令和五年三月場所

日本には四季があり、それぞれの訪れと終わりを感じながら今まで生きてきたが、最近では一年を六つに分けて時の経過を覚えるようになった。言うまでもなく大相撲の各場所である。初場所の千秋楽から一月半心待ちにしていた大阪場所もあっという間に過ぎ去ってしまい、しばらく相撲ロスを感じていた。それも癒えつつある今、いつものように気がついたことをとりとめもなく書き綴りたい。

純粋に楽しむとは

「私は純粋に相撲の取り組みを楽しんでいるのだろうか」そう思うことがあった。目の前で展開する取り組みの一つ一つで満足し、完結するような観戦の仕方をしていないと思うのだ。

どういうことかというと、取り組みを見ながら頭の中では必死にその意味付けを探そうとしているのだ。これは言い換えると「人に伝えることを前提とした見方」でもある。

私はこのように場所がある度にブログで相撲の記事を書く。職場では相撲好きの同僚と毎朝話をする。馴染みの立ち飲みでも相撲の話で盛り上がる。私が土俵上の一番を見る時、そのようにアウトプットを行う自分の姿というフィルターが現れて、それを通じて目の前の勝負に”意味付け”を行おうとする。

そのような相撲の見方が私にとって一番良いのだろうかと考えることがある。ブログで記事にすることと、他人と相撲の話をすることを止めれば何も考えずにより相撲を楽しめるかもしれない。アウトプット前提の見方ではなく、その場で完結するような見方である。

しかし、伝えることを考えるから見えてくる世界があることも事実である。力士の所作一つとっても「話のネタ」を探そうとする心があるから気づきが生まれるのだ。ただ目の前で繰り広げられる現象を他人に伝えるためには物語が必要になる。それは、私の主観がどの部分にどんな意味を持たせるのかを考えることに他ならない。

相撲の見方でどうしてこのようにあれこれ考えなくてはならないのだろうか。「普通に見たらええやん!」ともう一人の私が言う。その通りだ。そういわれたら「普通にとはどんな方法で…」そう考える性格が私の頭の固さ。そのガチガチの頭と上手く付き合いながら、できるだけ相撲を楽しみたいと思った。

気持ちは大きい?

今場所西の前頭筆頭、正代関がイキイキしているように見えた。去年の九州場所で大関から陥落、十勝すれば大関に戻ることができる今年の初場所でも六勝九敗と全く振るわなかった。

正直、去年は正代の勝負はもとより彼の表情を見るのが辛かった。個人的に「しょんぼり正代」と呼び揶揄していたが、本当はそのような顔は見たくなかった。力強くあたって押し込む正代が見たかった。

今場所も初日が豊昇龍戦であったため「勝つのは無理かな」と思っていた。取り組みの後、私は場内と同様に「うぉー!」と声を上げていた。当たりから土俵際までが速い速い、一気の勝負に「正代ってあんな動きだった」と嬉しい悲鳴。

翌日霧馬山戦も何度か攻め込まれながらも巻き返し、最後は押し返して勝負あり。私は去年とは別人を見ているような感覚がした。結局、正代は十勝五敗で大阪場所を終えた。去年の名古屋場所以来の二桁勝利である。

人によって力を発揮できる条件は異なるが、正代は平幕の方がリラックスして力が出せるのかもしれない。心の状態はパフォーマンスに大きくつながっているのだと思った。何より、今場所は彼の表情があの「しょんぼり」ではなく「しっかり」としていたことが嬉しかった。

期待大きすぎ

千秋楽の朝乃山戦を見て思った。

「この髪の短い力士は何なんだ。末恐ろしい」

相手は優勝経験もある元大関、こちらは大相撲を始めて二場所目である。その朝乃山を相手に落合は何度も攻め込み苦しませた。落合が勝ってもおかしくないような取り組みであった。

朝乃山が弱くなったわけではない。初場所は十四勝一敗で十両優勝、今場所も十三勝している。落合がすごすぎるのだ。新十両で九日目に勝ち越しを決めて、最終的には十勝五敗であった。

是非これから十数年間にわたって相撲界を面白くする存在でいてもらいたいと思う。あまり期待し過ぎてはいけないが、そうせずにはいられないような力士である。怪我だけはしないように、宮城野親方のもとで強くなっていってほしい。

寂しい×4

今場所では解説の北の富士さんがいなかった。体調を崩されているとうことだ。あの舞の海さんとの掛け合いがないと寂しい。いつも正代に対して厳しいコメントだったが、今場所の正代に見たら何と言っていたのであろうか。聞きたかった。

兵庫県のローカルニュースで、地元出身の関取りの結果を伝えるのだが、その中に照強がいないと寂しい。去年は勝ち越しが一回。九州場所で全敗し今年初場所は十両。そこで負け越して今場所は幕下でむかえたが、ここでも三勝四敗となった。病気で体の調子が悪いらしい。力士の大型化が進む中、照強のような力士が活躍することは階級制のない相撲を一気に面白くする。 

「どうしてあの体形で相撲が取れるのだろう」と見るたびに思う力士がいる。しかし、相撲を取るとこれが上手いのだ。それが明瀬山。蹲踞のとき独特の手の動きを見せてくれる。二年前に怪我をして二場所休場、幕下に落ちてしまった。体型と技のギャップを持って関取を倒す姿か見られなくて寂しい。幕下で地味に勝ち越しを重ねているところが彼らしいのではあるが…。

場所前の貴景勝のインタビューを見て感動した。綱取りへ挑戦できることへの感謝の気持ちと謙虚さが伝わってきたからだ。取り口の多様性に関して一抹の不安はあったが、横綱になってほしいと願った。やはり強い横綱や大関がいてこそ、究極の階層社会である大相撲が面白くなる。今場所貴景勝は途中休場し、照ノ富士も半年間土俵から遠ざかっている。横綱と大関が見られない場所は寂しい。

次期大関

今場所では関脇霧馬山が十二勝三敗で優勝した。その霧馬山と十二日目に組まれたのが、同じく関脇の豊昇龍である。二人ともモンゴル出身である。面白い一番であった。勝負は一進一退であったが最後は霧馬山が上手投げを決めた。

実はこの二人、私の中でヒール役である。私の贔屓の力士たちが対戦することを恐れる相手である。つまり粘り強くて最後まで分からない力士なのだ。特に豊昇龍は驚異的な下半身の持ち主で、決まったと思った瞬間から逆転の投げを決める力がある。

今回の霧馬山の優勝で、ライバルである豊昇龍は心に火がついているであろう。来場所はいつもに増してものすごい闘志で土俵に上がるはずだ。そうすると、私の贔屓の力士たちとの取り組みも不安要素が増す。

二人は私にとってヒールであるが、勝負の世界にヒールの存在は欠かせない。彼らは大相撲を盛り上げる大切な存在。次期大関に最も近いのもこの二人であろう。若隆景、大栄翔、宇良、彼らに負けるな。

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投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。