黒のパンツ二本
昨年の7月、私は神戸市灘区にある洋服屋さんで二本のパンツを作ってもらいました。どちらのパンツも同じ黒の生地で寸法や形も全く同じ、唯一の違いは後ろのポケットについたボタンの色でした。
私がこのように同じパンツを仕立ててもらった理由は、自分の服装をシンプルにしたいと思ったからでした。今までいろいろなスーツにいろいろなシャツやネクタイを合わせてきていました。またジャケットとパンツを合わせることもありました。
私のクローゼットの中は整理されていない服でいっぱいでした。中には10年以上前に買った服で捨てられないものもありました。良く着る服、たまに着る服、ほとんど着ない服、その三種類が寝室のクローゼットと和室の洋服ケースの中に混在していました。
私はいつも「着るものがない」と言い、素敵だと思う服があれば購入しました。新たに買ったジャケットが既存のシャツやズボンに合うとは限りません。そうなればまた「着るものがない」が始まります。
この終わりのない戦いに苦しんでいる人は数多くいると思います。持てば持つほど感じる欠乏感、これから抜け出すために行うことは手放すことでした。
私は近藤麻理恵さんの本を読んで衣類を整理しました。今から3年少し前のことです。彼女の本の中で出会った言葉は私の目を開かせました。
「過去に対する執着と未来に対する不安」
捨てられない理由は最終的には二つだといいます。モヤモヤが続いていた私の心の中を表す言葉でした。
整理の後、持っている服は半分ぐらいになりました。ここまでが第一段階です。私はもっと先に進んで行こうと思いました。持ち物が減ったおかげで別のものが増えたような気分になったからです。それらは気持ちの余裕であったり朝の時間であったり。何より服装についてあれこれ考える回数が減りました。
人間が一日に考えることができるエネルギーは決まっていて、判断する場面が少ないほどそのエネルギーを有効に使える、そんな話も聞きました。スティーブ・ジョブスがいつも同じ服装をしていたのも、そこにエネルギーを使いたくなかったということも聞きました。
私は長年親しんだスーツにネクタイというスタイルを捨てることにしました。
上下揃ったスーツを着た時、ネクタイをしないのはおかしく感じます。しかしジャケット+パンツのスタイルではそうではありません。私は後者のスタイルで行くことにしました。スーツを夏冬一着ずつ残して捨てました。しかし、ジャケパンスタイルで仕事に行くうちに、ジャケット、シャツ、パンツ、靴の組み合わせを考えることも面倒に感じてきました。
私がはくパンツは灰色系か黒でした。まずここを一色にしたいと思いました。長くなりましたが、そのような経緯で洋服屋さんで最初に述べた同色同形の二本のパンツを仕立ててもらいました。
オールマイティー
パンツの色を黒に決めたのには少し理由があります。本当ならジャケパンスタイルは灰色のパンツがカッコいいと私は思うのです。しかし、私も歳をとりいろいろな場所がユルくなってきます。そのユルさの部分がトイレで用をたした後出たりすると、私はしばらくトイレで乾くのを待つか、またはあたかも手洗いの水が飛び散ったかのような細工をしなければならなくなります。
その点黒はごまかしがききます。多少気持ち悪さは残りますが、とりあえずトイレから出ることができるのです。汚い話になって申し訳ございません。加齢とは、他人事で遠い世界に思えてた出来事が自分に”降りかかってくる”ことなのでもあります。そして悲しいことに実際に私はこの色にたまに助けられているのです。
そんなわけで去年の秋からこの二本の黒パンツとの生活が始まりました。正確にいうと三本目の黒パンツがあります。これは既製品で素材はポリエステル100%、雨の日に着用します。
朝食を食べ終わりシャツを選びます。靴下と黒パンツを履き、ベルトを身に付けます。ちなみに靴下は季節ごとに同じものを3〜4枚買います。季節が終われば農作業で泥だらけにした後捨てます。ベルトは黒、暗い茶色、明るい茶色の三色で靴の色と合わせます。ジャケットは秋春用に二着、冬用に二着です。ポケットチーフを適当に入れて完成です。
このように見てみると、私が仕事服に関して選択している回数の少なさがわかります。ジャケットは二着を交互、靴とベルトは三色を回すので、実質選んでいるものはシャツとチーフぐらいです。
スーツをやめてジャケパンスタイルにすること、パンツを黒一色にすること、この二つを決めただけで随分と楽になりました。服を選ぶ手間、服の量、選択する回数、すべてが減りました。さてさらに一歩進めることにします。
全ての季節で
式典など大切な機会を除いてネクタイなしのジャケパンスタイルの私ですが、それが当てはまらない時期があります。それは6月から9月中ばまでの暑い期間です。私はこの時期、襟付きの半袖シャツまたはポロシャツにチノパンを着用します。
上に着るシャツの色や形や柄は様々なので、それに合わせてチノパンも何色か揃えています。私は今年この時期も黒のパンツで過ごしてみようと考えました。うまくいけば一年中同じデザインのパンツを履き回せることになります。
ポロシャツではなく、少しきっちりとした襟の半袖シャツを何枚か買い黒のパンツに合わせます。そうするとベルトから下は一年中同じスタイルになります。
私は例の洋服屋さんに行き、追加で黒パンツを二本仕立ててもらいました。
一本は去年仕立てた二本と同じサイズ。もう一本は幅を5ミリ広げてもらいました。冬の間「ズボン下をはきたいなあ」と思う日が十数日あり、そんな日には去年のパンツでは少し窮屈に感じられたからです。
とりあえず、これで一年中ベルトから下は同じスタイルで職場に行ける体制ができました。とはいっても夏は羊毛のズボンより綿が素材のチノパンの方が心地よいので、そのあたりの塩梅をこの夏試してみて考えようと思います。
働き始めて20年以上過ぎます。私はこんなにも長い年月をかけて自分の仕事着としての制服を手に入れた気分です。選択肢が少ないということは、こういうことに関しては良いことだと思います。
以前は夏と冬のバーゲンの季節になるとソワソワしていました。それ以外でも「とりあえず服を買う」という行動をよくとっていました。
制服ができた今はそのようなことからは全く無縁の生活を送っています。古くなったら買い足す。それを続けるだけです。出来るだけ体にあい着心地の良いものを身につけたいので、買い替える時は予算の許す範囲で洋服屋さんに仕立ててもらおうと思っています。
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