休肝日

よくなってきてます

私の周りでいろいろなことがシンプルになってきています。仕事内容も変わらず、一日の生活を見てみてもそれほど変化が無いように見えますが、心が少しづつ軽くなっているのを感じます。

このモヤモヤブログは2年前の6月に書き始めました。最初の頃の記事を読み返すと明らかに今より心が乱れていたと思います。

そもそもこのブログは、そんなモヤモヤで乱れた私の心を調整するために書き始めました。

There are a thousand thoughts lying within a man that he doesn’t know till he takes up the pen to write.

「ペンを取って書き始めるまではわからない1000の考えが、人には存在する」

イギリス人のある作家の言葉を今、実感しています。

このブログの一番最初の記事は「書くことは癒しになるのか」でした。途中「モヤモヤMAX」も経験しましたが、概して私の心は書くことにより癒されてきていると思います。そして、それと共に幸せを感じる感度も上がってきていると思います。

確かに、サウナの気持ちよさを覚えたり、簿記を勉強することで物の見方が変わったりと、書くこと以外にも私のモヤモヤを変化させたことはあります。

しかし、サウナについて様々な思いを巡らせるのもサウナの記事を書いている時ですし、簿記を勉強しようと思ったのこうやって文章を書き続けたことの効果でした。

「私」と「大和イタチ」と「このブログの読者」が、私の頭の中で話し合いを行って文章が生まれてきます。ブログを始める前、気持ちをノートに書きだしていたことがあります。しかし、そこには私だけしかいませんでした。だからすぐに煮詰まるし、ノートの文面も乱れてきます。

これからも、今まで通り3者で話し合いをしながら、私の気持ちをブログに記していこうと思います。実際に、気持ちは頭の中に存在するだけではそれほど力を持ちません。こうやって言葉にして、その言葉を目で見て、さらに次の言葉を紡ぎだす、そうするうちに自分の頭の中が明らかになってきます。

考えてみると不思議なものです。単なる概念に過ぎない言葉が、これも形の見えない人の心を変化させ、ついには「行動」という物理的な変化をもたらします。「見えないもの」と「見えるもの」が確実に繋がっているという実例です。

私の見えない「モヤモヤ」も言葉が紡ぎだした行動によって、「物理的なもの」⇒「精神的なもの」という逆の運動により癒されていく、そういった希望を持つことができます。

ブログを続けていくことはこの運動を促進する作用に当たり、これからも時間を見つけては心をまとめていきます。

次の課題が見える

こういう風に一見良い流れのように見える時は注意が必要です。明石焼き修行中の記事でも書きましたが、失敗をするのは大抵調子が良い時なのです。

そういえば、去年の5月にやってきた「モヤモヤMAX」の時もそうでした。在宅勤務で時間ができ「これでやりたいことができる」という心のベクトルが、逆に時間では解決できないことの存在を前景化させる引き金となりました。

とにかく慎重にかつ穏やかに行動しなくてはなりません。自分を近くと遠くの二つの視点で見る習慣を持つことを意識するのです。

そうすると、私のモヤモヤを減らし幸福度を向上させるための課題が見えてきます。そして、その課題に私は今から取り組もうとしています。

その課題、一言で言えばお酒です。

飲み過ぎなんです。心乱され過ぎなんです。

順番に書きます。

飲みすぎ

今年に入り休肝日が減りました。ほぼ月曜日だけになりました。この数年間はだいたい月に10~13日の休肝日が標準でした。週に直すと2~3です。手帳に記してたので確実なデータです。

それが去年から手帳に飲まなかった日をつけなくなりました。いちいちそんなことをしなくてもコントロールできると思ったからです。実際にできていました。4月までは。

緊急事態宣言で在宅勤務が多くなりました。通勤時間が無くなった分、仕事が早く終わります。運動不足解消もかねて夕方ジョギングをするようになりました。

1時間運動したご褒美に350mlのビール缶を2本買って帰るようになりました。「のどを潤すだけ」そういう理由で飲み始めますが、それは引き金であり、そこで終わるはずはありません。私はいつの間にか毎日飲むようになっていました。

英検の2次試験に落ちた8月後半「これじゃあダメだと」一念発起しました。次回の面接と簿記検定のため、月曜から木曜まで酒を断つことを決め実行しました。金曜の夜、行きつけの立ち飲みで120時間ぶりに飲むビールはこの上なく心と胃袋に沁みわたりました。

11月の終わりに英検と簿記の合格がわかり、再び心が緩んできました。週4の休肝日が3日⇒2日と減り、そして今の月曜のみの休肝日に至っております。

Hoppy ⇒ Happy

心乱され過ぎ

それほど量は多く飲む方ではないと思っています。お店で飲み会があればそれなりに飲みますが、今はそれもありません。立ち飲みも1時間以内に店を出ますし、家飲みは安心感からすぐに寝てしまいます。

体調も悪くありません、というか最近は以前より気持ちが軽いので体も良く動くように思います。お酒が仕事や家庭に生活に影響するようなことも無く、うまく回っていると思いますが、一番の問題は心なんです。

立ち飲みに寄って帰る前「軽く飲んで、帰ったらやりたいことをしよう」そう思います。そして思ったことが現実になることはほぼありません。

朝起きて「今日は飲まんとこ」と思います。職場で昼食を食べる時も同じ気持ちです。しかし、午後4時を回ったことから心境に変化が見られ始めます。1時間ほどの間で「飲まない」の心が「飲んでもいいか」へとグラデーションを描きながら変わっていきます。テレビのクイズで徐々に変化していく画像を当てるクイズのように、本当に見事に変わっていきます。

朝、「今晩はカレーです」と妻の声を聞きます。「よっしゃ。今日は飲まなくて過ごせる」と思いますが、その気持ちが夕方になったら「カレーを食べながら飲むビールもうまいな」に変わっています。

もう心乱され過ぎで、その度に「なんで私はこうも…」という惨めな気持ちになります。

最も素晴らしく最も罪深い発明の1つ

結局どうしたい?

この乱れた気持ちに対しての解決策はあるのでしょうか。一つ上げるとすると「発想を変えてしまう」ことです。つまり、飲んでしまっても「それもいいじゃない」と自分を認めてあげることです。

実際に私の周りでも毎日飲んでいる人はたくさんいます。飲んじゃダメと思うから心乱されるのであって、最初から思わなかったらどうってことないのです。

「しかし」と私は考えるのです。

「自分はどんな生き方をしたいのか」「どうしてブログを書き始めたのか」と考えるのです。

ブログを書いて自分の心を調節しようと思ったのは、より良い人生を送りたかったからです。書き始めた時のようなメンタリティーで、幸福を実感するアンテナが鈍いまま、残りの半生を過ごしていきたくなかったからです。

酒を飲むことが自分にとって一番の幸せであるならば、上のような発想の転換をして、毎日酒を飲んでも心穏やかなまま生きていけばよいと思います。

私にとって確かに酒や酒を通じての人間関係は人生の大切な一部ではあります。しかし、それは当然のことながら、一部であって全部ではないのです。従って、自分の時間や能力をすべて使っていい場所ではありません。

それがわかっているから、私は予定外に酒を飲んでしまった時に心を乱されるのだと思います。

では私は休肝日を増やして何をすればよいのでしょうか。いろいろと考えてみます。ここでも「大和イタチ」と「ブログの読者」が現れてきます。私一人では限界だった思考の枠が、想像上であっても他人の力を借りることで広がっていきます。

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私が幸福な人生を過ごすために行うことが、矢印の先にたくさんあります。それらに対して、どれだけ想像力を膨らませて行動していくのか、そのことが私の課題であり、休肝日の日数はその課題に向き合うことで自然と増えていくと思っています。

アル中になったら元も子もありません。そうなる前に、私は自分のやりたいことを膨らませていきます。

矢印の先のことは、またブログで発信していきます。

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。