今年1回目
先日、今年初めて玉子焼き(明石焼き)を焼いた。出来栄えは散々だった。塩味が中途半端で味がぼやけている。出汁の風味が薄い。卵の香ばしさがない。そして何より玉子焼きの体をなしていない。
「今度いつ焼くの」とよく妻に言われていた。なんとなく面倒くさくて「今日はやめとく」を繰り返していた。玉子焼きを焼くのはたいてい土日の夕食である。時間をかけて用意できるし一緒にビールを飲みたいからだ。
最近は土日といっても昼間の予定が詰まっていることが多い。台湾語の学習を再開してからは特にそれが顕著である。英語とイタリア語も中断せずに続けている。ツーリングクラブもメンバーが増えてちょくちょく誘いがくる。米作りのシーズンは2週おきに帰省する。
そんなこんなで玉子焼きの焼き鍋から体が遠のいた日々を送っていた。焼きたいと思うが疲れていて妻の料理で早くビールを飲み始めたい、そんな状況が続いていた。
玉子焼きのレシピを記した手帳を開けてみる。焼くたびに分量と出来栄えを記すものである。私が明石焼きの世界で有名になれば”秘伝”と呼ばれる可能性のあるものだ。
2025年は6月29日と9月20日の二回、合計でわずか7人前を焼いたにすぎなかった。この数字、2020年は家庭用の焼き器を手にした7月から半年で19回である。2週間に1回の頻度が年間2回に変わっていた。それは味も落ちるはずである。
英語教師の私は英語を毎日読み書きする。忙しい中でもなんらかの形で英語に触れようとする。自分が積み上げてきたものを失うことが怖いからである。毎日学習したところで、私の英語力は実感として現状維持が精一杯である。歳を重ねると共に記憶力や思考力が低下していくからだ。
今回ガスコンロの前に立って思った「体が覚えているから大丈夫だろう」と。いざ焼き始めると違和感を感じた。いい具合に形が決まらない。何より焼きながら「今すぐビール飲みたい」と思わせる卵液と高温の油によって醸し出される香りが立ち上がってこない。
何かが違う。しかし私はその「何か」が何なのか検討がつかないくらい玉子焼きから遠ざかっていた。

振り返り
私と玉子焼きの関係を簡単に振り返る。
2020年6月私は妻と玉子焼きを食べるため明石へ行った。かつて暮らしていた馴染みのある街だ。最初は車での訪問であったが、食べていてあまりにビールが飲みたくなったので二回めからは電車で通うようになった。
食べ歩くうちに、玉子焼き用銅製の焼き鍋を手作りする唯一の職人さんがいることを知り「ヤスフク明石焼き工房」を訪問。そこで安福さんに、いつか趣味で明石焼きの店をやってみたい旨を告げる。すると、すかさず「みんな同じことをいうんや!」から始まる厳しくも温かい説教を受け「とりあえずこれで焼けるようになれ」と家庭用の焼き鍋を紹介される。
鍋を購入後毎週末のように焼くがたこ焼きのように上手く焼くことができない。焼き上がった玉子焼きや鍋の状態を写真にとり安福さんや奥さんにアドバイスをもらう。じん粉(明石焼き用の小麦粉)や上板を買いに店を訪問し、安福さんと話をしてコツを探ろうとするが、結局いつも饒舌な安福さんの聞き役となる。
安福さんは100年以上続くこの店の3代目で日本でも唯一の職人。「わしで終わりや」の言葉を聞きどうしても業務用の鍋が欲しくなる。2020年11月「今すぐ店を開く予定はないのですがどうかお願いします」と注文。
「できたで」の電話を受けて翌年1月16日夕方、店に横付けしたミニバンの荷台に鍋とガス台を積み込んだ。見送りに出てくれた安福さんに挨拶したのが最後の会話になった。
コロナの発生からまだ1年。感染症5類に移行するのまでまだ2年もあり、人々は気軽に外出して食べ歩く状況ではなかった。私たちの玉子焼き巡りもしばらくお休みしていたが、それでも車やバイクで明石方面へ行くことがあればヤスフク明石焼き工房の前を通るようにしていた。
不思議なことにお店はいつもシャッターが降りていた。取り囲むようにマンションの建設が進んでいく。
2022年10月、明石焼きのパンフレットに安福さんの店名がなくなっていることに気づき、急いで観光案内所に向かった。高齢により閉店したと係の人から聞く。同じ頃、ネットで安福さんが亡くなられたという情報を見るが信じない。
2024年の秋、妻と新しい店を訪問した時、焼き台に安福さんの鍋が見えたので店主に話を切り出してみる。ネットではなくその業界の生身の人から訃報を聞き、やっと信じることができた。
私と玉子焼きとの関係を振り返ろうとしたが、なんだか安福さんの話ばかりになった。今思うと、短い間ではあったが安福さんの店に通っていろいろ話を聞き、業務用焼鍋を手に入れられたことが奇跡のように思える。妻と明石へ向かったのが1年遅かったらもう店は閉まっていた。
取り戻して
こうやって思い出話を書いていると安福さんが現れて叱られそうな気がする。
「何やっとんや。あんた明石焼きの店したいいうたんと違うんか。ちゃんと修行せいや」
シリアルナンバーはついていないものの、購入した時期から考えると私の業務用の焼鍋は安福さんの作品の中で最晩年のものになるであろう。ひょっとしたら体調が悪い中で無理して作った物かもしれない。いつかなうかわからない私の夢物語のために。
この貴重な作品にはまだ一度も火を通していない。鍋は焼台や上げ板と共に私の実家の倉庫にある。その倉庫の一部を改造してカウンターを作り、そこで玉子焼きを焼くのが私の計画である。
カウンターと調理場から見える壁には大画面のTVが設置されている。私の立ち位置の後ろには冷蔵庫があり、中には瓶ビールが冷えている。ビールとアツアツの玉子焼きを味わいながら大相撲中継を見る、そんな場所を作りたい。
カウンターに座っているのは私の幼馴染やその親たち、私が実家を出て行ってからその地域に住み始めた人々である。18歳までしかいなかった私の故郷に対して恩返しのつもりで人々が集まれる場所を作りたい、その思いの中心にあるのが玉子焼きであり安福さんの作った鍋である。
さて、ひとしきり反省したらあとは行動するだけである。また定期的に玉子焼きを作り、美味しく焼けた時の感覚を取り戻す。
昨年秋、幼馴染みが私たち夫婦を家に呼んでくれた。そこで私は自分の計画を話し、DIYが得意な彼に手伝ってくれとお願いした。暖かくなってきたらその返礼に彼らを呼び、玉子焼きを焼こうと考えている。
それまでには一定上のレベルのものを焼けるようになっておきたい。さぼったら、安福さんの叱り声が聞こえてくる。
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