再びあの場所へ

今度は私が

私にしては珍しく、電車に乗っている間何も聞かないし何も読まない。阪神尼崎から大阪難波線に乗り換えて、じっと窓の外を眺めている。

大物駅のすぐ横に新しい阪神の二軍用球場ができようとしている。観客席も多くかなりの規模であることがわかる。もうすぐここに多くの阪神ファンがやってきて野球を楽しむのだろう。私はこの場所で電車の窓から試合を眺めている未来の自分の姿を想像した。

電車は県境を越えて大阪府に入る。しばらくすると淀川を渡る。川幅一杯に水をたたえた上を美しいトラス橋を、床下から聞こえる心地よいジョイント音とともに電車は疾走する。川下を見ると真新しいコンクリート製の橋台が見える。あと数年の内、この橋も架け替えられることになっている。私は真新しい橋の上を電車に乗って通過する未来の自分の姿を想像した。

電車は古い街並みを抜けて西九条に到着する。初めてこの駅に立った時ここは終着駅だった。相対式2面2線の片方のホームを使い、列車が着いては折り返すだけの寂しい駅であった。線路の先、九条側の塞がれた壁を見ながら私は「ここから難波方面に列車が通る日を私は体験できるのだろうか」と思った。

長い中断期間を経て工事は再開され、西九条と難波は線路でつながり私はこうしてこの駅を経由して東に向かっている。

鶴橋で列車を降りて同じホームで奈良線の急行を待つ。私の降りる駅には快速急行は止まらないのだ。相変わらず本もイヤホンもなしで、近鉄線の高架の上から大阪の街並みを眺めながら目的地へと向かう。

東花園を過ぎて列車は山肌に沿って高度を上げていく。窓から見られる街の範囲がどんどんと広がっていく。この路線に乗るたびに私のテンションが上がる場所だ。いつもならワクワクしながら景色を楽しむ。

しかし、去年の2月からは私の中でこの景色の意味が変わった。

私は大阪府最後の駅、石切で下車した。石切神社に行くためである。この神社に参拝する人は強い願いを持っている。多くの人は病気平癒、特に腫瘍のそれを祈るためにこの地へやってくる。

本殿へ

参道を神社へ向かっていると知り合いの姿が目に入った。

「今年もよろしくお願いします」

1月も下旬になろうとしていたが今年会うのは初めてであった。彼は私の行きつけの立ち飲みの常連で、私はわけあって1月はほとんどそこに行っていなかった。

それから5分ほど歩き本殿前に到着。別の常連と出会う。

鳥居の前で一例をし、手水舎で手と口を清めて奥へ入っていく。ここで二手に分かれる。私は代理で祈祷を受けるために建物内に入り、二人は束ねた紐を手に本殿前でお百度参りを始める。

去年の2月、私はこの同じ場所に立った。妻といっしょだった。今回私が常連たちと別れた同じ場所で、私は妻と別れた。妻は本殿に入り代理で友人のために祈祷を受けた。私はその間神社の境内を見て回った。

病気平癒を願う人々の思いの詰まった絵馬や千羽鶴が目に入ってきた。真剣な表情で黙々とお百度参りをする人々の姿を見て「ああ、ここはそういう場所なんだ」と思った。

去年の妻の役割を今年は私が行うことになった。受付で祈祷料を払い、差し出された用紙を埋めていく。名前と住所を記入し、それから願いを書いていく。

「癌」という文字を書くとき手が震えるのを感じた。

ここにある「癌」は一般的な病気を表す言葉ではない。私の知り合いの体内で彼を苦しめている固有な存在としてのそれである。

渡された襷をかけて待合の椅子に座る。部屋には私しかいなかったが10分もすると部屋がいっぱいになった。

「ご祈祷の準備ができました」の言葉と共に本殿へと進む。目には見えぬがこの神社の神様と対面し身が引き締まる思いがした。

大幣を手にした神職さんが祝詞を唱える。私の知人の名前も独特の節回しの中で聞こえてきた。私は彼の病気平癒を願って祈りを捧げた。

薄暗く静かな空間で20名ほどの人々が心を研ぎ澄ませて神様と向き合う。格子戸を挟んだ私のすぐ後ろ側では、数十名の人々が御百度参りを行なっている。一緒に来た知人たちもいるはずだ。

誰もが神にすがっている。普段からその存在と自分たちに与える影響を信じているかどうかは別として、今、この瞬間はそれにもたれかかっている。

代理の祈祷を終えて私は御百度参りに加わった。一年前も妻と妻の友人の名前を唱えながらここを周った。今度は私の知人の回復を願っている。

ぐるぐると回る。人間の体の中も血液がぐるぐると回っている。数十兆個の細胞に栄養を届け老廃物を回収するために。人の体は同じようで一瞬たりとも同じ状態はない。細胞は常に生まれ変わり半年もすれば人の体は半年前とは全く別の物質で満たされている。

精巧に作られた設計図に沿って人の体の中を物質が流れ続けていく。美しい流れの中に時々設計上のミスが現れる。その部分が本来の形ではない自分を広げていく。それを私たちは癌と呼ぶ。

御百度参りの流れの中に加わりながら、私はこのようなことを考え、そして知人に元の美しい流れが回復することを祈った。

言葉と神様

帰りは3人揃って石切駅へ向かった。電車に乗り進行方向右を見るとあの大阪の街並みが見えた。去年までは「大きな街だなあ」と建物ばかり見ていた私であるが、妻と石切神社を訪問してからは景色が変わって見えた。

街並みを見ながら、私はあの無数の建物の中の人間のことを考えるようになった。私の見下ろす大阪の街に数百万人の人々が暮らしている。その誰もが生まれ、生きて、死んでいく。

街という箱は変わらなくてもそこに生きる人々は常に動き回り変化を続けていく。まるで人間と血液のような関係だと思った。人間以外の存在も含めてもっと広く考えると、地球そのものが大きな一つの生命体であるような気持ちになる。

しかしながら、小さな私たち一人一人にも固有の生と死が存在する。その合間で私たちは喜怒哀楽を味わい、その人生の長さの見通しに一喜一憂しながら暮らしている。

神とはなんなのだろうか。私はそれは「今まで人々が投げかけてきた言葉の集合体」のようなものだと思う時がある。人が生まれ私という固有の存在を持つ、その不思議さと有限さを感じた人々が自分を超えた存在を感じ、それに対して投げかけてきた言葉。

そんな言葉が場所と時代を超えて集まった。人間に広く共有される意識を作り出す。そして人間の行動を規定する。目には見えないが確実に私たちに影響を与えている存在。それが神様。とてつもない厚みを持つ存在。それが神様。

なにしろそれを作ったのは私たちと同時代の人間だけではない。人が言葉を持ち、自己の存在の不思議さを感じ始めてから膨大な時間をかけて作り上げた姿なのだ。そしてその影響の与え方、効果は私たち現代のみに生きる人間からすると予測不能である。

だからこそ私たちは神様を必要とするし、私たちはその存在を信じすがることで救われることもあるのだ。

一年前祈りを捧げた妻の友人は、余命宣告の期間をとうに超えて回復しつつある。まだ完治まではいかないが、たまに妻や友人と散歩やランチを楽しんでいる。

本当に不思議なことはある。私は神様を信じながら、知人と再び馴染みのカウンターに立てる日を待っている。

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投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。