1年ぶり
私と仲人さんとはもう25年以上の付き合いがありますが、一緒に旅をするのはここ2年半のことに過ぎません。きっかけは私が全国通訳案内士の資格を取ったことでした。
2次試験で口頭試問におけるテーマが「城下町」であり、そんなことを私は仲人さんと神戸駅近くの焼き鳥屋で話していました。仲人さんはご自身の専門が城下町だったこともあり、その時その話題で盛り上がりそれでは一緒に城下町を巡ってみようかという話になったのです。
それが今から3年前の冬のことです。私が用意したいくつかの候補の中で仲人さんが特に興味を示したのは松坂城と伊賀上野城を巡る旅でした。私たちは付き合いを持ち20年以上経って初めて二人で旅をしました。2022年6月のことでした。
今の時代結婚に際して仲人を立てることは稀です。私の友達でそうする割合は半分半分くらいでした。そんな中で結婚後も仲人さんとずっと関係を保ち、さらに一緒に旅行をするなど滅多にあることではありません。だから私はこの経験を「レアな体験」として記事に書きました。
仲人さんは日本史が専門で、私は地理が好きでしたので、旅はとてもアカデミックで学びのあるものになりました。1回目の旅が終わるとすぐに次回の計画が立てられ、2回目は一ノ谷・丸岡城、3回目は備中松山城・福山城、4回目は丸亀城・徳島城と半年に一度のペースで私たちの旅は続きました。
丸亀城を最後に仲人さんは江戸時代から天守閣が残る現存12城を制覇したので、次はどうするという話になった時、私たちは一年に一度旅を続けることにしました。場所は仲人さんが今まで行ったことのない県、テーマはもちろん城下町を中心とした歴史です。今回、未踏の県である秋田、山形、宮崎、鹿児島のうち列車で行きやすい鹿児島から行くことにしました。
クリスマスの朝
「朝から酒を飲む」私にとってこれは1年のうちに1度あるかないかのことで、その滅多にないことをクリスマスの朝に行おうとしています。新神戸駅で待ち合わせた私と仲人さんは、それが自然のことであるかのようにキオスクで酒とつまみを買って改札へと向かいます。
今まで4回の旅は私が運転する車での1泊2日の旅でした。今回は中1日だけレンタカーを借り、あとは公共交通機関での移動になります。列車に乗り込むと私は朝食のサンドイッチを缶ビールで流し込みます。隣では仲人さんがスパークリングワインを飲んでいます。背徳感と期待とが入り混ざった素晴らしい気持ちになります。
私が一人で新幹線に乗る時、基本的にずっと窓の外を見ています。時には地図やスマホの情報と照らし合わせながら、自分が今何を見ているのかを確認し続けます。高架上を走る新幹線は見晴らしがよく、多くの情報が入ってくるため飽きることがありません。
複数で乗るときは窓から見える情報は諦めます。皆に合わせて大人しくします。本当は窓にべったり顔をつけて外を見たい気持ちを抑えて会話をするなどしますが、心は外にあります。
今は歴史好きの仲人さんが隣に座っています。お互いに手にはお酒を持っています。私のタガも外れます。なんの遠慮もなく窓から見える風景について、仲人さんと歴史・地理的な考察を加えていきます。本当に最高です。話が終わりませんし、あっという間に時間が過ぎていきます。
全てのものには因果関係が存在します。例えば私たちの乗ったみずほ号は徳山駅の手前で200キロまでスピードを落として駅を通過します。駅の前後に規格外のカーブがあるからです。
たったそれだけのことでも考えられることは数多くあります。「どうしてここにカーブを作ったのか」「他のルートは検討できなかったのか」といったことです。そう言うことを普段は一人心の中で考えるにとどめますが、地理・歴史好きが隣にいると考えた端から口に出てきます。そのことがたまらなく面白いのです。
私たちは退屈する間もなく鹿児島中央駅に到着しました。新神戸からわずか3時間半です。かつて12時間以上かけて寝台特急なはで来たことを考えると、新幹線の威力を否応なく感じさせられます。
薩摩三昧
案内所で市内地図をもらい交通局の一日券を買って市電乗り場へ向かいます。この鹿児島市の魅力の一つは市電を中心にした街づくりで、鹿児島中央の駅前も市電乗り場までのアクセスも良好で雨に濡れずに到達することができます。
私たちは天文館で下車して荷物を預かってもらうためにホテルへと向かいました。この旅の宿は歓楽街のど真ん中にあるホテル・ニューニシノ、言わずと知れた鹿児島を代表するサウナを持つ宿で私のわがままで決めさせていただきました。
さて、荷物から解放され昼食を取ることにしました。当たりをつけておいた郷土料理の店に入り、薩摩を詰め合わせたような定食を食べました。キビナゴの刺身、豚骨、さつま揚げ、さけ寿司、豚みそなどを堪能。もちろん、芋焼酎のお湯わりも一緒です。
お腹がいっぱいになったところで、私たちは再びアーケードを抜けて電停へと向かいます。今回3日間鹿児島に滞在するにあたっていろいろと考えました。歴史的なものだけで見る場所は多過ぎてとても3日間では回りきれません。
仲人さんが初めての鹿児島ということと、二人の興味が重なる場所、そして鹿児島6回目の私にとっても何か新しい要素を入れながら私は計画を立てました。雨用の計画も立てましたが幸い天気は良さそうです。私たちは1系統の電車に乗り新屋敷へと向かいました。
甲突川の左岸を北に向かって歩きます。かつてこの川には江戸時代に作られた立派な石橋がかけられていたといいます。私はふと大学時代の深夜に見たドキュメンタリー番組を思い出しました。
1993年に起こった大洪水によって流された石橋の再建をどうするのかというような内容でした。現場での再建を求める市民団体と新たに設置する公園への移設を主張する鹿児島市という構図だったと思います。
そんな昔のテレビ番組をよく思い出したと感じながら私は川沿いの道を歩きました。突然、予想もできないことが浮かび上がってくるのが人の記憶です。
結局、石橋はその場に再建されることはなく、鹿児島駅近くにできた公園へと移設されたそうです。また訪れるべき場所が一つ増えました。
「城下町の構造を考える」という観点からしたら今ひとつ不完全燃焼だった「維新ふるさと館」を後にして、私たちはシティーループに乗り城山へと向かいました。
いつ見てもいい
城山観光ホテル横のバス停で降り、山道を展望台に向かって歩きます。来るたびにワクワクするする道です。なぜならこの先を抜けるとあの素晴らしい展望が待っているからです。
全国の市街地の展望の中で、鹿児島のそれは頭ひとつ抜けて素晴らしいと思います。いうまでもなくそうしているのは雄大な桜島と錦江湾の存在です。
かつて鹿児島出身の同僚に「あんな景色を毎日見て育ったら大きな人物が生まれる」と言ったところ、すごく喜んでいました。私は冗談でもなく、ここに立つたびに本当にそう思いいます。
桜島からは噴煙が上がっています。目の前の錦江湾は2万5千年以上前の大噴火によって形成されたものです。そしてその痕跡はAT(姶良・丹沢地層)として関東以西の日本各地に地層として見られます。
人間の営みがいかに短く儚いものなのか嫌が上でも感じずにはいられません。しかし、私たちはその脆さの中の世界こそが全てなのです。
私の目の前で武士が城下町を作り、イギリス海軍が市街地に向けて砲弾を放ち、明治十年の内戦が起こり、アメリカ軍により空襲され、焼け野原から近代的な都市が立ち上がりました。
城山に立つ私と噴煙をあげる桜島の間で人間の歴史が刻まれ続けます。そんな城山も目の前の桜島や周辺の火山の堆積物によって作り上げられたもの。もう一つ二つ位の異なる地球の歴史の作品の結果です。私たちは人間と自然という二つの大きな流れの間に生きています。
何度見ても心揺さぶられ何かを考えさせられる城山の景色を後にし、私たちはバスで来た道を戻りました。
黎明館の前で下車し、西南戦争で石垣にできた銃痕跡を見ながら市役所前まで歩き市電に乗ります。神戸よりだいぶん西にあるこの街は日暮も遅いのですが、それでも5時を超えると日が落ちてきます。朝、昼とお酒が入った私たちですが、観光地を巡るうちにそれも抜けてきました。
私たちは夕食を食べる前に軽く一杯行くことにしました。終点の鹿児島駅前で下車し、かねてより気になっていた立ち飲み「足立屋」へと入ります。
立ち飲み屋として百点満点の外見をしたこの店ですが、暖簾をくぐった瞬間自分の選択に間違いないことを確信しました。
使い込まれた木のカウンター、角の取れた勘定用の升、奥に貼られた「酒飲み三箇条」、大鍋で湯気を立てる煮込み料理。意外なのは若いお客さんが多いことでした。
私たちは煮込みをあてに焼酎を飲み、小一時間ほど滞在して再び電車に乗りました。近所に一件あるだけでその土地の価値が上がる、そのような素晴らしい立ち飲みでした。
私たちはホテルに帰り、サウナを堪能した後、夜の天文館へと繰り出して行きました。
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