”寂しいなあ~”
1月場所で徳勝龍が感動的な優勝を果たした時、僕は生まれて初めて大相撲を生で見てみようと思った。3月場所は大阪開催なので仕事を半日休めば行くことができる。2月初旬からチケット販売となったが、僕の場合この時期には仕事の休みが確定しない。場所が始まり休みが取れたら当日券を目指して並ぼうと思っていたところ無観客開催が決まった。
「来年の3月までおあずけか…」とがっかりしたが、コロナウィルスが我が兵庫県でも猛威を振るう中開催してくれるだけでもありがたい。
野球、サッカー、バスケットと次々プロスポーツの試合が延期となる中で、大相撲がスポーツニュースの話題を独占している。他のスポーツをそれほど観戦しない僕にとっては嬉しいが、始まった場所を見ると「相撲ってスポーツなのか」という気がしてくる。
場所が始まるといつもの立ち飲みへ行く回数が増える。少し早く仕事を終え、携帯ラジオで相撲中継を聴きながらダッシュで立ち飲みへ向かう。息を切らせながら店へ駆け込む僕を店主のお母さんが笑いながら迎えてくれる。うまくいくとここで三役以上の対戦が見られる。
お酒を飲みながら他の常連さんと「あーだこーだ」と言いながら大相撲を見る時間は、僕にとって幸せを感じる瞬間。「どうしてこの楽しみにもっと早く気付かなかったのか」と悔しく思うが、過去に執着して後悔するのは僕の幸福感を阻害する悪い癖。「今日がこれから先の一番若い日」と思いなおそう。ちなみにこの言葉、最近よく見る”リベラルアーツ大学”というサイトで知った言葉。過去を引きずる僕を癒してくれる。
約40分の立ち飲みでの相撲鑑賞の間、常連さんが繰り返し呟く「寂しいなあ~」。僕も気が付けば何度も言っている「寂しいですね」。
淡々と取り組みが進んでいく。仕切りの時間がいっぱいになっても、観客の声援は聞こえてこない。どんなにいい勝負があっても行事の声しか聞こえてこない。砂かぶりの席の形や、その後ろの升席の構造がよくわかる。
中日の炎鵬対阿武咲の取り組み。炎鵬が立ち合いで八艘飛びを見せる。土俵の上を激しく動き周り、阿武咲に対して数々の技を繰り出し、最後は肩透かしで勝利。
通常の場所だと「ドカーンドカーン」とどれほどの歓声が起こったかというほどの名勝負。勝負がついた後もしばらく拍手が鳴りやまない状態だっただろう。
しかし、無観客の今場所。どんな名勝負も声援の聞こえないまま淡々と行事が勝ち名乗りをあげる。こちらはリビングで大盛り上がりなのに。やはり寂しい。テレビの向こうの見知らぬ人でいいから一緒に共感してくれる存在がほしい。
発想を変えて耳を澄ましてみよう
前代未聞な出来事だが、嘆いてばかりはいられない。何のために僕はこのブログを始めたのか。気持ちを文字に表すことで心を整えて、幸せを感じる感度を上げるため。どんな状況でもBright Sideはあることを信じよう。
僕は声援が聞こえないのなら耳を澄まして相撲本来の音に集中してみることにした。
・体をたたく音
僕たちの普段の手の動きは、無意識のうちに着ているものに依存している。特に目的もないがポケットに手を入れたり、シャツの袖をつかんでみたり、冬ならマフラーを握ってみたり。
力士はまわし一枚で土俵に上がる。手の持って行き場がない。そのせいかどうかわからないが、力士はやたらと体をたたいているような気がする。
頬をパチパチ、太ももをパシッ、お腹周りをぺチッという具合に。様々な響きの音がTVを通じて僕の耳に入ってくる。他にこんな競技はあるのだろうか。
ほぼすべてのスポーツにはユニフォームがあるし、体の露出の高いレスリングや水泳でも相撲ほど体を叩きまわすことはない。
どうして相撲取りはあんなにも体を手でたたきいろんな音を出すのだろう。同じお腹を叩くにしても、石浦と碧山では全く違う音が出る。筋肉と脂肪の割合によって音階が変わるのだろう。聴いていて面白い。
・頭と頭がぶつかる音
「ガチンコ勝負」のガチンコは、元々相撲の立ち合いの時力士の頭同士がぶつかり合う音が語源となっていると聞いた。相撲の取り口によって、相手をかわしたり張り手で攻めたりするが、何回かに1度はこの「ガチンコ勝負」が見られる。
両手を仕切り線についた直後、物凄い勢いで頭と頭がぶつかり合う。「オゥッ」という力士の吐き声と同時に、何とも文字には表しにくいが「ゴツッ」をもっと太くしたような音が聞こえてくる。
力の大きさは質量と速度の二乗に比例する。最低でも100キロ以上の力士があの勢いで頭と頭をぶつける。歓声が無く静かな大阪場所であの不気味なガチンコの音がよく響き、僕は背中に寒気を感じてしまう。力士って本当にすごい。
・横綱土俵入りの四股の音
二横綱が休場した初場所から2か月、今場所は白鵬も鶴竜も調子がよさそうだ。力士の最高位にのみ許された白い綱を巻いての土俵入り、しびれるほどかっこいい。
太刀持ちを横に従えて土俵中央でゆっくりと四股を踏む。同時に観客から一斉に「よいしょー」の掛け声。僕もテレビの前で唱和する。
無観客の今回はこの「よいしょー」がどうなるのか心配だった。とはいえ、土俵の周りには数十人の関係者がいる。その人たちが声を出せばカッコつくだろうと思いながら観戦していると、聞こえてきたのは横綱の足が土俵に触れる「パチッ」の音。
自分の中で勝手に作り上げていた地を揺るがすような「ドスーン」との相違に腰が砕けそうになるが、考えてみると当然のことだ。体重150キロの人間が作り出す音には限界がある。少なくとも「ドスーン」で地面が揺れるはずはない。
しかしながら、そこに全方位からの観客による「よいしょー」が加わると「パチッ」が「ドスーン」になり、地が震え始める。人間の認識はあくまで主観的なものであることを確認させられると共に、幻でいいからその中でいい夢みたいという気持ちになる。
その他の細かい音
普段なら1万人近くの観客が入る場所。普段は人間の体に吸収される音が反響してマイクに入ってくるため、今場所はすべての音にリバーブがかかっているような感じがする。特に呼び出しの声と行司の言葉は、カラオケでエコーの効いたマイクで話しているようだ。
普段は歓声と混ざっている行司の声も、今場所に限ってはソロパートとなる。人によって声のトーンに違いがあるとこに気づいて面白い。中には「手をついて」の声がかなり威圧的に聞こえたこともあった。力士たちにとっても相性が良かったり悪かったりする行司がいるのだろうか。そんなことを考えてしまう。
地元兵庫県出身の力士、照強はやたらと大量の塩をまく。あんなにまいたら土が滑りやすくなるんじゃないか、と思うほどである。今回はその照強によってまかれた塩が土俵に落ちる「ザザザッ」という音がスピーカーから聞こえてきた。
四方の勝負審判のすぐ後ろ、いわゆる「砂かぶり」と言われる特等席がある。普段は砂どころか時々押し出された力士もかぶる可能性のある、ある意味少し危険な席だ。今回は誰もいない。したがって、押し出されて勢い余った力士がこの席にも安心して突っ込んでくる。力士たちがこの席を「トントン」と小走りする音も今場所独特のものだと思った。
残念な出来事も明るい方を見ようと思っていろいろ書いてみた。確かに今場所は「音」に絞って考えると今まで体験できなかったことが味わえるが、やはりそんな音より大歓声の方がいい。
こういった文化やスポーツって、毎日の生活が安定しているからこそ楽しめるものだとつくづく思わされる。今まで感染症や生活必需品のことを心配しなく、当たり前の日常を送れてきたことに感謝しながら、歓声に満ちた5月場所を待ちたい。