こたつから目覚めると…
お酒を飲んだ後、気持ちよくグラスを置き、歯磨きをして、パジャマに着替え、「おやすみ」と家族へ言って寝室へ向かうことは・・・めったにない。
大抵は飲みかけのグラスをテーブルに置いたまま、歯を磨くことも無く、服もそのままでソファーかこたつで眠ることになる。
その日もだらしなく酔っぱらったままこたつで眠っていると、妻に肩をたたかれた。「いびきがうるさくてTVが見られない」。妻は子供たちと出川哲郎の「充電させてもらいませんか」を見ている。
半分寝ぼけた僕の耳にTVから懐かしい曲が聞こえる。
「やめてけれ やめてけれ やめてけれ ゲバゲバ」
「老人と子供のポルカ」だ。旅の途中で困っている出川哲郎のイメージと「やめてけれ」の歌詞がよく似合う。その晩は何も考えずに寝室へ向かったが、翌日、この曲をもう一度聴いてみたくなりYouTubeで検索した。
画面の向こうでは左卜全と子供たちが歌っている。画質はかなり悪い。「老人と子供のポルカ」を1曲通して聴き終わった時、衝撃を受けた。
「僕は25年間何もわかっていなかったんだ!」
悪友Hとの旅行
今でも「老人と子供のポルカ」を初めて聴いた時のことは鮮明に覚えている。カーラジオから流れるAM番組だった。運転していたのは僕、隣には悪友のHがいた。
Hとは高校3年間同じクラスで過ごし、学部は違うが同じ大学に入学したので、一緒に不動産屋へ行き、同じアパートの隣同士の部屋を借りた。お互いに別の場所に住み始めるまでの2年間、Hと僕の近所付き合いが始まった。
彼とは親友というほどではないが、かなり仲のいい友達。学部が違うので付き合う友達も違うし、隣同士に住みながら普段はそれほど行き来は無かった。しかし、たまに一緒にご飯を食べたり、どこかへ出かけたりした。別にそんなに悪いことはしていないが「こいつは俺の悪友でなあ…」と言いたくなる、そんな感じの友達だった。
「老人と子供のポルカ」を聴いた時、僕たちは野郎同士の旅行で福岡県を西へ向かっていた。時間は午前中だった。高速代が惜しいので国道を徹夜で運転し続けて迎えた朝。
車にはヘヴィーメタルのカセットテープが数多くあったが、Hはメタルを聴かない。仕方なく車内にはラジオが流れていた。遠く離れた土地で知らないラジオ局の放送を聴くのもいいものだ。
僕たちは眠気と戦いながらハンドルを握り西を目指す。朝食を終え、お腹が満たされるともう限界だ。「30分だけコンビニの駐車場で寝ようか?」、そんな弱気になった僕らの耳に入ってきたのがあの「ズビスバー~ パパパヤ~」だった。
2人は眠気を忘れて大いに笑った。何なんだこの曲は!歌詞らしい歌詞が無い。
ズビズバー やめてけれ 神様助けてパパヤー
お年寄りの声がひたすらこのようなことをゆるく繰り返す。しかも歌がリズムとズレている。子供のコーラスが合間に聞こえてくる。今まで一度も聞いたことのタイプの強烈な曲に、二人は腹をよじりながら大笑する。眠気も一気に吹き飛んだ。
旅行から帰っても、それからしばらくHとは”あの曲”の話題で盛り上がった。しかしながら二人とも曲のタイトルを聞いていない。僕は周りの大人の前でこの曲を歌い始めた。
老人と子供のポルカ
ネットの発達した現代なら「ズビズバー」と一言入力すればすぐに歌のタイトルはわかるし、動画で曲を聴くこともできる。しかし、今から25年ほど前、ネットはまだ黎明期、僕の周りでは限られた人しか使っていなかったし、通信速度を考えると動画は夢のような時代だ。
「やめてけれ やめてけれ」と記憶を頼りに歌うこと数人目、僕の母方の叔母が「それは”老人と子供のポルカ”だ」と教えてくれた。そしてその歌を歌っているのは「左卜全」という俳優ということも。
”左卜全”?顔が浮かばないが有名な俳優らしい。僕はその後、黒澤明の映画の中に彼を発見した。「この人があの歌を歌っているのか」と思うが、PVを見たわけではない。具体的に歌唱する姿を見ることも無く僕の中であのへんな歌=老人と子供のポルカと映画の中で見た彼の姿が結び付いた。
先週、初めて動画を見るまでに、何十回この歌を聞いたのだろうか。ほとんどはこの前見た「充電させてもらえませんか」のようなバラエティー番組の挿入歌として聴いた。聴く度にHとの旅行を思い出す。そして「意味のない変な歌詞だな」ということも。
つい数週間前も妻がこの歌を口ずさんでいた時、「なんでこんな意味のない歌詞なんだろう」と彼女と話をしたばかりだった。
そして、今回YouTubeで一曲通して聴いてみる。己の考えの浅はかさが恥ずかしいと思った。
そういうことか!
異変に気付いたのはYouTubeで「老人と子供のポルカ」の2番を聞いていた時であった。僕も一緒に歌いながら2番へ、僕は1番の調子で「やめてけ~れゲバゲバ」と歌うが彼の歌詞は違う。「ゲバゲバ」の部分を「ジコジコ」と言っている。
僕の頭に「?」が浮かぶ。「ゲバゲバ」は、ただの変な気持ちを表すオノマトペではないのか?「ゲロゲロ」とか「ブリブリ」ならわかる。しかし「ジコジコ」とは何だ?僕はドキドキしながら3番の歌詞を待った。
やめてけ~れストスト
「おおおお~!」体に電気が流れた。
「そういうことだったのか!」
僕は急いでウィキペディアで「左卜全」を調べる。
明治27年生まれ。帝劇歌劇部でオペラ歌手として歌唱を学ぶ。戦前から戦後にかけて役者として活躍。黒沢映画に多数出演。死の1年前、昭和45年に「老人と子供のポルカ」で歌手デビュー。翌46年、77才で没。
リズムのとれない老人ではなかったのだ。確信犯だったのだ。オペラを習った人物だ、歌が下手でリズムを外しているわけではない。
大正デモクラシーを青年期に経験する。その後世界恐慌から軍部の台頭。日中戦争に続き大東亜戦争。彼の働き盛りの年齢は日本の苦難の時代と重なる。
終戦から20年、日本が毎年二桁の経済背長を続けていた時、彼は生まれて初めてのレコーディングに挑む。訳の分からない歌詞をユルすぎるリズムで歌う。ズビズバー、やめてけれ、パパイア、訳が分からない、しかし、その気の緩みこそ送り手の狙い。
意味のあるとは思えない歌詞の中で「ゲバゲバ」が「ジコジコ」に変わり「ストスト」で終わる。時代は1970年、彼は学生運動を大人の視点で見ている。
大学時代、立花隆の書いた「中核対核マル」を読んだ。自分が当時経験している学生生活とはあまりにかけ離れた学生運動。内ゲバにより大学構内で殺人が行われている様子が描かれている。読んでいて気分が悪くなった。当時の学生たちは何と戦い、何を犠牲にしてたのだろう。
40代後半で戦争を経験し、人生の終盤において学生同士の殺し合いを目撃した彼は何を思ったのだろうか。「虚しさ」。数百万人が命を落とした戦争が終わり高度経済成長の真っただ中に行われるイデオロギーの対立、そしてそれによる人殺し。人間にとって、社会にとって理想の状態とは何なのだろう。暗黒の時代が終わりせっかく平和な時代がやってきたというのに若者は訳の分からないイデオロギーのために対立、そして人殺しまで行っている。
70代中盤をむかえた左卜全はどんな気持ちだったのだろう。平均年齢から言えば自分はそれほど長くはない。そんな中でのあの「ズビズバ~」である。彼は道化を演じることで後世にメッセージを伝えたかったに違いない。
ゲバ・ジコ・スト、確かに昭和40年代は国鉄によるストの時代だった。しかし彼が一番言いたかったのはゲバとジコ。平和な時代で命を消費していくもの。
戦争が終わり命を奪われる心配をしなくても生きていくことができるようになった。それでも社会は安定しない。どこかに敵を求め、何かと戦いながら、時には貴重な命を失う。
老いて何を思ったのか
僕の心は75才の左卜全に接近する。どうしてここで歌手デビューをしたのだろう。それほど長くない余生の中でなぜ「ゲバ・ジコ・スト」なのだったのか。
学生運動が制御不能となり、モータリゼーションの発達により交通事故が増加したこの時代を考える時、彼の脳裏には大正から終戦までの日本の姿があったに違いない。世界の一流国の仲間入りをしたと思えば戦争ですべを失う。
戦後奇跡的な経済復興を遂げるものの、それに伴って新たな歪も現れ始める。戦争も人を殺したが、豊かさもまた別の方法で人を殺す。人間は同じことを繰り返しなかなか成長しない。
内ゲバ・交通事故・ストライキ、その外側にいる老人と子供。その立ち位置から人間の愚かさについて、道化のふりをしながらメッセージを発する、「老人と子供のポルカ」はそんな歌だったのだ。
このことを理解するのに25年もかかってしまった。僕の周りには他にもこんなことが溢れているのかもしれない。賢くなるためには人の一生はあまりにも短い。そう思いながら、僕は半分絶望を感じている。