まただ…
あまりによく目にする表現なので「自分の方が間違っているのでは」と思いそうになります。私の疑問は、天国や極楽と呼ばれる場所、つまり人間がこの世を旅立った後たどり着く世界は、この世界からどのくらい遠くにあるのかということです。
それが存在するのかしないのか、存在するとすればどこにあるのか、そんなことは誰にも分かりません。少なくとも「体験した」という意味で知る人はいません。
しかし人間は、そういう場所が存在する、つまり「死者がある」という概念の上に成り立っている生き物です。そして、その死者がいるであろう場所の遠さについてある程度共通の認識を持って生きてきました。
私が苦しいのは、その共通認識が揺らいでいるのを感じるからなのです。外ならぬ、人間にとって一番大切な生死に関する分野で。
1月31日にある新聞社がネットにニュースを載せていました。そこに書かれた記事を読み、私は暗い気持ちになりました。亡くなったのは私の好きなミュージシャンでした。悲しいことですが、それだけでは暗くはなりません。私をそういう気持ちにさせたのは、その扱われ方でした。
鮎川誠氏の訃報記事の最後は次のようにしめられていました。
「今ごろ天国でシーナさんと再会し、娘たちの活躍を祈っているにちがいない」
鮎川誠氏が亡くなったのは1月29日で、発表は翌30日。ロック葬が2月4日、親族の告別式が2月5日という日程でした。つまり、この記事は彼の死から二日後に発表され、その時点で告別式まで五日間あったということです。
この記事を書いた記者は、人は生物的な死を迎えた瞬間(これも大きな問題なので仮に心臓が止まり脳波が無くなった状態としておきます)に、その魂は天国へと移り、天上の存在としてこの世を俯瞰することができると思っているのでしょうか。
何度も言いますが本当のことは誰にもわかりません。わかることは、生きる者がどのように死者とその後の世界を作りだしているのかということです。
どうも最近では、まだ荼毘に付されていない遺体がある状態でも魂は天上の世界にあると考えられることが多いようです。変化のスピードが指数関数的に増している世の中です。死者に対する考え方も変わり、仏教で言う四十九日かけて仏になるという道のりでは遅すぎるのでしょうか。
私はこのスピードにどうしてもついていくことができません。「死」というカテゴリーを作り出した存在が人間であります。他の動物との一番の違いはそこで、それこそが人間性の担保になっていると考えます。だから死者に対してはもっと時間をかけて向きあうべきであると思うのです。
弔いもどんどん簡略化され、生と死が混ざり合った期間もこのように短くなっています。人間はどこへ行くのでしょう。考えると辛くなるのでこの辺でやめておきます。
鮎川誠氏について、思いついたことを書きます。
進研ゼミと級友
記憶が少し曖昧ですが、私が初めて鮎川誠のCDを買ったのは中学生の時だと思います。きっかけは当時定期購読していた「進研ゼミ」に載っていた彼のインタビューでした。
「ロックが思いきりしたかったから学費の安い国立大に行った」そのようなことが書かれていました。彼は九州大学農学部出身でした。
背が高くてハンサムで、高学歴で、ロックを奏でる。単純に「カッコいい」と思い、その記事で紹介されていたアルバム、シーナ&ザ・ロケッツの「♯9」を購入しました。CM以外で初めて聞く鮎川誠のギターサウンドでした。シンプルなロックで、歪んだギターの音がカッコいいと思いました。
その後私は高校へ入学し、そこであるCDを借りたことをきっかけに、私は今日まで続くハードロック(HR)・ヘヴィーメタル(HM)の愛好家になりました。その結果、シナロケを始めとする日本のロックからはだんだんと遠ざかっていきました。
ただ、2年生の時だったと思いますが、ロックが好きだった級友が「Crazy Diamonds」というサンハウスのアルバムを貸してくれました。サンハウスとは鮎川がシナロケを結成する前に福岡でやっていたバンドで、シーナはそのファンでした。
Crazy Diamondsは1983年のサンハウス再結成時のライブを録音したアルバムでした。このバンドを聴くのは初めてでした。「ぬすっと」という曲のメロディーと歌詞に心を奪われました。
どうしたらいいのだろう
俺の女が泥棒になって
街からこっそり出ていこうとする
だから俺にブルースがとりついて
毎晩毎晩ブルースを歌う
サンハウス「ぬすっと」
ちょうど同じころ、私はロバート・ジョンソンという1930年代アメリカのブルースシンガーのCDを聴きました。若くして亡くなりましたが、ストーンズやクラプトンにも大きな影響を与えた存在で、悪魔と取引をしてテクニックを手に入れたと言われる伝説のミュージシャンです。
「ブルースとは好きな女がいなくなってしまうことだ」
ロバート・ジョンソンが残したこの言葉と「ぬすっと」の歌詞が私の中で重なりました。
当時思春期真っただ中であった高校生です。恋をしていました。それに破れてどうしたらよいのかわからなくなったこともあります。そんな時にこの歌詞の意味が染みてくるのです。それに色を添えるのがボトルネックで奏でられる鮎川のギターでした。
HRやHMの全盛期で速弾きのギターソロに感動してした私でしたが、それらでは埋めることができない心の一部を癒してくれる音色でした。
サンハウスのCDがほしいと思いましたが、1978年に解散したバンドです。今のようにネットもなく、中古レコード屋もあまりない場所にいました。私にできることといえばCrazy Diamondsをカセットテープにとって聴き続けることでした。
にわか~雨
大学に入ると私の行動範囲も広がっていきました。サンハウスのコピーをするバンドも知り、メンバーとこのバンドについて話をしました。相変わらず私はHR/HMを一番に聴き続けていましたが、もう一方でブルースロックを求めたくなる瞬間もありました。
HR・HMも私の心を大きく癒してくれましたが、それらでは癒しきれない部分が私の心の中にはありました。そんな時、私はサンハウスを聴きました。
「ぬすっと」の他には「ふるさとのない人たち」「ふっと一息」「あの娘にくびったけ」といった曲が好きでした。サンハウスの曲の歌詞にほとんど英語が入っていません。歌詞には隠された意味もいろいろあるのですが、とりあえずは母語のままその意味を認識できます。
英語のロックを聴き続けてきた私はそのことに最初違和感を覚えましたが、その唯一無二のロックに慣れてくるとその世界に引き込まれていきます。
二枚目のアルバム「仁輪加」に「にわか~雨」という曲があります。前半は2本のギターだけで構成される曲です。優しくリズムをストロークする篠山哲雄のギターの上に鮎川誠のメロディーがのります。ここでは鮎川のギターが歌っています。言語ではありませんが、私はそこからメッセージを受けとっています。
そして他のバンドの演奏が入った後半部分では鮎川のギターの音色は歪み、ボーカルの菊と共に私に迫ってきます。短い歌詞です。何が言いたいのかよくわかりません。しかし、鮎川のギターを始めとしたバンド全体が奏でる音として聴くと、この曲は人の一生を歌ったのではないかという気持ちになります。
もちろん私の個人的な解釈ですが、人の一生はにわか雨のようなものというメッセージです。短くて儚い時間ですが、その中に喜怒哀楽さまざまな場面がある。この曲の歌詞は直接的には悲しく曲調も同様です。しかし、鮎川のギターからは時に前に向かう明るさが聴き取れるのです。
この曲の入ったアルバムは「仁輪加」です。サンハウスは博多のバンドです、当然「博多仁和加」を意識してのタイトルだと思います。博多仁和加は即興の笑劇、日々の生活の一部を切り取り笑いに変えます。
仏教にあるように生きることとは基本的に苦しみが伴うものです。そんな生の中に、笑いたくなるような楽しい瞬間があり、それをこのアルバムのタイトルと鮎川のギターが表現していると私には思えるのです。
自分の葬儀で最後はこの曲で送ってほしい、「にわか~雨」はそう思えるぐらい好きな曲です。
安らかで美しい
鮎川誠の訃報以来、彼の出演する動画を見つづけています。今まで彼の出演するテレビ番組は意識して見てきたつもりでしたが、YouTube上には私が見逃したたくさんの番組や一般の人が投稿した動画がありました。
それらを見るうちに、私はとても安らかな気持ちになりました。ロックンローラーが活躍する姿を見て安らぐのです。少し変なことかもしれませんが、それは彼から伝わってくるメッセージがそうさせるのです。
鮎川誠は決して饒舌ではありません。長い東京暮らしにも関わらず、筑後弁でゆっくりと話します。しかし、そこからはものすごく強力なメッセージが伝わってきます。いやメッセージというより言語外から伝わるメタメッセージの方が大きいでしょう。
それは「ロックをすることの喜び」であり「妻シーナに対する愛情と感謝」であります。
ギターを持つ彼はとても幸せそうに見えます。長年連れ添った69年製のレスポールが愛おしくて愛おしくてしょうがない、そんな表情と体の動きでこのギターを奏でます。「道具が体の一部になる」とは、彼のためにあるような言葉です。
シーナに対しても同様です。彼は折に触れてシーナの存在がロックの原動力となっていることと、彼女への感謝の気持ちを述べていました。シーナを見る時、サングラスの奥に優しい瞳が光っているように感じられます。
最愛の妻がなくなった時、彼は「俺たちの愛は永遠だぜ」というコメントをし、「バンドがなくなることを一番嫌がるのはシーナだから」とシーナ&ザ・ロケッツの活動を続けます。
私は鮎川誠の生き方に触れる時、何かとても美しいものを見ているような気になります。とても純粋で謙虚で好きなことに対して正直で、常に前を向いて進んでいるのです。
「好きになったことをずっとやり続けるのがロック」
彼はまさにこの言葉通りの人生を歩んだのだと思います。
昨年11月23日のライブ中に、彼は親交の深かったイギリスのウィルコ・ジョンソンの訃報を耳にします。ライブができることの喜びと、友人を失ったことの悲しみを述べた後の彼の一言が忘れられません。
「生きとる間はロックしようぜ!」
彼はこの年の5月に末期のすい臓がんを宣告されていました。それにも関わらずライブを続け、人生最後のライブの二週間前、そして亡くなる二か月前に彼の口から出た言葉です。
自分の命がもう長くないことを知ったうえで、治療に専念するよりライブを行うことを選び、そしてこの一言を言ったのです。有言実行、まさにロックに取りつかれて、ロックを楽しみ、ロックと共に旅立った男の言葉だと思います。
鮎川誠氏が亡くなったことは悲しいことですが、こうして彼のことを思い出しながら文章を書いているととても暖かい気持ちになります。直接会ったことはありませんが、彼の生き方からたくさんのものをいただいた気持ちです。ありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。
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