大人の義務教育…瓶ビール大

テレビはそれほど見ないが…

過去の記事を読み返していて「僕はテレビはあまり見ない」と言う割にはテレビから派生した話題が多いことに気が付いた。少し言い訳します。

確かに能動的にはそれほど多くの番組を見ない。大相撲・ニュース・タモリ倶楽部、たまに吉本新喜劇ぐらいである。しかし、考えてみると「受動的に見ている」番組はかなりある。

私の妻はテレビが大好きな人で「そんなに見る時間あるか」と思うくらいレコーダーに予約録画しては深夜までTVを見ている。

そんな妻は、私がテレビ好きではないことを知っているので普段は何も言わないが、たまに私を試すかのように「この番組一緒に見よう」と言ってくる。そのような番組で僕がいいリアクションをすると、妻も満足そうな表情をする。

「7ルール」「月曜から夜更かし」「充電させてもらえませんか」「呑み鉄本線日本旅」といった番組はそうして知った番組だ。毎回ではないが、僕の琴線に触れそうな内容があれば、妻は録画をして僕に見せる。自分一人ではたどり着けなかった世界を知ることができる。ありがたい話だ。

そんな妻が最近紹介してくれた番組に「町中華で飲(や)ろうぜ」がある。玉袋筋太郎が東京近郊の町中華をめぐり、店自慢の料理をあてにお酒を飲むという内容の番組。僕が「居酒屋好きなこと」「普段からチェーン店の増加で街が楽しくないと言っていること」この二つのことを考えて選択したと思われる。

結構楽しめる番組。日本に溶け込んだ形で進化した町中華。個人事業主が中心で、同じようなメニューでも微妙に違って面白い。やはり街には少しずつ違った店があるのがワクワクさせられる。

高温の油が発する芳香がこちらまで漂ってきそうな中、玉袋筋太郎が肉野菜炒めや焼き餃子をつまんでは、ビールで流し込む。その時彼が発する一言に僕の想像力は掻き立てられる。

「633 大人の義務教育」

僕は、彼のこの天才的な比喩にすっかり心服してしまった。

大瓶のある店

瓶ビール(大)の容量は633ml。633の12年にかけて、玉ちゃんは義務教育と言っているのだろう。高校の進学率がほぼ100%の今は、最後の3年間も義務教育と言える。僕は、彼のこの言葉に卓越したセンスと人間がたどってきた深い道のりを感じる。瓶ビール(大)で飲み交わす酒は大人にとってとても大切なことを教えてくれる。その前に大瓶についてもう少し。

大瓶のビールを小さめのコップに注いでクッと飲み干す。僕の一番好きなビールの飲み方だ。しかし、この瓶ビール(大)を味わう頻度、最近少なくなってきたと思う。

お寿司屋さんや少し洒落た居酒屋では、瓶ビールはあっても中瓶である。本格的な中華(いわゆる町中華ではない)店も中瓶が基本だ。立ち飲みは、酒屋の一角の場合大丈夫であるが、そうでない場合は生ビールが多い。誰かと一緒に飲みに行く場合も「とりあえず生人数分」となるケースが普通だ。

過去数か月を思い出しても、意外と瓶ビール(大)を飲んだ記憶が無い。

僕が子供の頃はビールといえば、このサイズが基本であった。盆やお正月の前には20本入りのケースが酒屋さんから玄関先に届けられた。それを冷蔵庫や氷を張った水につけて親戚がくるのを待つ。やがて宴会が始まると栓抜きで蓋を開け、一斉にコップに注ぎ合うおじさんやおばさんの姿が。役目を終えた瓶はケースに戻され再び玄関先へ。そして知らぬ間に酒屋さんに回収されていた。

大学に入りお酒を飲み始めたが、居酒屋での基本は瓶ビール(大)であった。ほぼ同じ値段で生ビールも飲むことができたが、量を考えると瓶の方が得に思えたのだ。

その流れで社会人になっても、大瓶があれば僕は必ずそれを注文した。瓶ビール(大)をメーカーのロゴが入った小さなコップに注いで飲む。特に相手がいる時は、そうやって飲むビールが一番おいしく感じられる。

しかし、そんな瓶ビール(大)文化も生ビールや中瓶、またはいきなりハイボールや酎ハイから始める人達によってメインストリームから追いやられている気がする。

そんな中での玉ちゃんの「大人の義務教育」発言。僕たち大人は、果たして何をこのビールから学ぶべきなのだろうか。

瓶ビール(大)
633大人の義務教育

大人が学ぶべきこと

瓶ビール(大)と瓶ビール(中)との違いを考えてみる。

内容量は633mlと500ml、中瓶はロング缶と同じだ。僕は一人でお店に入り、両方置いてある場合、中瓶を頼むことが多い。量が適切なのだ。だいたい中瓶2本を空け、500ml×2本、1リットル飲んだところで日本酒・焼酎などへ進む。

これが大瓶だと量が少し多すぎる。1本では物足りないし、2本=約1.3リットルは少し多い。お腹がタプタプになり、トイレへの回数も増える。

以上は一人飲みの場合。これが複数で店に入る場合は話が変わる。店へ入り瓶ビール人数分とつまみを何点か頼む。この時中瓶だとなくなるまでの時間が早すぎるのだ。それに瓶が空になる直前の泡ばかりの状況に遭遇する確率も上がる。基本的に瓶ビールは注ぎ合うものだからこの状況は少ない方がいい。

複数人でビールを味わう時には大瓶の方が使い勝手が良い。そして、その大瓶に最も合うグラスがあの小さなメーカー名の書いてあるコップだ。入る量が少なすぎると思う人もいると思うが、すぐ飲み干せることも利点であり、何より少量グラスはある動作を促進させる。

大瓶+小さなコップ、これは複数でビールを飲むための道具。そしてその時、私たちは常に周りを見ながら杯を進める必要がある。

基本的に酒宴では、自分でお酒を注ぐのはマナー違反。また、相手の杯が空いているのに気づかないことも失礼である。私たちは注ぐべき空きそうな杯を探しながらビールを飲む。自分のコップが空き、まだ飲み足りない場合にするべきことは、ビールが必要な人を探してその人に与えること。そうすることで、返礼として自分の欲しかったものが帰ってくる。

大瓶と小さなコップの組み合わせは、この贈与と返礼の運動を促進する。この運動に伴って「ありがとう」や「気づかなくてごめん」といった言葉も交換される。

相手を気遣い、思いやりの言葉を交わしながらおいしいビールを飲み、楽しい時間を過ごす。生ビールと比較して「相手のことを考える」頻度が上がる。

飲み終わった後の大瓶の数々。その中身は誰がどれだけ飲んだのかわからない。「俺は中ジョッキ5杯」「私は2杯」などハッキリと分けることができない。酒飲みもそうではない人も同じ瓶から注がれて分け合ったビール。

瓶ビール(大)の酒宴には大人の社会でとるべき行動の規範が見られる。人は一人で生きているわけではない。集団では相手に気を配り、相手から受け取ったものに感謝をして、細かいことに目くじらを立てずに分け合う。玉ちゃんが言うように、瓶ビール(大)は大人として知っておくべきこと=大人の義務教育としての機能を果たしている。

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。