立ち呑み初日
田舎で育った私は、「お正月はお家で過ごすもの」そういうイメージを持ち続けている。子供時代、近くにコンビニはなく、スーパーやデパートも元旦は閉まっていた。自分の家で親戚を迎え、母親の実家に何泊か泊まりに行くと、何もしないうちに気が付けば1月6日になっていた。
中年になり自分の家族を持った今も、「正月ぐらい家にいたらいいのに」という気持ちは変わらないが、世の中はそうではなく、コンビニは24時間週7日、初売りは元旦から、1月3日になるともう正月の気分がしない。
仕方なく私も1月4日に一人街へ出る。とはいっても、福袋や衣服のバーゲンには興味がなく、書店で今年初めて買う本を選び、i-podで語学を聞きながらブラブラと街を歩き、5時になるのを待って行きつけの酒屋の立ち飲みへ。
店舗の奥のこじんまりとした一角でやっている立ち飲み、普段は短時間で入れ替わりながら4~5人、多い時でも8人ぐらいがお酒を楽しんでいる。
この日は今年初めての営業日、常連客も季節感の無い正月に時間を持て余してたのか、次々と店へやってくる。
私が入店した時点で8人。すぐに10人。みんな顔見知りなので体を斜めにして場所を譲り合う。11人、12人、自分の小皿とコップを置くスペースがやっとという状態。どこまで増える?
6時前になり、さらにお客さんが。店主は断らない。せっかく来ていただいたお客さんに営業初日から嫌な思いをさせたくない、その気持ちよくわかる。
客は「どうしましょう」という顔をする。店主は「こちらへどうぞ」とカウンターの中へ案内。接客をする店主を挟みながらコップを傾ける。店主は動きにくそう。
店内の客数は16人。この店で見たことのない数字だ。コップを持って立っているのがやっと。半径30センチ以内に隣の客の顔がある。これ以上やってきたらどうする。
スマートな立ち振る舞い
カウンターの一番奥のRさんが、店主にぼそっと「じゃあオレ」。そしてスッといなくなった。そのRさんの行動に気づいたのか、別の常連二人も「ごめんごめん、混んでるのに。お会計して」。
その二人と入れ替わるように別のお客さんがやってくる。僕もコップの酒を飲みほして「お勘定お願いします」。30分足らずで店を出た。
久しぶりの営業日、正月で、翌日は日曜日、知り合いもたくさんいて、状況的にはいつまでもお酒を楽しんでいたい。しかし、それは誰かがその楽しい輪に入れない可能性を作りだす。そのタイミングを見極めて、店をスッと立ち去ったRさん。
パッと見た感じ、御年70手前か。早い時間帯にこの店に行くと、いつも決まった場所で一人お酒を飲んでいる。塩辛、ワサビ漬け、ウニクラゲ、3種の中でどれか一つ、パックに入った少量のつまみをあてに、好きな日本酒を1杯・2杯。
「勘定して」と言うことなく、店主に無言でシュッと千円札を渡し、店が混みあう前、いつの間にか店から消えている。店主が額を計算したり、Rさんがお釣りを受け取るところを見たことがない。この店の先代の頃から、20数年来の常連だと聞く。彼専用の特別な勘定があるのだろうか。
饒舌ではないが、人の話をよく聞いている。笑い過ぎない、かといって仏頂面ではなく、ほんの少し口元を緩めながら「うん、うん」と相槌を打つ。そして、たまに発する一言で周りを笑わせたり感心させたり。
この人を見ていると、立ち飲みでどのように振舞うべきなのか、自然に学ばせていただいている気になる。
一級立ち呑み師
神戸市在住の芝田真督さんは、地元の飲食店に関する造詣が深く、神戸新聞社から数冊の書籍を出しているほどである。その中の1冊「神戸立ち呑み八十八カ所巡礼」に、しばしば”一級立ち呑み師”という言葉が登場する。
何をもって一級なのか、具体的なことは書かれていないが、歴史ある立ち呑みの名店を多く紹介するこの本で「店には一級立ち呑み師たちが…」と書かれると、そのニュアンスはよく伝わってくる。
長年その店に通い、店の雰囲気の一部になっているような人。酒を愛し、見ているだけで酒の楽しさが伝わってくるような人。立ち飲みが結節点になって、様々な世界とつながっている人。私がイメージする一級立ち呑み師はそのような素養をもった人であり、毎日通っても財布に優しい形態の店だからこそ存在できる人種だと思う。
そして、先ほどのRさん、彼もそのような一級立ち呑み師に間違いない。
いつも幸せそうに酒を飲んでいる。人の悪口を決して言わなく、表情にいつも余裕がある。何より、見ていてとても楽しそうに見える。もっと話していたいと思うのに、必ず1時間以内にスッと帰る。
私もこんな立ち呑み師になりたい。心からそう思う。憧れているのは、お酒の部分じゃなくて、体から醸し出す雰囲気。人生を楽しんでいる、無理せず、焦らず、こだわり過ぎず、そんな雰囲気。
私の勝手な想像で本人に聞いたわけではないが、Rさんは「今日の酒が人生で最後の酒かもしれない。もしそうだとしたら、残念だけれど、それはそれで楽しもう」そう思いながら毎日お酒を飲んでいるのではないか、そう感じさせるところがある。
今日一日を最高の一日に。あれこれ考えすぎず、今のこの時間を生きる。
ブログを書き始めて見えてきた、モヤモヤから脱出するための自分の課題だ。立ち呑み師から学ぶこともたくさんある。Rさんのような一級立ち呑み師を目指し、日々精進していきたい。