力の入らない月曜日
必ず来ると分かってはいても対策をとれない。終わりは次への始まりと理解できるのであるが、何だか体の奥から力が出てこない。相撲が好きになるということは、相撲ロスとも付き合っていくということ。まさに人生は簿記である。借方と貸方が一致する。
今回も備忘録を兼ねて、9月場所で感じたことをいくつか記してみたい。書くことで思い出すこともある。書くことで次の場所を見る枠組みを整えてくれることもある。6週間後の九州場所を楽しみにしながら、この2週間で印象に残ったことを記してみたい。
栃丸16分(ぶ)
栃丸関は5月場所より、私が一番熱を込めて応援してきた力士である。その理由は、彼が入門から11年もかかって十両になったためである。
「石の上にも三年 栃丸十一年」
私の中にこの言葉が浮かんできた。意味は「石の上にも三年」と同じである。私はこの4か月間、できるだけこの言葉を使うようにした。もちろん使う相手は考える。
相撲を知っている人はおおむねわかってくれた。笑ってくれる人もいた。これは私の作った言葉がいいというより栃丸の表情が素敵だからだ。あの愛嬌のある表情が頭に浮かぶと思わず笑みがこぼれる。
しかし、この言葉をしばらく使えなくなりそうだ。西十両13枚目の彼が、今場所2勝13敗の成績では、九州場所では確実に幕下に陥落するからである。11年かかって関取になり、僅か3場所でその地位を失ってしまう、厳しい世界である。
今回、栃丸を見ていると「栃丸16分」という言葉が浮かんできた。理由は彼の回転の速い突っ張りが「タタタタ タタタタ」と16ビートに聞こえてくるからである。
あの軽快なツッパリは見ていて気持ちいい。しかし、解説が指摘する通り、下半身の力がついてきていないため、相手を前へ押し込む力が小さい。対戦相手は16分のツッパリを嫌そうにしているが、技が単純なので、隙を見つけられて反撃される相撲が目立った。
11年かかって到達した十両の地位であるが、九州場所からまた出直しである。もちろん、私は彼が幕下に行っても応援する。今場所より押す力の入った16分が見られることを楽しみにしている。
因果報応
今場所で序盤から中盤にかけて盛り上げた力士は北勝富士であった。10日終わって9勝1敗、優勝候補の筆頭であった。迎えた11日目は、1敗同士の玉鷲との対戦。立ち合い激しく当たったものの途中でバランスを崩し、玉鷲に押し出されてしまう。
これで2敗の北勝富士が優勝するためにはここで勝っておきたい12日目、対戦相手は貴景勝であった。貴景勝はこの時点で7勝4敗、勝ち越しがかかった一番であった。
「どんな相撲を取るのだろう」私はドキドキしながら画面を見た。
立ち合いから勝負は2秒、貴景勝の左への変化からはたき込み、北勝富士は土俵の東側へ勢いよくドテドテと転がり込んだ。
「うーん」私はうなった。激しいあたりを期待していた。勢いのある北勝富士を大関がしっかりと受けとめて、そこから力の勝負をしていく、そんな相撲を期待していた。館内も何だか盛り上がりに欠ける微妙な雰囲気。
勝ち越しがかかり首に不安を感じる貴景勝の気持ちもわかる。しかし、あそこはガチンコ勝負をしてほしかった。まあそう思うのは、体を張って勝負する力士をよそにした相撲ファンのわがままであると分かっているが。
明けて13日目、貴景勝の相手は私の贔屓である若隆景。この日も相変わらずカッコイイ。最後の蹲踞前に見せる、あの腕をキュッとひねる動作がたまらない。そして立ち合い。
「変わった若隆景、なんと若隆景が変わりました!」
NHKの解説者が驚いた。昨日とは変わって館内の歓声も大きい。
同じことをしても、相手とタイミングによってここまで印象が異なる。貴景勝からしたら因果報応を感じたと思う。貴景勝と若隆景、二人の力士の脳裏には今何が浮かんでいるのであろうか。大相撲という大きな枠組みの中で、今度は誰に対して変化をし、誰から変化を受けそうなのか。
因果報応も巻き込んだ競技、これだから相撲は面白い。
力士だけじゃない
私の家にテレビは1台しかないが、相撲期間中は私に優先的に使わせてくれる。今場所初日の日曜、私は1時半からBS放送を見ていた。こここら4時間半、ずっと相撲である。私の言葉の力、描写力を高めるため「頭(こうべ)ノート」を隣に置き、気がついたことをメモしながらの観戦である。
相撲はゆっくりと勝負が進行していくのがよい。仕切りと仕切りの間に前の勝負を振り返ったり、解説の話を聞いたりと、かつては退屈だと思っていたこの間が年をとると心地よく感じられる。
そんな勝負と勝負の間に観客席を映していたカメラが一組の親子の姿をとらえた。女の子の持っていた応援幕がよかった。
「北の富士おもしろい」
その横には可愛い似顔絵が描かれていた。
思わず笑ってしまった。「現役力士じゃないんかい!」とツッコミを入れてしまったが、北の富士さんが相撲中継を面白くしていることは紛れもなく事実であると思った。
正面「北の富士」、向こう正面「舞の海」、場所中に何度かやってくるこの組み合わせを、私は「解説の当たり日」と呼んでいる。北の富士が予想外の発言をして、舞の海が上手にフォローする。緊張と安心が混ざり合う聞きごたえのある解説である。
北の富士さんは相撲界でとても貴重な存在である。横綱をはり、親方として多くの弟子を育て、引退後は解説や執筆を行い、もう60年以上も相撲に関わってこられた。
悲しいことであるが、力士は長生きできない方が多い。北の富士さんのように横綱経験者で傘寿を経験される方は珍しいと思う。それだけに、これからも面白い解説を続けていただきたい。
今場所は違うと思った
初日の幕内取組前、彼のインタビュー映像を見て私は嬉しくなった。私がここ半年ほど「しょんぼり正代」と呼んでいた彼である。失礼な呼び方であるが愛情の裏返しだと思ってほしい。とにかく、その正代関の目が違っていたのだ。
思えば先場所の後半を盛り上げたのは彼であった。前半を1勝4敗で終えた後の7連勝。気がつけば二けたの勝ち星をあげていた。「何かつかんだ」そう思わずにはいられなかった名古屋場所であった。
そして初日のインタビュー、彼の眼はいつもの眼ではなかった。余裕というか自信というか、そういったものが表情から伝わってきた。北の富士さんからも「別人みたいだねえ。どうなっちゃったんだろう」という発言を引き出したぐらいだ。
そしてその後の翔猿戦。動き回る翔猿に対して体の正面を維持したまま冷静に対応、最後は押し出しで土俵の外を割らせた。
「おお、これが正代だ」私は嬉しくなった。
翌日、いつも相撲の話をする職場の先輩に私は自信を持って言った。
「今場所の正代は違います。優勝するかもしれません」
素人の目などあてにならない。そこから9日間、私はそう思いつづけることになった。どうしたんだろう。千秋楽の表情はいつもの「しょんぼり」を超えていたと思う。9日目の解説で「深いため息が舞の海さんから聞かれます」。ネガティブな発言をしない舞の海さんの珍しいため息である。ため息の後「どこか大関制度に甘えていないか」というコメントもあった。
ため息と言えば、千秋楽に貴景勝に敗れた後の北の富士さんのそれも強烈であった。深すぎて隣の解説者がなんと言葉をかけてよいのか分からないレベルであった。かろうじて「先場所、立ち合いの感覚をつかんだとは言っていたのですが…」に対して、冷たく一言「すぐ忘れちゃうんじゃないの」。
私の影響で少し相撲を見るようになった私の妻は、炎鵬が負け越して悔しがっている私に対して「でも、正代よりいいでしょう」。
私が聞いた中では唯一彼を擁護する発言は、8日目解説の元白鵬の宮城野親方からであった。「正代はどこか痛めてますね」。思えば、彼は先場所正代にもっとストレッチをしてから立ち合いに臨むようアドバイスをした。その後正代は生まれ変わったかのように勝ちを重ねていった。正代の不振が心配なのだろう。
この記事では他に「玉鷲」「北斗富士」「宇良」などについて書きたかったのだが、正代の話を書いていたら筆が進まなくなってしまった。
不振の力士に対して関係者が言うことは「稽古が足りない」「気持ちが入ってない」のほぼ二つであるが、今場所では舞の海さんの言った「人生楽しいのだろうかと思いますね」という言葉が気になった。
今の正代がブログを書き始める前の私の姿に重なる。もっと今を楽しめるはずなのに、何かそれを阻止しているモヤモヤとした壁がある。私も今場所を終えた正代のような表情をしていたと思う。それだけに、この力士がその力を出すことを祈らずにはいられない。