大人の友達

六甲アイランド午後6時半

8月下旬の週末、厳しい残暑にも負けずに私はバイクにまたがり六甲大橋を超えました。神戸に住み始めてから何十回も渡ったこの橋です。いつもはスロープを降ってそのまままっすぐ進みますが、この時は左折して大きな通りを東へ向かいます。

六甲アイランドは台形のおまんじゅうのような構造をしています。あんこの部分は住宅や商業地域になっていて、それを取り囲む分厚い皮は港湾や流通施設です。私が左折したのは、その二つの地域の境目皮側で、そのまま進みさらに左折するとフェリーターミナルが現れます。

長い間この街に住んでいますがここへ来るのは初めてで、なんだか知らない街にいるような気分になります。係員に誘導されるまま広い駐車場にバイクを停めると、すぐに2台の見慣れたバイクがやって来ました。ツーリングクラブの二人です。

ヘルメットを取って挨拶を交わします。二人とも口元が緩んでいます。自分では見えませんが私もおそらくそうでしょう。楽しみと期待とで自然に笑みが込み上がってきます。ついにこの日がやって来ました。

30分ほど駐車場で待っていると係員の指示があり、乗用車やトラックより先に乗船します。バイクは船首左舷側に固定され、私たちは荷物を持って船室へ上がります。

早く乗り込めたおかげで、ロビーのテーブルと椅子が人数分確保できました。私たちは、まだ船は六甲アイランドにいるというのに、そこで缶ビールを開けて乾杯をしました。

「いよいよ実現しましたね」

先ほどと同様に笑いを堪えることができません。実際に、私は心から幸せな気分を感じていました。私の目の前にいる二人は、私がよく通う立ち飲みの常連客だったに過ぎません。それが、いつの間にかこうやって一緒に旅をする間柄になったのです。

2本目のビールが開く頃になって、船は六甲アイランドを離れました。ロビーのある右舷側からは神戸の街並みがよく見えます。六甲山を背景にして、海と山に挟まれた幅の狭い土地にビルが立ち並んでいます。それらの窓から放たれる無数の光を見ながら、この街の美しさを改めて感じました。

子供の友達

20代後半から30代前半にかけて多くの友人が結婚していきました。その時期、それらの結婚式に参加する中で、私は三人の友人から友人代表スピーチを依頼されまれました。

高校のクラスメイト一人と、大学のサークルの友達二人です。彼らの晴れ舞台で友人代表として私を選んでくれたことは嬉しく、私も彼らを親友だと思って付き合いを続けています。

しかし、そんな仲の良い友達との関係で、彼らの住む街に訪問したり彼らが神戸を訪ねてくることはあっても、一緒に旅行をするということは今はありません。

大学生は年齢の上では成人ですが、まだ社会人の経験もなく、今振り返れば子供の延長と変わりません。そんな時代までにできた友人は、私の中では「子供の友達」であり、小学校や中学時代の友達と同じ感覚です。

子供の友達とは、いつになっても共有する気持ちの起点が毎日会っていた頃になるので、歳を取って会ってもその頃の年齢で話をしているような気分になります。だから、どちらかの街で再会してそこで話をすれば満足するのです。それは学校で会って話して、放課後になったら家に帰る感覚でしょうか。

多分、多くの人は「子供の友達」だけを持ち続け、年を取ってゆくのだと思います。私も働き始めてからは、友達といえば大学までにできた「子供の友達」を意味しました。職場で仲良くなる人はいますが、「友達か?」と聞かれれば答えに窮します。

多分、友達になるためには利害関係なしで「一緒に遊ぶ」という経験が必要になるのだと思います。同期もほとんどいない氷河期時代に働き始めて、多忙な毎日の中、職場を離れて一緒に遊ぶ同世代が持てなかったことが、私が大人になって友達を持てなかった理由なのかもしれません。

そんな中で今、私はこうやって仲間とバイクで旅行を楽しんでいます。知り合ったのは馴染みの立ち飲みでした。そこに通い話をするうちにバイク好きと知り、最初は4人でツーリングクラブを作りました。それがそのうち7人になり、さらに何人か加わりそうな様子になっています。

私たちが一緒にすることといえば、酒を飲むこと、またはバイクに乗ること、そして時々その二つを組み合わせることです。つまり遊びしかしていません。

先ほど友達になるためには一緒に遊ぶことが必要と書きましたが、私たちは集まれば遊びだけを行っています。だから私は今、私には大人になって友達ができたと感じています。

草千里へ

目を覚まして甲板に出てみると国東半島が見えました。その左側には別府と大分の街がうっすらと見えます。私たちは朝の支度を済ませ、船の着岸と同時に車両甲板へと向かいます。

バッグを固定し、ヘルメットをかぶり、グラブをつけてエンジンを始動します。船舶とトラックとバイクの音が混ざり合い甲板の中で響きます。気持ちが高まります。この瞬間から夕方まで、私たちは見知らぬ地をバイクで走り、風を受け続けるのです。

私たちは別府で朝食をとり、そこからやまなみハイウェイへと入りました。由布岳の麓を走り、湯布院を越えて、草原の中を走ります。標高が高いためでしょうか、ほどんど高木がなく360度の開けた景色が堪能できます。

交通量も少なく、分かれ道もなく、ただ前方へとつながる道へマシンを導きます。ジャケットのあみ目から心地よい風が入ってきます。何も考えずにこの雄大な景色の一部となってバイクを走らせます。なんて心地よいのでしょうか。

私たちは県境を越えて阿蘇のカルデラへと入りました。盆地の底に溜まった熱気に体が包まれます。カルデラの北半分を横切ると再び勾配を上げて阿蘇山を登っていきます。私たちはお昼前に目的地の草千里の草原に到着しました。

「今度一緒にツーリングしましょう」

立ち飲みのカウンターで会うたびにそんな話をしていましたが、実際に一緒に走るまでに1年以上かかりました。それから何度か日帰りツーリングをしましたが、なんだか物足りません。

私たちは酒場で出会ったのだから、やはり酒がある方がいいに決まってます。それから泊まりがけのツーリングをするようになりました。バイクで日本酒の蔵を巡り、そこで仕入れたお酒を夜に楽しむのです。

「2029年の草千里に一緒に行きましょう」

ツーリングを続けるうち、そんな話をするようになりました。草千里とは1979年に第1回が開催され、以後10年ごとに開かれるバイク乗りのためのイベントです。全国からこの場所へとバイクを走らせて、写真を取ってもらい写真集を作ることが目的です。

私たちは、四人で草千里に行くことを楽しみにバイクに乗るようになりました。

これからも

今回、私たち三人はフライング気味に草千里を訪問しました。最初のメンバーの残り一人は、現在病気療養中のためにバイクに乗ることができません。

私たちがこの夏ここへ来たのは、バイクに乗れない友達に対してエールを送るためでもあります。

「元気になって2029年は一緒に来よう」

私は今、大人になって友達を持てたことに感謝しています。大人の友達は、お互いに節度を持って接することができます。仲はいいけれどお互いに敬語を使って話します。その距離感が持つ心地よさがいいのです。

遊ぶことが仕事であった子供時代とは異なり、忙しい仕事の中で作った遊びの時間、その中でバイクを走らせ、酒を飲み、楽しい時間を一緒に過ごします。

「友達っていいなあ」

この歳になってこんな青臭いことを、私は妻の前で言うようになりました。

2029年の草千里が開催されるかどうかは、まだわかりません。仮に開催されたとしても、倍率はかなりのものになるでしょう。

それでも、私は心の中に「2029年草千里」という文字を刻み、これからも大人の友情を深めていきたいと思うのです。

「いつでも遊びに励め。人生には締め切りがあるのだ」

私が折に触れて思い出す、カヌーイストで作家であった野田知佑さんの言葉です。

仕事を始めて以来、私は一人で、または妻や子供たちと遊ぶことはしてきました。しかし、考えてみるとこうやって大人の友達を持ち、何も考えずに遊ぶことはしてきませんでした。

今回九州をバイクで一緒に走り、私は自分の人生に足りなかった大切なものを一つつかみました。これからも、それを大切に生きて行きます。

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。