令和五年初場所

お正月はそれなりに楽しみなのだが、大相撲を好きになってからは「初場所を見たいので早く過ぎてほしい」と思うようになった。

去年は御嶽海が大関を決めた場所であった。二年前は大栄翔が優勝した。その前は徳勝龍だ。「あれから三年か」と思う。サウナ室の中で徳勝龍が優勝する瞬間を見た。幕尻からの賜杯であった。インタビューを聞きながら涙が出てきた。周りのサウナー達からも、鼻をすする音が聞こえてきた。いい空間だった。

さて、今年の初場所にはどのようなドラマがあったのか、思いつくままに書き出してみたい。

淡路と高砂

兵庫県には三人の関取がいる。上位から貴景勝、妙義龍、照強である。「地元の力士」として意識するときに意識するときに、なぜか貴景勝は私の中で影が薄くなる。

これは兵庫県アルアルかもしれないが「芦屋」という地名は特別で、少し自分たちと離れた場所である感じがするのだ。特に阪急電車より山側は私たち庶民とは別の世界が広がる。貴景勝は芦屋出身である。

そのようなわけで、私は高砂出身の妙義龍と淡路出身の照強が出てくると「地元力士がんばれ」という気持ちになる。

妙義龍は今場所六勝九敗と負け越してしまった。三十六歳になり、体力的にも少しきつくなってきているのかもしれない。両ひざのサポーターも痛々しい。それでも今場所は、最後の二日、明生と正代にしっかり当たって押し出しで連勝した。まだまだ力はある。

照強は先場所で全敗して十両へ落ちてしまった。どこか体を痛めてしまって力が入らないのであろうか、先場所の後半は祈るような気持ちで彼の相撲を見つづけたが通じなかった。

そんなわけで今場所も最初から応援していたが、四日目でようやく初日が出て、最終的には五勝十敗で終わった。来場所は関取で残れるかどうか微妙な場所である。

照強は軽量で不利な点を、さまざまな技で補い土俵をわかせてくれる。炎鵬と並んで相撲の魅力を分かりやすく伝えてくれる力士である。

X山本

先場所の記事を書いて以来、失礼ではあるが彼のことをX山本(エックス山本)と呼んでいる。山本というメジャーな苗字に数字の一をつけるだけで、すごく存在感が湧き上がってくる素晴らしい四股名であると思う。

私は毎日彼の取り組みを楽しみにしていた。そして勝利を決めればXの部分に数字を足して「よっしゃー、今日で六山本!」という風に叫ぶのだ。

先場所は「七山本」と負け越した。しかし今回は幕内に入って初めての二けた「十山本」まで星を伸ばした。ルックスといい経歴といい、彼はもっと人気が出る素質があると思う。来場所は「十一山本」を目指してもらいたい。

鳥取の星

すごい力士がやってきた。宮城野部屋の落合である。幕下十五枚目付け出しでデビューし、全勝優勝で来場所では新十両となる。

写真を見ると髪が短い。熱海富士が新十両を決めた時も、昇進が速すぎて髷がゆえなかったが、こちらは短さのレベルが違う。髷を結うまでにあと一年ぐらいかかるのではと思うぐらいである。

来場所のテレビの画面には、毎日異様な光景が現れる。事情を知らない人なら「なんであの人だけ違う髪型してるの」と思うことであろう。

この落合関、子どものころに白鵬に会い「あなたを超える横綱になりたい」と言ったそうである。そして時が経ち、宮城野部屋に入門し、史上最速で関取となった。ドラマのようである。来場所からの楽しみが増えた。

落合は鳥取県出身である。鳥取と言えば石浦であるが、現在は体調を崩して番付を下げている。そんな中での落合の十両昇進は、鳥取の人にとっても明るい話題であろう。この昇進で大相撲に興味を持つ人がもっと増えてくれたら嬉しい。

帰ってくるか?

NHKの受信料についていろいろと言われているが、私個人でいえば喜んで払っている。ラジオでいえば第二放送を聞きづづけてきたし、テレビも相撲を放送してくれる。加えて最近はネットで動画まで配信してくれる。文句のつけようがない。

そのNHK大相撲動画配信の数ある取り組みの中で、幕内力士を抑えて最も見られている動画が「朝乃山」の取り組みである。世間のこの力士に対する注目がいかに高いかがわかる。

コロナのガイドラインに違反してキャバクラに通っていたのが二年半前。そこから一年間の厳しい出場停止処分を受け、去年の名古屋場所で三段目から再出場。三場所で十両に返り咲き、そして今回十四勝一敗で優勝を決めた。三月に幕内復帰なるか、番付発表まであと一か月待たなくてはならない。

トランプ大統領の前で優勝を決めたころには次の横綱候補として期待されていた。それは今でも変わっていない。朝乃山関にとってこの二年間がどのような意味を持っていたのか、それはこれからわかることである。

人生は順調に進むことが必ずしも良いとは限らない。復帰してからの彼は、何かを悟ったようで、謙虚に落ち着いて取り組んでいるように思える。まだまだ成長して大相撲をわかせてくれると私は思う。

幕内になるまで

私の妻はここ10年来ジャニーズ嵐のファンである。全員での活動を休止して以来大野君がテレビに出てこないので寂しがっていたが、ここ半年ほどは土俵下の”大野君”に夢中である。ここで言う大野君とは、朝日山部屋序の口呼び出しの「天琉(たける)」氏のことである。

かねてから私は「土俵下に嵐の大野君に似た人がいる」と妻によく言っていた。妻は軽い気持ちで相撲中継を見始めたが、今では私と同様に時間が許せば昼過ぎから見るようになった。

手に持っているのは「大相撲力士名鑑」である。妻がチェックしているのは呼び出しと行司である。天琉氏をきっかけに、相撲を支える側に興味を持ったようだ。

妻と一緒に名鑑を見るうちにいろいろなことが分かってきた。階級社会の大相撲では行司や呼び出しにも厳密な階層があり、それぞれの役割から服装まで細かく決まっている。やはり大相撲は面倒くさい。そしてその面倒くささこそ、大きな魅力になっている。

妻の贔屓の呼び出しは、天琉氏を別格とすると同じ序の口呼び出しの健太氏と、三役呼び出しの志朗氏である。「天琉が幕内呼び出しになる日までは相撲を見る」と妻は言っている。私は、幕下呼び出しの耕平氏が気になってしかたない。

相撲っていいな

最後に今場所を語るとき、忘れてはならない力士について書く。十二勝三敗で約二年ぶりの優勝を決めた貴景勝関である。今場所の貴景勝は、私が今まで見た中で一番感動した。横綱不在の中で、唯一の大関として大きな覚悟で臨んだ気持ちがひしひしと伝わってきた。

翔猿戦で二日目にして土が付いた。しかし、左頬を張られて流血しながらも必死で戦った。少し足が重たそうに見えた。「今場所はダメかも」と思ったが、翌日の大栄翔戦では再び血を流しながらも見事に突っ張り合いを制した。

圧巻は七日目の翠富士と翌日の錦富士戦。どちらも見ていて鳥肌が立った。画面の向こうから伝わってくる貴景勝の動きに対して恐怖を感じた。この二日間も流血の勝利。勝負の後、錦富士の右肩は貴景勝の血で染まっていた。十三日目の阿武咲戦も同様に鳥肌ものであった。ここでも流血の勝負。

生物の歴史は暴力の歴史である。食物連鎖とは暴力で命を奪い合うことに他ならない。自然は今日も命の奪い合いで満ちている。かつては人間も例外ではなかった。しかし、人類の進化と共に人は暴力をコントロールする方法を身につけてきた。

もちろん、今でも戦争や犯罪は多くあるが、ほとんどの人々は一瞬先に殺されることを常に意識しなくても生活を送ることができる。これも私たちが獲得した知恵に他ならない。

国技館には約一万人の人がいる。この中で暴力を振るうことが許されているのは土俵上の二人のみである。人々は暴力の行使を楽しみ称賛する。このような、薄められた形で暴力を楽しむこと、これが人々から真の暴力を遠ざけるためのワクチンのように機能していると思った。

貴景勝は正面から当たっていった。張って張られて、突き飛ばし突き飛ばされ、狭い土俵の上で血を流しながら相手をねじ伏せていった。日常の中にほんの一点だけ現れる強烈な非日常。本来ならすべての生き物がもっている暴力性を覆い隠し、見るものに変わって行使してくれる存在。

貴景勝の勝負を見て心から「相撲っていいな」と思った。心穏やかな状態で、ルールに乗っ取った暴力を見ることができる。それはすなわち平和な世界に生きているということ。ありがたさが身にしみる。

次の場所、私は彼を一番に応援しようと思った。

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投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。