何が起こってる

危険信号

学校の校舎、2階の廊下を歩きながら思いました。

「こんなに暑くて大丈夫なのだろうか」

ここは直射日光が当たる場所ではありません。南側に教室が並び北側に窓がある廊下です。そんな場所で、私は「ここにいてはダメだ」という体が発する危険信号を感じているのです。しかもこの時まだ6月でした。

隣の教室では生徒たちが授業を受けています。冷房のおかげで快適です。私もそのような環境で教壇に立ちます。そして時々生徒たちにこう言います。

「こんな涼しいところで勉強できるなんて幸せだよな」

「そんなに特別なことじゃないだろう」というような顔で私の話を聞いています。実際に現在高校生の彼ら彼女らにとっては、エアコンが効いた教室で授業をするのは、小学生の頃から当然のことでした。

私が初めて教壇に立った高校は教室にエアコンがついていませんでした。確かに6月の授業は暑かったです。それでも授業ができていました。生徒たちも教師も「あつい、あつい」と言っていましたが、50分間の授業が成立していたのです。

現在同じ状態で授業をすると、体調を崩す生徒と教師が続出すると思います。学校を休む生徒も増えるでしょう。現在、エアコンのない6月の教室で授業は成立しません。

幸いにも、今はほとんどの学校にエアコンが整備されました。授業は快適なのですが、終わって一歩教室の外に出ればあの熱波に襲われます。「なまぬるい」ではなく、「本当にあつい」風が体を包みます。教室から職員室に帰る間に汗でシャツが湿ります。

時々校内でスーツを着た人の姿を目にします。「こんな日に上着?」と目を疑います。学校に出入りする業者さんや求人票を持って来られる企業の方々です。

クールビズが定着した中でも、律儀に”正装”とされる恰好をして学校へ来られる方々もいるのです。駐車場で車を降りられて、玄関に入るまでにジャケットを羽織ってこられます。スーツですから当然ネクタイも着用されています。

冗談抜きで体にとって危なく、本人たちは不快極まりない状態で仕事をされていると思います。

田舎に帰っても

私の実家の居間にはエアコンがありません。居間と廊下を挟んだ広間の窓と戸を開けると、山の方から吹く風がこれらの部屋を通り抜け、夏でも涼しく過ごすことができるからです。

「うちにはクーラーが要らない」

祖父母はよく自慢そうに言っていました。私も実家に住んでいた頃は、夏の居間の畳の上で、優しい風に吹かれながら昼寝をするのが好きでした。

近年、お米作りを手伝うためによく実家に帰りますが、同じことができなくなりました。優しかった夏のよそ風は、体にまとわりつく不快な熱風に変わりました。本当にここで昼寝ができていたのかと、自分の記憶の正しさを疑いたくなるほどです。

10年前に亡くなった祖母は、それでも「クーラーの風は嫌だ」と扇風機で過ごしていましたが、私の父母は暑さに耐えられなくなりエアコンを設置しました。

夏の農作業は気温の低い早朝か夕方に行うのが楽でした。夏休みに自分の部屋で寝ていると、窓の外からは草刈り機や消毒のための噴霧機の音が聞こえてきたものです。夏と言っても日中30度を超えれば「暑い一日」で、夜になれば25度以下に下がっていました。

現在は日中と朝夜の区別が無くなったように感じられます。一日を通じで25度以下に下がる時間帯が無くなりました。こうなれば、朝や夕方に草刈りをしようと汗びっしょりになります。いつするかというより、どれだけ短時間で作業を切り上げるかということの方が大切になりました。

お盆になると叔父や叔母が従妹とともに実家に帰ってきました。夕食の後、家の前でみんなで花火を楽しみます。花火が消えると同時に現れる空の星。カエルや虫の鳴き声。いつまでも漂う火薬の匂い。私にとって懐かしい思い出です。その中に「暑かった」という記憶はありません。

夏は変わりました。

悲観主義者

日本の最高気温は山形市の40.8℃、子どものころからそれは知っていて、破られない記録だと思っていました。その地位が岐阜県の多治見に奪われたのが2007年で、そのころから暑すぎる夏が話題になり始めたと記憶しています。

「今年も暑いのか」と思い続けていましたが、最近は暑いのが当たり前なのでそう思わなくなりました。毎年のように40℃を超える場所が現れて、私が暮らす兵庫県でも35℃は普通に出るようになりました。

「いったい何が起こっているのだろう」

根が悲観的な私は悪い風に考えずにはいられません。地球の平均気温が1℃上がれば環境が大きく変化すると言われているのに、体感的に夏はもう1℃どころか5~6℃上っているような気がするのです。

この変化が人間にとってどのような禍を引き起こすのか、本当は心配でたまらないのですが、考えても不安になるだけだから、そんな時は全球凍結のことを考えたりします。

全球凍結とは地球の表面がすべて氷で覆われた状態のことで、今までに2度あったとNHKのカルチャーラジオで聞きました。何が言いたいかというと、熱帯も含めて地球が全部凍るぐらい気温が変わるのなら、今の暑い夏も「アリか」と思いたいのです。

全球凍結とまではいかなくても、氷河期は地球上に定期的に訪れ、前回のそれは1万数千年前に終わったと言われています。地球の歴史に比べて1万年とはあまりに小さい数字です。だからこの暑さも地球全体の変化の中の揺らぎのようなものであると思いたいのです。

それは丁度株価の動きのようなもので、数年間かけて右肩上がりまたは下がりに変化しているように見えて、その一部を切り取って見てみると激しい動きが見られる現象と似ている、そう思いたいのです。

しかしながら、人類が化石燃料を使い始めてからのその量と気温の変化を比較した表を見ると、私が気をそらそうとして考えることはやはり無理があるように思えるのです。

私は時間がある時、生徒に人類の歴史について考えさせます。人口の増え方とか、化石燃料消費量などについて語る時、黒板を一枚使います。

下方に一本の長い線を引き、右側に矢印をつけます。この線の長さを1万年として、どのあたりに何があったのか聞きながら、黒板に書き込んでいきます。そして最後に、私が人口の推移なり化石燃料消費のそれを書き入れます。

右肩が最後の10数センチで急激に上がったグラフができます。改めて現代の不自然さを感じます。しかもこれは46億年の地球の歴史の中でのたった1万年の中での出来事なのです。

本当のところはわかりません。しかし、このような不自然なことを目の当たりにすると、私は「何か取り返しのつかないことが起こっているのではないか」と思います。

悲しいのは、そんな私がこの現代文明にどっぷりと浸かってしまっていると言うことです。冷えたビールや酒、鉄道やバイク、サウナ、旅行、私の好きなものは大量の化石燃料消費の上に成り立っています。

「取り返しがつかないのなら、これらのものを思いきり楽しんで死のう」やけになってそう思う反面、子供たちやまだ見ぬ孫のことも気になります。

人間はどうしようもないくらい矛盾していて地球環境の敵であると考えてしまいます。しかしその地球環境も、人間が作った概念であり、人間が滅びればただそこに環境があるだけで、良い悪いもなくなってしまいます。

あまり考えると憂鬱になるのでこのあたりでやめます。私は、今夜も冷たいビールを飲み、エアコンの効いた寝室で眠ります。ごめんなさい。

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。