始まりはKonMari
KonMariとは整理アドバイザーの近藤麻理恵さんのことで、彼女は現在アメリカに住み世界中に影響を与える存在です。小さなころから片付けが大好きで、それを追求するうちに、その分野の第一人者となり多くの人々を救っています。
そんな彼女の著書「人生がときめく片付けの魔法」を私が読んだのは、2年半前のことでした。妻が古本屋で買ってきて放置していたものを、心がモヤモヤで「ときめく」ことから遠ざかっていた私が手にしたのでした。
私は一読した後たくさんの付箋を貼りました。数多くの役に立つことが書いてありましたが、私の心に最も響いたのは物を捨てられない原因について書かれた下りでした。
「過去に対する執着と未来に対する不安」
突き詰めるとこの2つが原因になって片付けができない、と彼女は記していました。それは片付けについて書かれた記述でしたが、私の心の中を言い当てられている気がしました。
当時の私の心の中は「過去への執着と未来に対する不安」が溢れていて、そのことがモヤモヤの原因になり、幸福を感じるアンテナを曇らせていたと思ったのです。
この本を読み、身の回りの整理を始めました。持ち物の中で最初に整理すべきものは衣類と書かれていました。私は私の所有する全ての衣類を畳の上に並べ、彼女が言うように「手にしたときときめくかどうか」で分類していきました。
数時間かけて整理が終わると、衣類は半分以下になっていました。かつては衣類が積み重なっていた収納スペースは、その本来の使い方ができるようになりました。私は、気に入っている服だけを着て過ごせるようになりました。すると、あれほど言っていた「着る服がない」という言葉が出なくなりました。
本当に不思議なものです。おそらく、心の中もこのようにきれいに整理ができれば、不平不満も減り穏やかな心持になれると思うのですが、ここでは衣類についてのみ語っていきます。衣類を始めとする身の回りの物を整理することが、最終的には心につながってくるという直感を持っているからです。
とにかくKonMriから始まって、それほど服を持たなくても過ごせることが分かると、私の持つ衣類はシンプルになっていきました。
今年1月29日の記事にも書きましたが、私の仕事着は黒のズボンが基本となりました。靴は黒・暗い茶・明るい茶の三色を順番に履き、これにベルトの色を合わせます。シャツとジャケットは基本的な色でどのような組み合わせでも合います。
仕事着がシンプルになったことで、気持ちも楽になり朝の時間も余裕ができました。人は自分が思うほど私の着ているものを気にしていない、そういうこともわかりました。他人に対して大切なのは、清潔感があり信頼されるような服装をすることです。
それでは、服装に関して自分にとって大切なことはなんなのでしょうか。
神戸の洋服店
女性と比べると男性の服装は単純です。そして、それが仕事着となるとさらに輪をかけて単一的です。ジャケットを例にとると、色は紺か黒か灰色、ボタンの数は2~3個、ラペルはノッチドラペル、センターベントかサイドベンツ、以上でサラリーマンの着る8割ぐらいをカバーしていると思います。
そして、私のワードローブはKonMari以降、一般的なサラリーマンより少ない種類で構成されています。私はあれこれと仕事着の種類を増やすことを止めました。だから「現在持っていない色」や「あのジャケットに合うシャツやズボン」ということは考える必要がありません。古くなったら、そのアイテムだけを追加すればいいのです。
そんな中、私は考えました。
「衣服の種類に気を使わなくてよくなったから、それを身につけた時のことを考えよう」
それはつまり、着心地がよく、着ていて気分が上るものを買っていくということです。私は、自分のファッションの起点である黒のズボンから取り掛かることにしました。ちょうど、黒ズボンの内、一本は買い替え時期で、くたびれ始めているものも一本ありました。私は、4年前にジャケットを仕立ててもらった店に連絡をしました。
舶来文化が根付いている神戸には多くの仕立て屋があります。そういった場所で洋服を仕立ててもらえば、着心地がよくて気持ちの上がるものができるでしょう。しかし、型紙を作り仮縫いを行うビスポークとなると私の給料では無理があります。
4年前にお世話になったお店は、仮縫いはなく、ゲージ服を着て採寸し、微調整を行って仕立ててくれ、私でも買えるぐらいの価格帯です。
私は5月のある休日、神戸市灘区にある「ゑみや洋服店」へ向かい、フィッターの方に自分のコンセプトをお話ししました。
既製服を売る店と一番違うのは、この会話の時間です。私の目の前に私の着る服はまだ存在しません。コンセプトを話し、素材を決めて、細かな形やボタンを選びます。ゲージ服を履いて、待ち針で形を補正しながら出来上がりのサイズを決めていきます。
服に形を合わせるのではなく、私の体の形に合った服をつくっていく、本来服とはそのようなものであると感じさせてくれる時間です。「王様の仕立て屋」というマンガで「人類史上最初の人工臓器は服である」といった描写がありました。
確かに自分に合わない人工臓器をつけていたのでは、体と心に不調が出てきても仕方がないと思います。種類は少なくても、本当に自分の体に合った人口皮膚(服)を身につける方が体と心が喜ぶのではないでしょうか。
この店に最後に来たのは2年以上前のことでしたが、フィッターの方は私のことをよく覚えてくれていて話が盛り上がり、心地よい採寸を行うことができました。
安くてそこそこ品質もいいスーツが大量に出回っている時代です。それにサラリーマンの服装がどんどんカジュアルになってきています。コロナ禍でリモートワークという仕事形態も一般的になってきました。時代は逆風ですが、こういった店はこれからも頑張っていただきたいと思います。
アップグレード
7月に入り、フィッターの方から出来上がりの連絡が入りました。店は神戸市灘区の水道筋商店街にあります。どうせ行くなら近くにある「灘温泉」のサウナに入ろうと思いました。
3連休の1日、私は昼から銭湯サウナを堪能し、ゑみや洋服店へと立ち寄りました。郊外の大型量販店や通信販売の増加と共に、日本中で商店街が寂れていっています。いや、進行形ならまだましな方で、もう終わっていてそこが商店街であったかどうかわからない場所も数多いのが現状です。
そんな中、この水道筋商店街はいつ来ても多くの人で賑わっています。隣接するのは阪急の王子公園駅で、神戸市の主要駅ではなく普通電車しか止まりません。おそらく地元の人に支持されているのでしょう。とはいえ、昔ながらの市場は再開発で住宅になるような雰囲気があります。これからも人通りが絶えないことを願わずにはいられません。
約束の時間に店に到着です。採寸をしてくれたフィッターに迎えられます。店内では店長さんも他のフィッターも接客中です。忙しくて何よりです。
試着室でズボンのはき心地を確かめます。鏡に映った股下のラインを見ます。美しい線です。既製品だとウエストか、太腿か、ふくらはぎか、どこかを妥協しなければズボンが買えません。
確かに、価格は私が普段買っていた既製品の倍近くします。しかし、ズボンに脚を通す1回1回の動作、鏡に映った姿、それを履いて過ごす時間、それらのことを考えると価値はあると思います。
今回は同じズボンを2本仕立ててもらいました。「違う色にしなくてもいいんですか」と聞かれましたが、私の考えを説明してボタンの色だけ微妙に変えてもらいました。
少し値段は張りましたが、自分の体に合うものを身につけると心地がいいし、何より気持ちが上ります。この良い状態の気持ちで仕事を行うとパフォーマンスも上がると思います。そう考えると仕立てた服を買うのも適切なお金の使いかたであると思えます。
今回はズボンを今までのものからアップグレードしました。これからも上位互換できるものに関しては、懐具合と相談しながら続けていきたいと思ってます。
服装に関してはまだ考えていることがあります。
仕事着でいえば、シャツを一色の同じ形にしようか迷ってます。今は青白・ピンクが中心で襟の形もいくつかあります。これをズボンのように一種類にできたらと考えています。襟の形はセミワイド、裏前立て、胸ポケットありが私の好きなタイプです。色を一つに絞るのは難しいですが、ぼちぼち考えていきます。
ジャケットも、靴の色が3種類なので、2種類にしたら交互に組み合わせて6日周期で回していけます。2つに絞るなら無難な紺と灰色になると思います。
私のような人間ばかりになったらファッションの世界は成り立たなく、世の中は色を失うでしょう。だから、私はさまざまな種類の服を持つ人のことを否定することはしません。コンゴのサプールのように、私の目から見れば分不相応な服を着こなすことが生き方や希望や平和へのメッセージとなることもあります。それはそれで素晴らしい文化であると思います。
ただ、私は試行錯誤するうちに服の種類をへ減らすことが心の負担も減らすことだと分かりました。今回は触れませんでしたが、仕事着以外の私服もほぼ同じものを着るようになりました。
さすがにスティーブ・ジョブスのように1種類とまではいきませんが、これからも、できるだけ種類を減らしながら上位互換していけたらと思っています。