夏の楽しみ
私の家の最寄り駅近く、スーパーの雨除け屋根の下にツバメの巣が3つあります。
去年までは駅に隣接するパン屋の排気口の上に作られた巣を見るのが楽しみでしたが、その場所は春の間にゴム製のトゲトゲが置かれてしましました。
5月に入り、ツバメが巣作りの場所を求めて駅周辺を飛び回る姿が見られました。パン屋の排気口の上はあきらめ、近くにあった柱と梁の隙間に狙いを定めたようでした。しかし、しばらくするとその隙間も養生テープで塞がれてしまいました。
私は腹を立てましたがどうすることもできません。駅前の電線に止まるツバメたちが、適当な場所を見つけて子育てを行えることを祈っていました。
それからしばらくして、上記のスーパーの前にツバメの巣を発見。しかもよく見てみると、3つもありました。毎日通過する場所にもかかわらず、駅の方に気を取られて全く気が付きませんでした。私の注意力などあてになりません。
ともかく、巣を発見したことでこの夏も毎日の楽しみが1つ増えました。
早回しの人生
巣の中で親ツバメがうずくまっています。抱卵しているのでしょう。その傍らにはもう一羽の親が。つがいで交代するのでしょうか。自身の夫婦関係に思いが至ります。仲良くしなければ。あのツバメのように。
しばらくすると餌を運ぶ親鳥の姿が見られます。しかし、雛が小さすぎて首を出す姿が見えません。鳴き声も聞こえてきません。
「本当に雛がいるのかな」と思いながら数日を過ごすうちに、雛は成長し下からでも見えるほどの大きさになっています。まだ毛は薄いですが、しっかりりとした鳴き声を出しています。
ここからの2週間が「ツバメの巣観察」のクライマックスです。弱々しかった雛に羽が生え、体格がよくなり、鳴き声も逞しくなり、あっという間に巣から飛び立つまでになります。本当に信じられないくらいの速度で成長していく姿が見られます。
そして毎年その姿を目にするたびに、我が息子たちのことを考えずにはいられません。妻の妊娠がわかり初めて長男の姿をエコーで見た時、その大きさは数ミリでした。次男が生まれる前、初めてビデオカメラを買いました。だから次男は生まれたその日の映像があります。
一緒に手をつないで通った幼稚園への道のり。家族4人で入ることのできたお風呂。初めて自転車に乗れた日のこと。旅行の度に開拓していった各地のバッティングセンター。子供たちの成長していく姿が次から次へと思い出されます。
毎日接していると気づきませんが、こうやって思い出すと確実に成長しています。長男は一人暮らしをする日を心待ちにしています。次男は、親よりも友達といる時間の方が圧倒的に楽しくなってきています。
私たち夫婦は、やがてやってくる子供たちの巣立ちの日を想像します。そう遠くない日でしょうが、先取りして想像すると寂しさを感じますが、いつまでも家に居られても困ります。同時に相反する二つの気持ちを持つ、人って複雑です。その複雑さが子育てをすると実感として身に沁みます。私たちがやがてその日を迎えたのち、ツバメの子育てを見ると、今とはまた感じ方も異なるでしょう。
ともかくこの2週間で、人間で言えば20年間に当たる子育ての様子が早回りで見えます。
親鳥が交代で次から次へと餌を運んできます。その姿を目にするや否や雛は一斉に首を伸ばして黄色い口を開きます。と同時にあのピピピピピッという鳴き声が。口を開いたままどうやって出しているのか不思議になります。
一日ごとに体格がよくなり、巣が手狭になってきます。足もしっかりしてきたのか、成長してくるとポジションの移動も見られます。
もう親鳥と見た目変わらないほどの大きさになると、巣の淵に足をかけながら羽をはばたかせ始めます。飛びたくてしょうがないような仕草に見えます。
そしてある日、巣の中の雛の数が減っていることに気が付きます。成長したものから自分で餌を探しに行っているのでしょう。そこから数日の後には巣はもぬけの空になってしまいます。
あれほど賑やかだった場所から生命の息吹が消えると、何とも言えない喪失感を感じます。私もやがて子育てを終え、子供たちが独立し、自分自身もこの家からいなくなる日がやってきます。すべてのものは時と共にその形を変え、そして生き物は命をつなぎ終えた後、個としての死をむかえます。
その自然の摂理に気づかせてくれるのもまたツバメの子育てなのです。
酒を飲みながら見てみたい
ツバメの巣を観察していると、品出しをしているスーパーの店員さんから声がかかります。
「かわいいですね。みんなそこで写真を撮っていくんですよ」
店の入り口にフンを落とすツバメを嫌がらずに見守るこのスーパーの寛大さに感謝するとともに、私と同じく温かい目をツバメに注ぐ人々の存在を感じて嬉しくなります。
私はある妄想を行います。
このツバメの子育てを一日中見ていたい。背もたれの深い椅子にゆったりと座りながら。ひじ掛けの横にはテーブルがあり、グラスに入った酎ハイが置かれています。
本当はビールか日本酒を飲みたいのですが、巣を観察しやすいようにリクライニングしたイスではストローを使って飲む必要があるので酎ハイにします。
胸ポケットには小さなノートとペンが入っています。それは親鳥が各雛に餌を与えた回数を正の字で記録していくためのものです。
ある温かい初夏の昼下がり、日陰でさわやかな風に吹かれながら、座り心地のよい椅子に深く腰掛けてツバメの子育てを観察する。お酒を飲んで、記録をつけて、眠くなったらそのままウトウト。
想像していてワクワクしてきました。「死ぬまでにやりたいことリスト」に加えようと思います。人の多い都会では無理なことですが、田舎の無人駅なんかだと不可能ではないでしょう。
今年の夏、18きっぷを使ってツバメの巣のある田舎の無人駅を探してみようと思いました。