人と人以外

淡々と

大相撲宮城野部屋の関取、北青鵬が引退勧告を受けた。同じ部屋の後輩力士に対する度重なる暴力行為が発覚し、その責任を取らされた。

「暴力」とは曖昧な言葉で時代や場所によってその意味が大きく異なるため、私はここで暴力に対する価値付けをできるだけ避けながら淡々と文章を書き進む。

ただ、言葉の性質上100パーセント無垢なテキストを書くことはできない。ロラン・バルトが言うようにテキストは最終的には読者の内に収斂していくからだ。だから「あなたの偏見に満ちた主張は読むに堪えない」と言われても私は反論することができない。申し訳ありませんと素直にいいたい。それでは書き始める。

私の父方の祖父は青春時代の多くを戦地で過ごした。彼は幼き孫、つまり私に戦争体験を多く語ってくれた。そんな中で彼が悔しそうに語っていたのが上官に振るわれた暴力であった。

私の祖父が軍隊でどんな地位にいたのかは知らない。屈強な体をしていた祖父であったが、上官によく殴られていたという。彼はO脚、いわゆるガニ股であり気をつけをした時に不真面目に見える。そのことが殴られる理由であった。

彼は私に気をつけの姿勢をさせ、膝の内側がつくのに安心した表情を見せながらも「悔しくて、悔しくて」と私につぶやいた。思えば祖父の時代は「殴られる」だけではなく、国のために「死んで来い」の時代であった。実際に祖父は何度も死線をさまよって帰国して祖母と出会い、私へと繋がる家系を持つことができた。その裏側には国のために失われた命が数百万の単位で存在する。

私の生まれ育った地域の祭りでは、鬼の面をかぶった大人たちが子どもたちを追い回す風習があった。捕まった子どもはどうなるか。少し大げさに言えば殴る蹴るの暴行を受ける。

だから子どもたちは必死になって逃げまわる。それなら家の中にいればよいのだが、友だち同士で追い回されるのもまた祭りの楽しみの一つである。

子どものころ、私も鬼に捕まったことがある。倒されて蹴られた。頭を地面にこすり付けられた。もうずいぶんとこの祭りは見ていないが、今はそんなことはしていないであろう。

私の父の頬には切り傷がある。父が子供時代にこの鬼の持っている棒が当たりぱっくりと割れ、それを医者に縫ってもらった跡だという。その他にも父の時代には捕まえた子どもを橋の上から川へと落とすようなこともしていたという。

自分で言うのは何だが私は教師たちにとって「よい子」であったと思う。暖かい家庭で育ち、学校も好きだった。勉強もそこそこはできた。そんな私であるが教師に手を上げられたことは何度かあった。

一番古い記憶は保育園にいたころ、先生に平手打ちをくらったものだ。言うことをきかなかったからだろう。小学校でもよく男の先生にげんこつで頭をゴツっとされた。私は頭だったが素行の悪い友だちは顔もあった。

中学には「根性打ち込め棒」と書かれた閻魔大王が持つような棒を持った教師がいた。その棒はふざけたり寝ていたりしていた男子生徒の頭をめがけて振り下ろされた。私も何度か受けた記憶がある。

閻魔棒は度が過ぎた生徒に対しては方向を90度変えて、つまり面積が狭いほうが頭に来るように振り下ろされた。いつもは「バシッ」と響く音も「ガツッ」と湿っていた。その時は教室の雰囲気が変わった。目に涙をためる男子生徒もいた。

高校に入るとさすがに教師に叩かれることはなくなった。私は素行はよい生徒であったが、少し生意気なところがあったかもしれない。そんな私に対して教師たちは腕力ではなく言葉を使って諭してくれた。「こいつは話をすれば理解する人間だ」そう思われていたのかもしれない。

職員室で髪を染めている女子生徒が教師に指導されていた。指導担当の教師は女子生徒の頭をげんこつでゴツンとした。「いらんことするから怒られんねや」私はその程度にしか思わなかった。しかし、カナダから来た外国人講師は顔を真っ赤にして猛然と指導担当に抗議をした。

高校教師になって20年以上の月日が過ぎた。この間私は生徒に対して手を上げたことは一度もない。では「手を上げたくなったことは一度もなかったか」と聞かれたとき「はい」と答えたらそれは嘘になる。この仕事をしていると一年に何度かは、怒りのコントロールが難しくなる場面に出くわす。

しかし、私はどんな時でも手を上げることはなかった。正当防衛以外に暴力と判断されることは許されることがない世界に私たちは生きている。一時の感情に流された行動をするのは、あまりにも分が悪すぎる。その理性まで失うことは私にはなかった。

ただ、仕事を始めて間もない頃はたまに暴力を目にしたことはあった。部活動で強豪と呼ばれる高校へ生徒を連れて行った。相手は教師も生徒も緊張感が段違いだった。気の抜けたプレーに対しては鉄拳制裁が加えらえた。信じられないことだが、女子の部活動でのことである。

人以外

以上は今まで私の身の周りにあった暴力について記してみた。繰り返し言うが「暴力」とは曖昧で恣意的な概念である。人の政界では死に至るような行為を受けることも暴力であり、気に入らない言葉を投げかけられることも暴力になりうる。その間には無限のグラデーションが存在し、時と状況によってその中に一筋のラインが引かれる。

動物は人間のような言葉は持たない。従って「暴力」といえば物理的なものになる。というか言葉を持たないものには暴力も存在しないので、ここでは言葉を持つ人の立場から見た動物の暴力について考えてみる。

数年前、ツキノワグマについてのドキュメンタリーを見た。子育てをする母熊の前に子熊の父親とは異なるオスの熊が現れた。逃げる子熊たち、オスに立ち向かう母熊。最終的には子熊たちは新たなオスにかみ殺されてしまった。ツキノワグマの子殺しが撮影された貴重な映像であった。

この子殺しという暴力はライオンなどの猛獣の間ではよく知られている。オスが自分の子孫を残すためにはメスが授乳していては都合が悪い。だから子ども殺して授乳を止め、メスの発情を促すのだ。オスにとっては理にかなった行動である。

授乳が止まり発情した元に別のオスが現れたらどうなるのだろうか。オス同士の戦いが始まる。人間以外の動物にはレイプがないという。だから選択権はメスにある。オス同士は戦い、ボロボロになり、時には命を落とす。勝ったオスを受け入れるかどうかはメスが決める。

獣医をしている先輩が「野良猫のほとんどは感染症にかかっている」と言っていた。野良猫は頻繁に喧嘩をするから、切り傷から感染するのだそうだ。

猫だけではない。たいていの動物は同じ種同士で暴力を振るい合う。メスを巡る戦い、なわばりを巡る戦い、そして食べ物を求めての戦い。動物たちはいつも争い、暴力を振るい合っている。

私が子どものころミヤマクワガタを二匹カゴに入れて飼っていたことがある。どちらも立派な顎を持ったオスであった。ある日、餌をやろうと思ってカゴを開けたらクワガタが一匹しかいなかった。よく探してみると葉っぱの下に体中ボロボロにされたもう一匹が横たわっていた。

人以外の生き物は言葉を持たない。だからそれらの行動原理は私たち人間から見ると二つのことに集約される。一つは「個体として生き続けること」、もう一つは「種として存在し続けること」である。

これら二つのことのために人以外の動物は行動する。その過程で私たちから見たら「暴力」と思われることも行われる。その行為は動物にとっては必然の行為であり、その価値は無色透明なものであろう。やつらは必要最低限なことを淡々と行うだけである。

ややこしい

言葉を持った人間の世界は「意味」と「価値」が存在する世界である。祖父を殴った上官の中にも、根性打ち込め棒を振り下ろした教師の中にもそれらは存在していたであろう。

時間を縦軸にして「意味」と「価値」とが絶えず変化していくのが人間の世界である。そうであるから、暴力に関しても人間の世界ではとてもややこしい。

自然状態では、放っておけば人間も動物のように無色透明な暴力を振るい合うかもしれない。生殖相手や場所や食料を巡って、個体数が丁度いい加減になるように暴力を振るい合うのだ。

しかし、人間は暴力をコントロールすることを発見した。暴力にも「意味」と「価値」とが組み込まれ、それらをうまく制御しながら人間は繁栄を続けてきた。

暴力に善悪という概念が付随するようになった。よい暴力、悪い暴力。現在ではよい暴力の分はかなり悪い。暴力の定義はマイルドになりつづけている。そのことの良し悪しを言うつもりはない。暴力に対して人間が持つ耐性が変わってきているのだ。かつては暴力と思わなかった行為が、死の苦しみを与えることも今ではありうる。

大相撲宮城野部屋の関取、北青鵬が弟弟子に対する暴力行為で引退勧告を受けた。

この知らせを聞いて、私は以上のようなことをダラダラと考えてみた。私は土俵やプロレスのリング上の暴力行為を見ることが大好きである。

最初に淡々と文章を綴ると書いたにもかかわらず、最後は感情が現れた文章になってしまった。言葉はややこしいし、それによって作られる世界もそうである。しかし、希望はその中で見つけるしかない。

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。