4年経過
今年も6月が終わろうとしています。2023年も半分終了です。このブログを始めて4年が経過しようとしています。自分の文章力の無さと遅筆さに愕然としながらも何とかここまで記事を書き続けることができました。これもこのブログにアクセスし、私の記事を読んでくださる人の存在を感じることができるからであり、それなしではここまで続けられなかったと思います。
コメント欄を開いていない私が読者の存在を”具体的に”感じることができるのは、1年に2〜3回、思い出したように見るサーバーのアクセス数においてです。今のルールでは毎週土曜日に投稿しているので、そこだけ棒グラフがぴょんと跳ね上がっています。アクセス数も見るたびに増加しています。
私が投稿したらこれだけの人々が私の書いた文章を読んでくださるのだ、そう思うと元気が湧いてきますし、敬意を持って執筆しなければならないと思います。
何度も書いたことですが私はこのブログを自分のために書いています。私の心の中を可視化するためにキーボードを叩いています。その理由はブログを書き始める4年前まで、私は自分の人生に満足していなかったからです。
私の心の中はモヤモヤでいっぱいでした。「自分はどうして心からの幸せを感じられないのだろう」いつもそう思っていました。「このまま歳をとってこの世から消えていくのか」そう思うと寝られませんでした。恐怖にも似た思いでした。
憎らしいことは、私が恵まれた環境にあることでした。家族や仕事や趣味や健康、全て私の手の内にありました。世の中にはこれらのことで苦労している人が多くいます。むしろ私のように恵まれた人間の方が少数なのではないでしょうか。
それなのに私はいつもモヤモヤを感じ、そのままの心の状態で老いていくことに恐怖を感じていました。「お前には一体何が足りないのだ」私は自問しました。物理的な状態は満たされています。私は自分の心にフォーカスすることにしました。
アンテナの感度が悪いと強い電波も拾えないように、心の幸せを感じる部分がうまう機能していなければそれを調整するしかありません。私は自分の心を可視化するために文章を書き始めました。
ブログの形で書いているのは、文章が人に見られていることを意識したかったからです。心を調整するためには、文章も他人が見てもわかる程度には整える必要があると思ったからです。このことは、ブログを書き始める前、私がノートに自分の気持ちをしばらく書いてみて実感しました。
自分だけしか見ない文章は論理が乱れ、意味不明な部分に溢れていました。「どうせ他人には見られない」という気持ちが内容をいい加減なものにしていきました。
今の私が筋の通った上質の文章を書いているとは全く思いませんが、やはり「誰かに読まれている」と意識することは、必然的により深く自分を見つめてそれを丁寧に表そうという気持ちにさせます。
私は文章を書きながらこの文章を目にする人々のことを考えます。私の中では真剣に書いた表現も、周りから見たらお門違いの頓珍漢なことを言っているのではないのか、そんなことを意識しながら筆を進めています。また、私と同じようなことでモヤモヤしている人も中にはいて共感をいていただけることもあるのではないかと思うこともあります。
読者を意識することは本当の自分の気持ちを記すことの妨げになるのではないかと思いますが、この”本当の自分”が曲者であることもわかってきました。一人でノートに書き散らす思いであっても、読者を意識しながら書く文章も私に外なりません。なぜなら、私とは関係性の中で浮かび上がる存在にすぎないからです。
ですから、どうせ私の気持ちを書くのなら読者を意識しながら丁寧に気持ちを書く方が、それだけ整った私の状態が浮かび上がってくるわけであり、それこそが私が心を整えるためにブログを書く理由であります。
どうなった?
ところどころで小さな凸凹はありますが、概ね現在の私は幸福感に包まれながら毎日を過ごしています。これも書くことを続けてきたからであり、その原動力となったPVカウンターの数字をあげてくださった読者の皆様のおかげであると感謝しています。
私はまだまだ大きな幸せを感じる人生を歩めると思っています。ですから二か月前に自分の仕事は高校教師であると発表をしました。教育と語学について語り始めると宣言をしました。
私が5月1日の記事でこれから行うこととして考えたことは以下のことでした。
- ブレインストーミングを時間をかけて行う
- 新たなサイトにテーマをインストールする
- 半分自分、半分他人のための教育と語学のサイトを作る
- モヤモヤblogは自分の心を整えるために今まで通り続ける
私の現在地はどこでしょうか。
残念ながら、まだ一番最初に行うべきことができていません。やろう、やろうという気持ちはあるのですができていません。「時間がない」という言い訳をしたいのですが、その言い訳ができないことの解決にならないことを私はブログを書きながら学びました。
私はいつも何かに追われていました。「〜をしなければならない」という気持ちに押しつぶされそうな人生でした。私の前には1日24時間があります。他の人と全く同じだけの時間です。その24時間の中で何をするのか決めるのは自分です。
24時間の過ごし方を私が選択し、その結果に対して「これでよかった」と心から思えることが私が最終的に目指す場所です。目の前の24時間を私の一生に拡大して考えることができるからです。
新しい動きをすると宣言したものの、目の前の24時間の中にそのための時間は少ししか入っていません。仕事と睡眠など基本的な生活行動を行う以外の時間で、私は二つの語学を学習し、本を読み、サウナに行き、酒を飲みます。歩きながら英語ニュースを聞き、少し時間があれば本を開きます。スマホやテレビを見る時間もぼーっとする時間もほとんどありません。他人が見れば「何が面白いんだ」と思う時間の過ごし方かもしれません。
そんな1日の過ごし方の中に新しいブログのための時間を持つことは難しそうに思えますが、私は少しずつでもやろうと思っています。語学と教育について語ろうと思っています。それは他ならぬこの場所、つまり私を動かしてくれる読者の皆さんがいる場所でそう宣言したし、私自身もそうすることが更なる幸福感を感じながら生きるために必要であると判断したからです。
少しずつ自分の頭の中を書き出していますが、難しいことは半分は自分のためでも、残りの半分は人が見て役に立つものを作ろうとしている点です。語学で困っている人や私と同業者が見て知識を得たり励まされたりするようなものにしたいのですが、具体的に私に何が提供できるのかまだイメージが浮かびません。
あせって「考えなくてはならない」という気持ちに支配されたら4年前の私に戻ってしまうので、時間を作りながらゆっくり考えていきたいと思います。
このブログも長く続いています。モヤモヤblogは自分の心を整えるためのブログなので、更新の頻度は落ちるかもしれませんが、新たなブログを立ち上げた後も続けます。自分のために書いた記事を読ませてしまって申し訳ございません。
現在のところ1年に数回PVカウンターの数字としてだけ現れる読者の皆さんですが、今この瞬間も私はその存在を意識しながら記事を書いています。皆さんが私の記事を読んだ時の共感、笑い、ツッコミ、それらを想像しながらキーボードをたたいています。ブログを始めた4年前とは全く違った気持ちで生きていけているのは、私が自分でも読みにくいと感じるような記事を読んでくださる皆さんのおかげです。ありがとうございます。そして5年目もよろしくお願いします。
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