アメリカに憧れていたはずが…
こんにちは、大和イタチです。
先月、出張で生まれて初めてアメリカへ行ってきました。
目的地はワシントン州シアトルで、6日間の滞在でした。
私用や仕事でヨーロッパへはたまに行くのですが、太平洋を越えるのは初めての経験です。
思えば30年ほど前、10代の私はアメリカにあこがれていました。
ケネディー兄弟を産んだ国、アメリカ。
(そのころ落合信彦をよく読んでいました。)
リーバイスを産んだ国、アメリカ。
(ジーンズはリーバイスのmade in USAモデルしか持っていませんでした。)
Guns’n Roses やAerosmithのいる国、アメリカ。
(この2つのバンドは私がHR・HMにハマるきっかけでした。)
高校時代にアメリカ人の英語教師と知り合ったことも、この国に興味を持つきっかけの一つでした。1年ほどの付き合いでしたが、家に呼んでくれたり、一緒に海水浴に行ったり、多感な時期の私に周りの大人とは異なる価値観を教えてくれました。彼とは、一緒にアメリカを旅しよう、と約束をして果たせないままです。今となっては、連絡を取ることもできません。
高校時代に使用していた世界地図を、未だ捨てられずにいます。ソ連、東ドイツなど東欧を中心に現在と随分様子が異なっている地図です。アメリカのページは、一番書き込みが多く、主要都市やすべての州を必死になって覚えようとしていました。
まだネットなんかなかった時代です。「地球の歩き方アメリカ」を買い、机上でアメリカ大陸横断を旅してみました。シカゴから西海岸まで鉄道で移動するだけで4日かかります。50州の内、日本より面積の広い州が4つ。その大きさを適切に想像することすらできません。
ずっと興味があり、真っ先に行く外国だと思っていたアメリカへ行くまで30年かかってしまいました。
大学3年生の時、海外で鉄道の旅がしてみたくて、どうせなら鉄道が発達しているヨーロッパに行きたい、と思い渡欧。最初に立ち寄ったロンドンが素敵な街で、それ以来、文化的興味も英語自体も「イギリス > アメリカ」となりました。
20代前半の心変わり。あれほどアメリカだったのに、なんて浅はかな。しかし、その薄情さは頑固なことにその後何十年も変わらず今に至っております。最初は殆ど聞き取れなかったイギリス英語も、今では耳に心地よく、アメリカ英語がくどくベタついていると感じるまでになりました。
あのころとは異なる感情
そんなわけで、本来なら四半世紀も前に訪問していてもよかったはずのアメリカにやっと行くことになりました。少し、申し訳ない気分です。
関空発シアトル行きのデルタ航空機に乗りながら、昔のことを思い出します。自由で正義感が強く、人々は豊かに暮らし、人を引き付ける文化を持ち、世界中の人が憧れる国アメリカ。
無知な高校生から、少しは世の中のことがわかってきた中年オヤジになると、このようなポジティブなイメージや憧れを持つことはできません。今はむしろ、憧れも集めるけどそれ以上に世界中で自分勝手でややこしい種をまき続けて反感も集めている落ち目の国、どうしてもそんなフィルターを通じてこの国を見てしまいます。特にこの3年ほどは… まあ政治的な話はやめておきます。
このブログは、気持ちを文字にすることで自分の心を調整しようと始めました。何でも心の内を記せばよいのですが、ブログである以上、読み手の存在を無視することはできません。イデオロギーや政治的主張に関して語ることは極力控えます。
飛行機は日付変更線を超えて、昨日へと戻っていきます。
ヨーロッパばかり行っていた私にとっては初めての経験。
もし大学生に戻って、当初の予定通り、イギリスではなくアメリカに行っていたなら私の今の人生はどうなっていたのだろう、そう思う時があります。
現在の私の仕事や居住地は、間接的に見れば私がイギリスに行ったこととつながっています。恵まれた現状にも関わらず、何か満たされなくてモヤモヤを感じるのは、いつごろから始まったのか、はっきりと思い出せません。このモヤモヤに日々悩んでいると、陽気なアメリカではなく湿っぽいイギリスに行ったから性格が暗くなってしまったのか、とイギリスに申し訳ないようなアホなことも考えたりもします。
上空1万メートルで
席の前のモニターが飛行経路を示します。
予想よりもかなり北を飛んでいます。メルカトル図法の地図上で日本からアメリカまでの最短距離を描くとき、2点間の直線ではなく、北側に弧を描く曲線になることを思いだしました。
どうやら私の乗っている飛行機はアリューシャン諸島の一番先をかすめているようです。
「アッツ島」私の心の中にこの地名が浮かんできました。
昭和18年、アメリカ軍との交戦で日本軍が全滅した戦場。初めて玉砕と言う言葉が使われた場所。
おそらく私は、その島の周辺を飛んでいるはずです。
70数年前、世代で言えば3~4世代前、この太平洋を挟んだ両国は激しく憎みあい、戦いを繰り広げていました。私の祖父もこの戦争に参加しました。幼い頃、祖父から聞いた話を断片的に思い出します。物資と食料が無く、飢餓に苦しんだ話が多かったように思います。
開戦時の勢いは半年ほどで衰え、日本軍はこの太平洋を中心に絶望的な後退戦を行いました。食料・武器弾薬は尽きる。感染症が蔓延する。補給は来ない。圧倒的な力を持つ敵が迫ってくる。本土から遠く離れた土地で、日本軍の兵士たちは、何を感じ、どんな表情で戦ったのでしょうか。そして玉砕する前、脳裏に何が浮かんだのでしょうか。
唐揚げの肉がパサパサしているとか、エアコンの調子が悪く部屋が冷えないとか、快適さのハードルが上がり、どうでもいいことに不満を持つ現代に生きる私にとって、この時代を生き、不幸にも新しい時代の到来を知ることのできなかった人々の気持ちを想像することは難しいです。
私は今、ほんの数世代前に存在した地獄の1万メートル上空を、当時の敵国の航空会社の飛行機で飛んでいます。
なんて有難い、なんて稀有な時代に生きているのでしょうか。
今、こうしてアメリカに向かっていることが奇跡のように思えます。
関空を飛び立ってから一睡もできていません。そろそろ寝ないとヤバいと思いつつ、「サウンドオブミュージック」を見てしまいました。
世界を二分した戦争。太平洋とは異なるもう一つの戦場で、きな臭い匂いがし始めた時代を描いた映画です。
字幕も吹き替えもありませんでしたが、神経が高ぶっているためか、歌もセリフもよく聞き取れます。
そして、3時間の映画の内、1時間以上は涙が出っぱなしでした。
生きるとか死ぬとか、飢えるとか、家を失うとか、そんなことを何も気にすることなく毎日過ごすことができる、太平洋の1万メートル上空で、私は今の日本では当たり前のように考えられているが、長い歴史の中では超例外的なこの事実に思いを馳せるのでした。
どうして、私はそれなのにモヤモヤするのでしょう。
この現代に生きる幸せと引き換えに受け入れざるを得ない必然なのでしょうか。