12月の憂鬱
師走に入りました。
毎年この時期に、意識的に考えることを避けようとするものがあります。本当は早く考えて取り組んでおけば、後々穏やかな気分で過ごすことができるのに、いくつになってもそれができません。
「今日100均でかど松と日の出のスタンプ買っておいたから」と妻に言います。こちらはこちらで考えているよというアピールです。妻は何も言いません。でも、どちらもわかっています。あと1週間以内に「今年の年賀状どうする?」「どちらが?」「どんなデザインで何枚?」お互いに乗り気のしない話し合いをして、いつもこの時期途中で切れるプリンターのインクを買いに行って、とにかく年賀状を完成させてしまわなくてはならないのです。
いつも12月は憂鬱。どうしてこんなものがあるんだろう、と思い、思い切って出さなければよいのにそれもできない、そんな感じの年賀状。そうは思いつつも完成形を見ればまんざらでもなく、充実感を感じてもいる年賀状。ああ難しい。
このように私は年賀状に対して複雑な心境を抱いているのですが、郵便局の常連さんと立ち飲みで一緒に話していると、私の年賀状の悩みなど彼らと年賀状の関係の前では霞んでしまうのでした。
需要の無いものを売る
行きつけの立ち飲みでよく郵便局の職員と一緒になります。その中でも世代の同じWさんとは気が合い、よく話をします。Wさんは、一人でもよく飲みに来ますが、たまに職場の後輩を連れてくるので、郵便業界の話でよく盛り上がります。
「年賀状大変ですね」と私が言うと、「大変ですけどもう慣れました」の返事。私の「大変ですね」、相手の「慣れました」にはそれぞれ2種類の意味が込められています。
1つは本来の業務である、年賀状の仕分けと配達。高校生のアルバイトの手も借りなければ回らない、1年で一番忙しい季節がもうすぐやってきます。年末から正月にかけてはほぼ休みなく働きづめになるそうです。しかしベテランのWさんにとっては毎年恒例の「慣れた」仕事です。
もう一つの「大変ですね」は、年賀状の販売ノルマ。昨今、このノルマによる郵便局員の自爆購入、金券ショップへの転売がよくニュースで取り上げられますが、そのノルマを聞いて唖然としました。
私の予想をはるかに上回る数字に思わず「そんなに知り合いいるんですか?」と聞く私。友達100人いて、みんな買ってくれたら達成できそうなレベルですが、100人もいれば、その中に別の郵便局員と知り合いの人は十人単位でいるでしょう。
「もちろん普通に親類や友達に売っていても無理な数字です。年賀状なんて書く人どんどん減っているし。」
確かに、若い人と話をすると手紙やはがきの値段どころか、出し方も知らない人に出会うことがあります。我が子たちも、ラインでは正月から頻繁にやり取りしますが、年賀状をほとんど出しません。
「だから自爆営業するんです。もう慣れました。」Wさんは言います。
年賀状がいつ始まったのか私にはわかりませんが、少なくとも50年以上は同じスタイルの商品です。お年玉くじの景品と写真用に紙の質が変わるぐらいで、大きさ・デザイン・コンセプトといった基本的な部分は何も変わりません。
しかしながら、この半世紀で世の中の慣習は大きく変わりました。人々はもう特殊な場合を除いて手紙を書きません。メディアの進化はコミュニケーションの方法を一変させました。SNSでは一瞬で動画や画像付きのメッセージを何人でも無料で送ることができます。
私は年賀状でのあいさつを否定しているわけではありません。年賀状にはもちろんその良さがありますが、現代の状況に照らし合わせてその需要を見積もらなくてはならないし、販売枚数を増やしたいのなら何らかの付加価値をつける必要があります。
商品はそのまま、需要は下がる一方、でも局に割り当てられた数字があるから売ってこい!
「なんか北極圏の村に冷凍庫を売りに行くようなもんですね」私は冗談を言いましたが、心の中はモヤモヤでした。郵便局の話は、この国を覆っている空気の重さの理由を端的に表していると思ったからです。
売上>士気 君じゃなくてもいいんだ
Wさんやその仲間が言うには、年賀状だけではなく、その他ゆうパックの商品などにも決められたノルマがあり、それらでも自爆営業が普通に行われているそうです。さらに腹立たしいことに、このノルマ、ある一定以上の地位の人には課せられないそうです。
かんぽ生命が、詐欺的な勧誘を行い、老人を始めとする多くの人と契約者が不利になるような契約を結んでいたことが話題になりました。不正な契約が万単位であるということは、組織的な関与があるということです。おそらく、末端の社員に対するものすごいノルマとプレッシャーがあったのでしょう。
「誇りをもって仕事をする余裕がない」
本業が配達の人たちが、それ以外のことに心を煩わせ、エネルギーを奪われてやる気をなくしています。
人の安心を手助けする保険の販売員が、数字のプレッシャーに負けて人をダマしています。普通の人なら心穏やかに誇りを持って仕事なんかできません。
郵便局の例が表していることは、会社の「人材と利益に対する感覚が変わってしまった」ということだと思います。言い換えれば「あなたが誰であろうと目先の利益を短期間で成果を出して(稼いで)くれればよい」という方向にシフトしていったということ。
そしてこの感覚、今この国を覆っている重い空気の1つの層だと思います。非正規雇用を増やし、職員同士のつながりを解体し、上司は部下に対して世話を焼かず、賃金上昇を停滞させ、無理なノルマを課し、短期間の利益を求める。
全てでは無いにしても、いくつか当てはまる職場は多いと思います。職員の士気を上げ、いい仕事をさせ、売り上げを上げていくことは、時間と手間のかかることです。子育てをするようなもので、長期的な視点で、時には持ち出しも覚悟しながら、仕事を教えながら失敗をフォローしていかなくてはなりません。
その代わり、いい人材が育てば、その人が何人分もの働きをしてくれることがありますし、周りに与える雰囲気も良くなります。結果として、職場の士気が更に上がり、誇りを持って働くことができます。
「今はそんな時代じゃないんだ。世の中はものすごいスピードで変化しているんだ。早く利益を確保しないと、取り残されていくんだ!(そのためには君じゃなくてもいいんだ!)」
最後の一言は言葉に出されませんが、この無言の声が一番届きやすいから、世の中は重苦しく、私の心もモヤモヤなのです。