東二見
東西に長細い明石市を2本の鉄道路線が貫いています。JRと山陽電車です。東側の神戸方面からピタリと並走してきた二つの鉄道は明石駅を境に南北の距離を取りながら西へと進んでいきます。
大久保、加古川と内陸の街を経由するJRに対して山陽電車は海に近い南側を経由しながら姫路を目指します。四月のある休日、私と妻はその山陽電車東二見駅で下車しました。二見とは明石の西の端にある街で、もともと漁師町ですが、今では埋め立てられた沖合に工場が多く見られる他、住宅地としても発展している場所です。
私たちの目的は駅前にある明石焼きのお店でした。「てんしん」という名前のその小さな店は、地元二見はもとより周辺からも多くの人が訪れるという話を聞いていました。
実際に私も山陽電車に乗る機会があれば何度かこの店の前までやってきたのですが、長蛇の行列を見て断念していました。いつもは明石駅周辺の店を巡る私たちですが、今日は「てんしん」の開店時刻を目指して東二見までやってきた次第であります。
お店は駅前の商業ビルの一角にあります。店の前には待ち客のための椅子が並べられています。私たちは開店のかなり前に来たため誰も並んでいません。店の中ではお姉さんたちがキャベツを切ったり粉を混ぜたりとテキパキと開店準備を進めています。私はこういう光景が好きです。
開店時刻の少し前になると、私たちの後ろにも人が並び始めました。十一時になり、私たちは店の中へ入りました。四人掛けテーブル三つにカウンターのこじんまりとしたお店です。この規模の店にも関わらず三人が働いているところが、この店の人気度を表しています。
地元型
カウンターの奥に大きな鉄板があります。更に各テーブルにも真ん中に鉄板が配置されています。まるでお好み焼き屋さんのようなレイアウトです。実際にここは明石焼きに加えてお好み焼きや焼きそばもメニューにあります。
位置づけとしてはコナモン全般を出すお好み焼き屋だけど、店が明石にあるから明石焼きも出しているということでしょうか。明石港近くの住宅街にある名店「ふなまち」も、明石焼きに加え、同様に焼きそばやお好み焼きを提供しています。観光客が多い魚の棚周辺の店が明石焼きを専門に出していることを考えると、これらの店はより地元に密着した明石焼きの原型といえるタイプでしょう。
私たちは明石焼きと焼きそばを注文しました。嬉しいことに大瓶のビールもあるのでそれも頼みます。
私は全国的に通りのよい「明石焼き」という言葉を使っていますが、明石では「玉子焼き」と呼ばれていて、ここでもメニューはそのような表記になっています。さらにもう一つ面白い発見があり、「焼きそば」もここでは「そば焼き」と書かれているではありませんか。
この「そば焼き」という表記は神戸の下町のお好み焼き屋さんでよく見られます。メニューに「お好み焼き」「そば焼き」「うどん焼き」という見出しがあり、その下位項目に「豚」「エビ」「イカ」「ミックス」などが続くのです。
この表現は大阪では見たことがなく、神戸独自のものだと思っていましたがここ明石でも発見でき、また一つフィールドワークのネタが増えました。
ビールをチビリと飲みながら店内を観察していると、注文の品がやってきました。年季が入った上げ板の上で明石焼きが湯気を放っています。ここの出汁は三つ葉ではなくネギを入れます。テーブルには一味が置かれていません。店によって微妙に食べかたが異なるのが面白いです。
二つの側面
明石焼きを出汁につけて頬張ります。
卵が油と合わさって焼ける香ばしさ。表面と中から溢れ出してくる昆布やカツオの出汁の香り。歯が通過する時のタコの弾力ある食感とそこから出てくる味わい。出汁の味と共に鼻に抜けるネギのさっぱりとした風味。
いろいろな感触や味わいを一度に楽しめる食べ物が明石焼きだと思います。味変でソースをつける食べかたもあります。庶民的な食べ物であるのですが上品さを感じさせるのは、和食と同様に出汁が味の中心になっているからではないでしょうか。
実際に唸るようなおいしさの出汁に出会うこともあります。とかくソースの強い味で食べがちなコナモンの世界にあって、明石焼きは出汁のおいしさが味を決めます。和食と同様に出汁をひく技術が大切になります。私好みの昆布の味わいの深い上品な出汁に出会うと「これはB級グルメではない」と思います。
一見上品に見える明石焼きも、口の中へ頬張ると熱さが暴れ出します。焼き立ての明石焼きをフーフーいいながら食べ、その熱をビールで冷やします。油と卵が高温で焼けた香りがビールとよく合います。何て素敵な食べものでしょうか。
私たちは大いに満足して「てんしん」を後にしました。「玉子焼き」と「そば焼き」以外にも注文したかったのですが、次の店へハシゴする予定でしたので我慢します。私たちが食べている間も、店にはひっきりなしにお客さんが来て、持ち帰りを注文していました。地元の方のようです。店の外には行列ができていました。
ストラディバリウス
妻と二人で明石焼きを食べた後はいつも同じ話題の会話になります。
「私たちの店はどんな店にしよう」
焼きそばが大好きな妻は今日の「てんしん」のスタイルに魅かれていました。「鉄板でいろいろなものを焼いて出すのもいいかも」と。以前は「明石焼き用に取った出汁でうどんも出す」とか「おでんも作る」というような話も出ていました。まるで文化祭の模擬店の話し合いをする学生のようです。
半分冗談で半分本気のような話を続けているのですが、私たちの手元には明石焼きの店をするにあたって一番大切なものがあります。それは、手打ちで銅版を加工して作る日本で最後の職人、安福保弘さんが作った二つの銅鍋です。
私たちは12個焼きの銅鍋を2年前の春に焼き台とセットで購入しました。安福さんの店を知り、家庭用の焼き鍋を買って焼き始め、アドバイスをもらいに店へ通ううちに業務用がほしくなったためでした。「ワシでもう終わりや」という安福さんの言葉が気になりました。「明石焼きの店をするのなら安福さんの鍋を使ってやりたい」そう思ってフライングしました。
こうやって明石焼きを食べ歩き、焼き場を見ると、多くの店で安福さんの焼き鍋を目にします。持ち手の木の部分が四角で「安福」の焼き印が押しあるのですぐにわかります。
一説によると明石市内の店の7割が安福さんの鍋を使って焼いていると言います。その焼き鍋の供給は2年前のヤスフク明石焼き工房の閉業により途絶えてしまいました。
日本で明石焼き用の焼き鍋を手で打ち出して作る職人はもういません。これから出てくるにしても、安福さんの域に達するまでには相当な時間がかかるでしょう。安福さんの打ち出した鍋はこれからイタリアのストラディバリ親子によって作られたバイオリンのようになっていくかもしれません。
私の手元にはそんな明石焼きのストラディバリウスが二つ、未使用のままあります。
私の周りにある数多くのドットとこの明石焼きの店の開業をどうやってつなげていくのか、考えて行動することは山のようにあります。しかしその作業はとてもワクワクするものです。
私の焼いた玉子焼きを、冷えたビールと共に美味しそうに食べるお客さんの姿を想像しながら、これからも行動していきます。