どうして読まれなくてもよいと思っているブログの更新が重荷になる?
自分にとって”善いこと”をしている時の僕は、傍からみて少しも”善い”顔をしていない。なぜなら”善いこと”はいつか未来のどこかでやってくると思いながら行動しているからだ。「30歳になったらこんな素晴らし生活をしているはず」「35になったら~」「40になったら~」。
その未来はいつまでたってもやってこない。”今”が積み重なっていないから。
Konmariさんが言うように僕は「過去への執着と未来への不安」に取りつかれている。その不安と執着に押しつぶされているから”今”が見えないし、”今”を心の底から楽しむことができない。
バカになれ、というかお前はバカだ。だから、今日を生きよ。
自分に言い聞かせる。
語学はもういい。”学”ではない。洋書に読みたい本があるからそれを読み、英語でニュースをやっているからそれを聞く。
「イタリア語や台湾語を勉強して使えるようになってから役に立てる」ではなく、好きなイタリアや台湾にいつでも行ける人生を目指そう。
その他のことも、必要でやりたかったらやればいいし、先に延ばせることは延ばせばいい。義務感から仕方なくやっていることはやめにしよう。
薄くても中身が詰まった、つまり心から楽しめる”今”を積み重ねていくこと。最初は自分勝手な”今”になるかもしれないが、徐々に周りの人も良い気持ちにさせる”今”を積み重ねていくこと。
もう一度自分に言おう。
バカになれ、というかお前はバカだ。だから、今日を生きよ。