水島新司氏の訃報
最近なぜかスマホに勝手にニュースが入ってくるようになった。側面のスイッチを押せば、最初の画面に速報という形で簡潔な知らせが現れる。そのまま画面をタップすると、詳しい記事へと進むわけだ。
自分では設定した覚えがない。しかし、こうやってニュースが現れ続けることを考えると、いつの間にかそのような状態を作ってしまったのだろう。自分ではそれほど怪しいニュースではないと思えるため、そのままにしてしている。興味の無い芸能関係の話題が多いため、ほとんどは記事に到達することなく削除される。
そのようなスマホニュースに先日、漫画家の水島新司氏の訃報が入ってきた。名前を聞いたのは久しぶりだった。確か数年前にマンガを書くことをやめたというニュースを聞いたきりだったと思う。そして、そのニュースの更に数年前に「あぶさん」の連載が終わったという知らせを聞いた。
私は氏の作品を読み続けてきたわけではないが、それでもドカベンは全巻持っていて何度か読み返し、私の野球観や人間観に少なからず影響を与えた。その他「光の小次郎」や「男ドアほう甲子園」などは、タイトルを聞くだけで、それらを読んだ子どもの頃の気持ちがよみがえってくる。
そんなわけで水島氏に関するネットニュースをしばらくいくつか見ながら、氏の人生と自分の少年時代を思い出しているとある記事に出会ってしまい、しばらくモヤモヤすることがあった。
その記事は、ドカベンの主人公である山田太郎に似ているため「ドカベン」という愛称で呼ばれた浪商、南海ホークスの香川信行選手と水島新司氏との思い出を語った記事であった。
その体系と打撃力からドカベン山田太郎に例えられ人気あった香川選手は、プロ野球選手引退後2014年に52歳の若さで亡くなっている。記事では、香川選手に対する水島新司氏の当時コメントについて触れた後「今頃、天国で浪商時代の香川さんと水島さんが昔話に花を咲かせていることだろう」という表現で閉められている。
私は、この記事を書いた記者を知らないし責めるつもりもない。こういう表現を普通に読み、普通に感動する人々が多いことも分かる。世の中の大多数の方が正常で私が少数派なのかもしれない。そしてその少数派であることが私を苦しめているのかもしれないと思う。
その上で言わせてもらえば、私はこの記事の最後の部分が気持ち悪くてしょうがないし、受け入れたくないという気持ちが強い。
私とは時間に対する感覚がまったく異なっているのだ。
死に対する感覚
ここ十年ぐらいであろうか、私はこうした死者に対する追悼の記事に敏感に反応するようになった。大多数の記事はよい。去り行く人に対して敬意を表して、盛り気味でも良いからその業績をたたえることは、人間として正しいマナーであると思う。
私が違和感を覚えるのは、死者が生物的な死を終えた直後に(これも深すぎる問題だが、とりあえず”心肺停止脳かつ脳波の無い状態”あたりで流す)、その死者が全く別の世界に存在しているような表現を目にする時だ。
今回の記事でいえば「今頃天国で昔話…」というくだりである。
水島新司氏は1月10日に逝去されたようである。そして、この記事は1月18日に発表された。死から一週間と少しである。私からすればこれでも短いと感じるが、彼の死が公になったのは記事の発表の前日、1月17日である。
私と水島新司氏との間にはマンガの作者と読者という繋がり以外何の関係もない。限りなく薄い他人である彼であるが、私の感覚では彼が今天国にいると思うことができない。人格と死後向かうべき世界の話をしているのではない。生きていた人が、こんなにも短い時間に全く別の存在に変わってしまうとは思えないのだ。
「こんなに早く天国に行って、先に行った香川選手と語り合ってもいいのだろうか」私はモヤモヤする。
そこで語り合っている2人は笑顔が似合う。現世での関係から時間が経過し、位相の異なるなかで別の関係を結ぶ、想像すると楽しそうだ。しかし、そんなにすぐではない。少なくとも、私が水島新司氏の親族ならそのような気持ちには絶対になることができない。
死とは人のみが持ちうる概念。いわば言葉の世界によって生成された人工物に過ぎない。しかし、その人工物が人間性を規定し、私たちを人たらしめている。
シーシュポスの神話の冒頭でカミュは言った。
真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に応えることなのである。
シーシュポスの神話 清水 轍訳
私たちにとって死をどう考えて取り扱うかということは、人としてどう生きるかということに他ならないし、これ以上大切な問題はない。そして、生物的な死とは異なり、言葉をもった人間にとって、生の中にも死は存在し、また逆も真であり、これら二つは簡単に割り切れるものではない。
私の祖母は6年前に生物的な死を迎えた。しかし、時折実家に帰り、かつて祖母がいた部屋の戸を開けるあの感覚は何なのであろう。扉に手をかけて開く瞬間まで、私はその奥にいる祖母の存在を疑わない。目に見えない扉の向こうに、確かに祖母はいる。
祖母だけではない。30年前にその部屋からいなくなった祖父も、祖母ほど強くないが存在しているような感覚がする。さすがに、時の経過とともに祖父の感覚は薄くなっている。しかし、100が0になるわけではない。
科学の世界で考えれば血流が止まり、代謝が止まり、体を構成しているたんぱく質、つまり大きな分子がより細かい分子へと変化していく。それだけのことかもしれない。
記事が書かれた頃には、水島新司氏の体も荼毘に付されて、まったく別の形になっていたのかもしれない。
しかし、そうであっても私は、死者が1週間かそこらで別の場所に行き、楽しそうに天国で語っているとは思うことができない。
貨幣空間
この記事を読む直前、私は橘玲氏の本を読んでいた。著書の中で印象に残ったのは「貨幣空間」という考えであった。
家族を中心とした少人数の集まりである「愛情空間」において、人類は長い歴史を積み重ねてきた。時代が下るにつれ、人と人とのつながりが拡大していき、人は「政治空間」も同時に生きることになる。
更に時代が下り経済が発達すると、お金を媒体としてつながった「貨幣空間」登場する。
人間関係の重みで言うと、身の回りの数十人に過ぎない愛情空間が人にとって大きなウェイトを占める。私たちの最大の心配事は、この身の回りの数十人との関係であり、喜怒哀楽のほとんどもこれらの人々との関係性の中から生まれる。
人間の数を考えると、貨幣空間にある人が大半である。元来愛情や政治的な損得を抜きしたドライな関係であった貨幣空間の人々とつながることで、私たちはそこそこの生活をすることができるようになった。
衣食住が満たされ、生老病死の死以外の心配が減ると、人はそれほど愛情空間に依存しなくても生きていけるようになった。本を読んでいて私はそういうことを感じた。
生と死は一体であり死者を適切に取り扱うべきだ、これは愛情空間に依存しながら生きる上で至極当然な考え方であると思う。なぜなら、人は誰もが生から死へと向かう存在で、その間には死にかけた生、自分一人ではどうしようもできない部分があるからである。
人は誰もが大切にされたいと思う存在である。死にかけている場合も、死んでからであってもそうである。そして、その思いを託すことができるのは愛情空間においてである。人間として生き、死を迎えたい、その思いは愛情空間よってのみかなえることができる。少なくとも今まではそうであった。
数千年、数万年そのように過してきた人間が、近代・現代を経験する中でその軸足を徐々に貨幣に移し、それが死者に対する態度を変えているということなのだろうか。
愛情空間でそれほどつながっていなくても私たちは満足しながら生きていくことができる。確かにそうかもしれない。生物的な死を迎えたら、その人はすぐに別の存在になることができる。それを否定することはできない。
違和感を感じながらも、自分で自分の頭の中を柔軟にしなくてはと思うこともある。
しかし、私の直感は私に告げる。
「あなたがこの世にいることは奇跡であり不思議なことだ。そう思うのなら、それにふさわしい行動をしなさい。」
私はやはり簡単には死者を天国や極楽へと送れないタイプの人間である。自分が生物的な死を迎えたなら、少なくとも49日は身近な人にその気配を感じてもらえる、そんな関係性の中で生きていきたい。