深夜3時
寝返りを打った瞬間痛みで目を覚ましました。痛みは左の肘からやってきます。恐る恐る右手のひらでそこを触ってみます。腕の外側がポコっとピンポン玉のように腫れ上がっています。熱が手のひらを伝わってきます。かなりの熱さです。
「ついにやってきたか!」
私は心の中で叫びました。同時に六角精児さんのあの歌が頭に流れます。
「若い頃の偏食がたた〜り 尿酸値が異常に高い」
私は30代から尿酸値を下げる薬を飲み続けています。父親からの遺伝もあると思うのですが、主な理由はお酒とプリン体の多い食べ物が好きであるという確信があります。
薬を飲み続け、なんとか尿酸が結晶化する値を下回る数字を維持して来ましたが、今までに三度痛風の発作が出たことがあります。いずれも膝で一番近いもので3年前でした。
今回肘が腫れて痛みが出た時、四度目の痛風発作を覚悟しました。そして軽く絶望感に襲われました。というのは以前の職場で筋金入りの痛風患者を知っていたからでした。
その方はだいたい年に一度入院していました。入院する前には発作が起こります。肘や手が腫れ上がり元のサイズの50%増しぐらいになるんです。話を聞いて「そんなアホな」と私も思っていましたが、本当にそれぐらいになるのです。
発作は、最初は足の指で出ていたのが、回数とともに上半身に上がって来たそうです。そして、私と同じ場所で仕事をしている時は常に上半身に発作が出ていました。
手が腫れ上がったら仕事どころではありません。痛みも「なれない人なら気絶するぐらい」と言ってました。入院して、治療をうけ、その間酒を断ち、腫れが引いて退院し、そしてまた飲み始める、そんな生活を続けていたようでした。
「上半身に来たら終わりや」
「終わりや」の意味をどう解釈したらよいのかわかりませんが、その方は私にそう言われていました。
そしてこの夜、私の左肘が痛み始めました。私は眠れなまま朝を待ちました。この日の午前にはどうしても休めない会議がありました。私はそれをやり過ごすと、休みを取りかかりつけの医者に行きました。
膝に発作の出た3年前も、同様に途中で休みを取って足を引き摺りながらそこへ向かったことを思い出しました。今度は膝ではなくて肘です。普通に歩けますが気持ちは重いです。
内から外へ
「ああ、なんて言われるのかな」
腕の痛みに加えて、医者に怒られるという思いでしょんぼりしています。調子の悪い時の正代関のような顔をしていたでしょう。
「飲むなら蒸留酒だけ」「ストレスを溜めないで」「体重を減らしなさい」「ビール飲んでないよね?」「10年後も元気でいたいでしょう?」今まで散々言われていた言葉が頭の中を反芻します。
私はいい子のふりをしつつ「そうは言っても・・・」と、勝手な解釈で自分を正当化することもしていました。つまり思うように飲んで食べていたわけです。
「先生、腕まできちゃいました」
申し訳なさそうに言う私の腕を触診しながら内科医は言います。
「そこの外科に行って切ってもらいなさい」
診察室から出ると看護師さんが外科への地図を見せてくれました。私は歩いてすぐのその外科に行き、今までの経緯を話しました。
二人の医師は同じことを言いました。腕の腫れは尿酸の結晶によるものではなく、細菌による化膿であると。
「外科だから切るのは好きだけど、抗生物質で様子を見ようか。ダメならそこにちょんと麻酔打って切ってあげる」
私は「絶対抗生物質だけで治してやる」と思いながら外科を後にしました。
それなりの覚悟をしていた私ですが、そのような訳でひとまず痛風発作が上半身で出るという事態は避けることができました。
しかし、それでよかったと思うわけにはいきません。今回は化膿による炎症でしたが、近い将来尿酸の蓄積で肘が腫れる可能性は十分あるという自覚を私は持っている、つまり身に覚えのある生活をしているからです。
言い訳
この四月から目に見えて仕事のストレスが増えました。今まで経験したことのない立場に立ち、職員同士の考えを調整する機会が増えたのです。人の目が気にならない人からすればなんともないでしょうが、八方美人でいい子に思われたい私からすれば神経をすり減らしながら毎日過ごしています。
目の前に困難がある時、それに対して二つの異なる態度を取ることができます。ポジティブな態度とネガティブなそれです。
このブログを始める前のモヤモヤな私なら、困難に向かって前向きに考えることはできませんでした。マイナスな言葉を吐き、消極的な行動で辻褄を合わせ、ストレスを酒で誤魔化していました。
今は、大抵のことは「実はこれがチャンスの始まりかも」とか「こういうこともアリか」とか「後でネタになるかも」などと思いプラスの心で取り組むことができます。
しかし、先ほど述べたように私は八方美人で誰からもいい子に思われたい人間です。同時に、どんな人であっても傷ついてほしくないと思う人間でもあります。ですから、誰かが嫌な思いをしそうに感じると、自分が悪者になって解決しようとするのです。つまり自分が負けのルーズ・ウィン・シチュエーションを作りたがるのです。
これが後からマイナスに効いてくるのです。心のエネルギーを失った日は、アルコールでそれを補充しようとします。ひとときは効果がありますが、翌朝起きると一日が「いきなり後悔」から始まります。
私の職場の机上には、ホッピー卓上カレンダーが置かれています。馴染みの立ち飲みから毎年いただくものです。お酒を飲まなかった日はそこに印をつけ、月そして一年の禁酒日を合計します。もう6年目になる私の習慣です。そしてそれ以前は手帳で同じことをしていました。
月平均10日以上あった禁酒日が、今年は少ない月には3日になりました。こうなったら毎日飲んでいるのと変わりません。そしてその事実がストレスとなり、私の心を乱します。
年間の禁酒日が150日を超えた年は「これから毎年この数字は出せる」と自信満々だったのですが、今では夢の数字のように感じられます。
そんなわけで、ここ半年間私は飲酒の頻度に関して言えば痛風発作が肘に出ても不思議に思えないような状態でした。
400回とこれから
実はこの投稿は私の400本目の記事になります。私がこのブログで記事を書き始めたのは2019年の6月ですので、6年と少しかけての数字になります。
少し前から「もうすぐ400か」と意識していましたが、昨日この記事を書き始めるまでは400本目がこのような自分の不健康の記事になるとは思いませんでした。
しかし、何も用意せずにこうしてパソコンの前に向い、頭の中にある自分の思いを文章にして、それを読むことで私は自分の心を調節して来たので、今回この節目の前に腕が痛み、そのことが記事になったのは、「次の節目を迎えるために、もこれからその事実を留意して過ごせ」というメッセージであると受け取ることにします。
実際に私は最近自分の老いを感じることが多くなって来ました。「血圧高め」「肌が荒れ気味」「歯にもの詰まる」「近くが見にくい」など、今までふざけて言っていたことが冗談では済まなくなって来ているのです。
頭の方は以前と同様に語学を続け、本を読み、文章を書き、何であっても興味を持って学びたいと思い行動できています。しかし、体の方は明らかに私は後退戦を戦い続けています。
アントニオ猪木の言葉が頭に浮かんできます。
「元気があればなんでもできる」
あの最強の猪木さんも晩年は痩せこけた姿で車椅子に乗っておられました。猪木さんだけではありません。どんなに強い人も老いに逆らうことのできる人はいません。あるのは程度の差だけです。
週一度更新のこのブログが530回を迎える頃、私は今の仕事を辞め、もっと自由のある生活を始めようと考えています。あれこれと今の生活ではできないことを計画しながら過ごしています。
しかしながら、それも全て心と体が元気であってこそのことです。痛風で痛む腕や足が痛み出したら、どんなに楽しいことも一瞬で吹き飛んでしまうでしょう。
それに、高尿酸値は痛みだけではなく腎機能障害など内臓にもダメージを与えます。ただでさえビビリな私の心が、そのような疾病に耐えられると思いません。全ての楽しいことの土台は健康なのです。
「現在と未来とを天秤にかけ、バランスをとりながら生きていきなさい」
今回のニセ痛風騒動で私はこういうメッセージを受け取りました。
ストレスの溜まる仕事は続きますがいい仕事したいです。健康でいたいです。酒も飲みたいです。たまにはプリン体の多い食べ物食べたいです。長生きしたいです。今を楽しみながらも20年後も健康でいたいです。
これら矛盾だらけの中でバランスを取り、今も未来もどちらも大切にするために、私はこのブログを書き続ける必要があるのです。