多様性に驚く

童くんとの会話

オーストラリア人の同僚である童君は好奇心が旺盛で、いろいろな場所に出かけては多くのことを吸収して帰ってきます。ここ1年ほどはコロナ禍のため移動を控えていますが、それまでは大小合わせると毎月のように旅行に出かけていました。

「行きたい場所が多すぎる。どうしよう」

彼がそんな口癖を発するたびに、私は彼と地図を見ながらしばらく空想旅行を行います。

先日も日本のラーメンの話になりました。

彼は豚骨ラーメンが好きなのですが、同じとんこつラーメンでも、日本にはたくさんの種類があっておもしろいというのです。

確かに、豚骨ラーメンの本場は九州ですが、九州の中でも鹿児島、熊本、福岡と地域によってラーメンの中身やスープが異なります。それどころか、同じ福岡県内でも博多と久留米では違うと言う人もいるぐらいです。

また、九州以外でも和歌山や徳島などでも豚骨がメインとなっていますが、味は九州系豚骨ラーメンとは大きく異なります。

童君はそんな地域性よる味の違いに興味があるらしく、「どうして日本は少し離れた場所に行くだけで、こんなに食べ物の味が変わるのだろう」と不思議がります。

なるほど、私たち日本人にとっては関西と九州は異なる文化の場所だと感じますが、オーストラリアの大きさから考えると同一地域と言ってもよい場所です。

日本と比較すると大分新しい国から来たということもありますが、彼にとってこの国の持つ多様性は異常なまでに細かく、そしてどこに行っても新鮮な気持ちになれるそうです。

私自身、今までそれほど意識してこなかったこの多様性ですが、半年前に全国通訳案内士の勉強を始めたことで、今、童君と同様な驚きを感じています。

地理と歴史

鉄道好きの例に漏れず、私は幼い頃から地理が好きでした。この街の人口はいくらで、どのあたりが中心地で、どんな産業があって、周囲の地域とどういう交通機関で結ばれている、といったことを知るのが楽しいのです。

しかし、一方で歴史に関しての興味は今一つでした。山岡荘八や司馬遼太郎を読んでいたので、安土桃山から江戸末期にかけては部分的に関心がありましたが、それ以外の時代は退屈に思っていました。

以前にも述べましたが、私は社会科の教師になりたいと思っていたので、大学では歴史系の授業も受けましたが、断然地理が好きでした。歴史は何となく勉強していました。

社会科の教師になっていたら、積極的ではないにしろ、歴史の勉強を続けていたと思います。しかし、そうはならなかったので、私は二十数年間、歴史の学習から離れて生活をしてきました。

そして40代も後半になり、突然、日本史の勉強を始めました。

2年前にこのブログを書き始めなかったら、私は英検1級を受けていませんでした。そして、英検1級に合格しなかったら、通訳案内士の資格に挑戦しようとは思わなかったと思います。通訳案内士を受験しないのなら、日本史を勉強することもありませんでした。

モヤモヤとサヨナラしたくて書き始めたブログが、うまい具合にいろいろとつながり、私は今日本史の勉強をしています。

そして学習を始めて半年、私は今、童君と同様にキラキラした目をしてこの国の多様性を眺めています。

好きで積み重ねてきた地理の知識に歴史が合わさると、いったいどういうことが起きるのでしょうか。私は、今まで2次元の視点で見ていたものが3次元の立体的な世界になり、さらに時間軸が加わって4次元になるのを感じています。

本来、自然と人間の営みに境界はありません。時間が流れ、自然の変化する中、人が営みを行い、モノや街ができ上っていきます。時間と自然と人が作り出すカオスです。

学問とは、それに切れ目を入れていく作業です。時間と自然が地形に引き起こす変化に焦点を当てると、地学や自然地理という学問になります。

人の営みとそれが作り出すものに対し、時間軸を強調して切れ目を入れると歴史になり、物理的な平面を軸にすると地理になります。

そういう風に切れ目を入れられ、分けられたものを複数組み合わせると、今まで見えなかった世界が立ち上がってくるのです。

今まで当然のこととして受け取っていた街の形、人口の分布、産業や文化、そういうものに別の意味が付け加えられていくのを感じます。

歴史が長く、狭い割には東西南北に国土を持つこの国は、そのあちらこちらで多様で豊かな営みが展開されています。私は、歴史と地理を通じてそれらに意味づけを行っています。そしてその作業は、時間を忘れるぐらい楽しい作業です。

一番若い日

勉強してます

写真は一部ですが、これらの資料を用いて勉強をしています。楽しい作業ですが、焦りも感じています。特に日本史はブランクが長すぎるので、基本的なこともわかっていません。

高校の日本史Bの教科書と資料集を手に入れて、それを基本に勉強していますが、正直言ってここまで覚えることが多いとは思っていませんでした。

通勤の電車の中と休日を中心に学習していますが、やるべきことの多さと比較して、できる量が少なすぎるので焦ります。さらにイタリア語検定2級に向けての学習や、ブログの更新へのプレッシャーもあり、ヘトヘトになりながら毎日過ごしています。

しかし、毎日忙しいのですが、何というか、清々しくて新鮮な気持ちでいることも確かです。

それは、ブログ執筆をきっかけにして、気持ちが安定し始めて、いろいろなことが繋がってきているからだと思います。そんな中で、私の目の前に新しい世界が開け、この国の様々なことに気付かせてくれます。

私はこの国に住み続けていますが、オーストラリアからやってきた童君と同じような感覚を持って、今、日本を再発見してるのだと思います。そして、そのことが、私をこのような爽快な気持ちにさせてくれるのです。

さわやかな気持ちの半面、悔しさも味わっています。

「どうして今まで何もしなかったのだろう」という気持ちです。

あの町に行った時、どうしてあの寺社に行かなかったのか。あの博物館であの作品を見なかったのか。そういった類の後悔が次から次へと湧き上がってきます。

特に私は歴史の古い関西に住んでいます。いくらでも京都や奈良に日帰りで行けたはずです。

歴史の教科書や資料集を見れば見るたびに、今までできていたのにしなかったこと、見られたはずなのに見なかったことが浮かび上がってきます。

とはいっても、過去に戻ることはできません。しなかったことに対して悔しさを感じる時、私は両学長のこの言葉をつぶやきます。

「今日がこれからの人生で一番若い日」

そうなんです。私が変えることができるのは、今日から人生なのです。そして、これから私が死ぬまでの人生を考えた時、今日がDAY1なのです。私は今、自分のコントロールできる人生で一番若い日を生きているのです。

面白くて見るべきものの多いこの国で、「今日」を生きられていることに感謝し、これからも勉強を続けていきます。

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。