令和七年十一月場所

毎度のことながらあっという間の2週間。今年は福岡にも行かず、家で昼からテレビ観戦できたのは一日、馴染みの立ち飲みで観戦したのは4回といったところ。

レコーダーに撮りだめた動画をちびりちびりと見ながら(結局はほとんど見れないが)思いつくままに今場所を振り返ってみようと思う。

私にはできない

一度会って知り合った外国人に「今度君の家に居候していい?」と聞かれて「いいよ」と言うことのできる人がどれだけいるのだろうか。

2022年3月、17歳のダニーロ・ヤブグシシン君がどのようにお願いしたのかはわからないが、関西大学相撲部の山中新大さんは彼の願いを聞き、神戸市内の実家に引き取った。

もちろん山中さん一人が決められるものでもなく、彼の両親兄弟などの協力があってのことだと思うが、自分に置き換えて考えた時、とてつもなく難しい決断で私にはできそうにないし、自分の子供が同じことを私に言ったとしても断っていることだろう。

ダニーロ君は山中さんの実家に半年以上居候し、そこから関大相撲部へ通って練習に励んだ。その年の12月、安治川部屋に入門し安青錦の四股名をもらった。

全てが始まってわずか三年のことである。

今年令和七年の大相撲力士名鑑に安青錦は十両として載っている。それが令和八年版には大関として、つまり大の里や豊昇龍と並んで表紙に登場することになる。

11月24日の神戸新聞第1面、賜杯を受け取る安青錦の下に三年前の写真が並んでいた。山中さんと肩を組むダニーロ君は金色の短髪で少年の顔をしている。

「自分はこれからどうなるのだろう」

家族や友人と離れ離れになり、言葉のわからない国に一人やってきてこのように思っていたことだろう。そんな少年が今では日本の伝統ある国技の中心にいる。

いろいろな縁や思いによって大関安青錦が誕生した。それによって私も相撲をみる楽しみが増している。人のつながり、優しさや寛大さに感謝したいと思う。

似たもの夫婦

日曜日の昼過ぎ自宅で一緒にNHK BSの相撲中継を見ていて妻が一言言った。

「あっ、セイント富士が出てる」

彼女の言う「セイント富士」とは伊勢ヶ濱部屋所属幕下力士聖富士のことである。彼女がそのように呼ぶ理由は、この私に無意識のうちにさまざまな有名人の名前を変えて呼ぶくせがあるからだ。

これは言葉に敏感な私の性で、歳をとるに従って親父ギャグと共に登場の頻度が増している。例えば女優の名取裕子さんや常盤貴子さんがテレビに出ると、私は思わず「ナトリウム裕子」「まさかの時は貴子」などと発してしまうのである。

そんな私の発言を妻は聞いている。そして何かの弾みで意に反して彼女の口からも飛び出してしまうのである。

大相撲では「エックス山本」「隆の勝ホワイト」「go-go豪の山」「世界はショーバイ正代」などと偉そうに呼んでいるが、もちろん悪気はなく相撲と言語好き中年親父の病気である。妻もその病に少し感染している。

なぜ舞わなかった?

新入幕の名古屋場所で十一勝をあげ、先場所でも勝ち越し、今場所からは四股名を「草野」から改めた義ノ富士が十日目に金星を得た。

ネットのニュースでそれを知った私は、仕事から帰ると録画した取り組みを興奮気味に再生した。幕下最下位付け出しのデビューからわずか一年半、まだ大銀杏が結えない平幕が初めての対戦で大の里を破ったのだ。

「これは座布団の乱舞が見られるかも」

そう思いながら取り組みを見るも勝負は一瞬、一方的に義ノ富士が横綱を土俵の外へ押し出した。観客も意外すぎたのだろうか、歓声も今ひとつであった。

いくら金星であってもいい勝負にならないと在布団は舞わないということだろうか。

この勝負翌日の英字新聞「Japan Times」に次のような記事で紹介されていた。

still occasionally resorts to pulling when forced backwards- something that almost inevitably leads a loss.

「押し込まれるとはたきに頼ろうとして、ほとんど必然的に負けにつながる」といった内容である。最近は海外でも大相撲は人気らしく、この英字新聞でも相撲関連の記事が増えている。

外国人の観客が適切なタイミングで(本当は投げてはダメであるが)座布団を放る日が来るのだろうと考える。

相性

10日目の竜電と翠富士の取り組み、取り直しの末竜電が星を落とした。両者の過去の対戦成績は7-0でいずれも翠富士。竜電は相撲がうまく、体格でも翠富士を圧倒しているように見えるがどうしても勝つことができない。

相性というものがあるのだろう。こういったところが無差別級の相撲の面白さである。その竜電、対戦後に腕と顔をすりむいて血が滲んでいた。八連敗のあとである。痛みも強かったのではないだろうか。

一方の翠富士は勝っても負けても大歓声の人気力士である。相手の体の下に頭をつけて一所懸命何とかしようとする姿がいい。だから勝負の結果を問わず、取り組みの後は常に髷が大きく崩れている。 

ラッシャー木村的な

プロレス界で試合後のマイクを誰よりも期待された選手、それは全日本プロレスのラッシャー木村。晩年は試合よりも盛り上がるマイクパフォーマンスであった。

そんなラッシャー木村張りにマイクが期待される力士が一山本である。彼のインタビューが待ち遠しいのは、彼の受け答えが相撲界で唯一無二といえるからだ。キーワードをあげると「スラスラ」「ハキハキ」。

一山本は質問を受けると間髪を入れずに早口で答える。終始笑顔でためや迷いがない。内容は前向きで声のトーンも明るく、こちらまで元気になってくる。活舌もよく語尾につける「ました」の発音がいい。

平幕力士がインタビューを受ける機会は横綱・大関戦勝利か10日あたりの勝ち越しである。私の行きつけの立ち飲みでは、一山本がそれに当てはまりそうになると常連客がそわそわし始める。

しかたないけど

十両に落ちた時点で覚悟はしていたが、引退となると寂しいものだ。遠藤と宝富士、私の好きな二人の力士が九州場所を前に引退しそれぞれ北陣、桐山親方となった。

どちらも相撲どころである石川と青森出身。相撲に一途で寡黙、多くを語らない様子が雪国出身を感じさせていたが、実はどちらも明るい性格をしているという。

親方になって相撲協会最初の仕事は場所中の警備であるようだ。今場所でも髷姿で協会ジャケットを身に着けて花道奥に立つ二人の姿が見られた。「もう締め込み姿で土俵に立つことはないんだ」と思うと悲しいが、協会に残って後輩を育成してくれることを考えるとその悲しみも少し和らぐ。

永遠に続くものなど何もない。そんな当たり前でも忘れがちなことを力士の引退は教えてくれる。だから見る側も身を引き締めるべきである。私たちは一合一会に囲まれながら生きている。

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投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。